しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

きずなの大切さ再発見

2010-12-16 19:46:20 | Weblog




   

 (そういえば、昔はバリカンで散髪していた。時々は髪の毛が引っ張られて痛かった)


 私が応援しているソプラノの森岡紘子さんの勧めもあって、今日は江戸東京博物館へ行ってきました。「昭和の家族 ”きずな”」という表題で安倍朱美さんの創作人形展が開催されていました。安倍さんは鳥取県西伯町(現在の南部町)出身の創作人形作家。そういえば、森岡さんも南部町出身でした。

 私が田舎で少年時代を過ごした当時のことが思い出され、あやうく涙が出そうになりました。昭和初期に田舎で見てきた風景と人々。そんなことを思い起こさせる、そんな人形たちでした。

 今日午前中は近所のご夫婦に誘われ「ホールセール・コスコ」に初めて行ったのです。大量生産、大量消費、店内は車でやって来た人々でごった返していましたね。もう間もなく買物難民になろうとしている我々夫婦にとっては、残酷すぎる光景でした。そして、午後行った人形展。物がなくて質素な時代、それでも人々には深い絆がありました。

 今日午前に見た光景と、午後人形展で見た情景のあまりのギャップの大きさに唖然としている私です。

 

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6 コメント

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本当の豊かさ (ポージィ)
2010-12-18 13:41:05
私が育った次代は高度成長期でしたけれど、
まだまだ今のように物資が豊かで便利にはなく、
家の中の家電品なども一つずつ増えていくのを見ながら
育ちました。
人々のつながりは今よりはるかに濃厚でしたね。
狭い街の中を歩くと、子供の私にも挨拶してくれる
大人がたくさんいて。

昨今は無縁社会などとも呼ばれて、物質は豊かだけれど、
人と人との心の通い合いは希薄になり、生活の格差も
広がりつつあって、殺伐とした感が否めませんね。

でも、そんな中で絆を見つめなおそうとする人々も少しずつ
増えてきているそうです。これから心豊かな温かい社会に
なっていくといいなと切に思います。
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人と人とのきずな (茂彦)
2010-12-19 20:07:26
★ポージィさん
現代は人と人とのつながりが次第に希薄になっていますね。
人は一人では生きてゆけない、支えあい、助け合ってこそ
生きてゆける、そのように思っていますが、
現代社会ではそれが難しくなっています。
人とのつながりから逃げ、引きこもって孤独な若者、
そんなところから犯罪が生まれる、そのように
思えてなりません。
助け合い、支えあって、人とのつながりを大切に生きたい、
そんな社会になるといいですね。
人形展は、そんなことを考え直す、いいチャンスでは
ありました。行ってよかったです。

コメント有難うございました。
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感動です (tona)
2010-12-20 14:16:23
懐かしいあの時代を思い起こさせる人形展。
どの写真を見ても家族の絆がいっぱいで、つい現代と比較してしまいます。
現代と違って貧しさ、あるいは煩わしさがここかしこにありますが、そこに溢れる家族愛は何ものにも代えられないものです。
また変な通り魔事件が起こっていますが、あの時代にこうして生活していたなら、決して起こらないことでしょうね。
得られたものも多いこの頃ですが、むしろ失われたものが起こす社会の病根こそ恐ろしいです。
同郷の方のお人形、1つ家の中に欲しくなるような素晴らしいものです。
この展覧会で多くの人達が家族のあり方を見直すことが、そして広まればいいですね。
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家族のきずな (茂彦)
2010-12-20 18:43:07
★tonaさん
最近頻発する通り魔的事件。一昔前には考えられない
ような事件ですね。
人と人とのきずなが失われつつある現代だからこそ
あのような事件が起こるのではないかと思っています。
失われつつある家族のきずな、取り戻したいものです。
コメント有難うございました。
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ドキッ!としました (讃岐の団塊オヤジ)
2010-12-30 02:42:10
ご無沙汰していますが、お元気そうでなによりです。
本文後半に書かれていた、
『もう間もなく買物難民になろうとしている我々夫婦…』
ドキッ!としましたよ。
まさか茂彦さんからそんな言葉が出るとは…、と。
でもまぁ落ち着いて考えると、昔ながらの商店街は「シャッター通り」化に歯止めがかからず、
ターミナル駅や郊外の巨大ショッピングセンターのみ繁盛、という今の日本。
例えばお米、昔は米屋さんが宅配してくれるのが当たり前でしたが、
今は米屋さんが次々に廃業、スーパーなどで買って帰るしかない。
車の無い、足腰の衰え始めた高齢者には「重労働」と言えます。

私のブログに書いた朝日の「孤族の国」にこんな一節があります。
『「個」を選んだ結果、「孤」に足を取られている』
その犠牲になるのは決まって高齢者か幼い子ども達。
仕事に就けない若者と生活全般に支障をきたすようになった高齢者。
この二つをうまく結びつけることができればいいのですが…。
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コメント有難うございました (茂彦)
2011-01-01 22:03:25
★讃岐の段階オヤジさん
コメントいただきながら気が付かず、返事を書くのが
遅くなりました。申し訳ありません。
最近オープンするのは、大型のショッピングセンターばかりで、
車でしか行けません。
高齢化が進めば、当然のことながら、買物に難儀することになりますね。
私ども夫婦もその例外ではないのです。
そんなわけで、最近は我が家では週一回、生協に配達サービスをお願いしています。
時代の流れとはいえ、昔ながらの商店街が消えつつあるのは淋しい限りです。
大量生産、大量消費、店舗の大型化、我々高齢者にとってはよいことずくめとは言えないですね。
島根に住む叔母は、今までバイクで買い物行っていたようです。
長年使っていたバイクが壊れたが、古いバイクで
部品がないとかで修理できなかったそうです。
仕方なく自転車を買ったが、高齢者で自転車をこぐのも
難儀であきらめたそうです。
(亭主は車の運転はもうやめた)

コメント有難うございました。
遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。
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