月曜日の朝、朝刊を広げてびっくりした。中世の面影を残すベルギーの古都ブルージュ。人口12万の世界遺産の街は、もうひとつの顔を持っているというのだ。「古都と認知症」、一体どういうこと?ベルギーを旅行したのは2000年だった。中世の面影を残すロマンチックな街だった。
新聞を読むほどにびっくりした。「認知症」にやさしい街だというのだ。NPO法人、行政と地元住民が協力して、包括的な地域作りをしているのだとか。こういった活動は、行政だけでは出来ない。やはり、地元住民の協力が不可欠なようだ。
(運河が街の交通の手段になっていると同時に観光にも役立っているようだ。
運河の近くで、絵を描く老人がいて、それを眺める市民の姿が平和的だった)
最近、我が家では認知症について話し合うことが多くなった。というのは、近所に明らかに「認知症」が進行していると思われる方がいるのだ。さて、自分が仮に認知症に侵された時、自分では自覚出来ないのだろうか。この方の言動を見ていると、どうもそのように思われる。そして、困ったことに、配偶者の方がそのような現状を認めようとしないこと。早めに医者に相談すれば、あるいは病気の進行を遅らせることも出来るのでは、などと思うのだが・・・。身近な例を見ても、なにも手を差し伸べられないもどかしさ。自分に何が出来るのだろうか?そんなことを考える今日この頃である。
こうした福祉関連のことは、やはり欧州が一歩先を行っている
感じですね。日本では、認知症というものの理解からして
全然遅れていると思います。一般の人はもちろん、医師の方々でさえも。
認知症にも色々な種類があることも、まだほとんど知られていない
のではないでしょうか。
もっと知識と理解を深め、どう取り組んでいくのがよいのかなど
とにかく関心を持っていかないといけませんね。
ご近所の認知症の方のお話、だいぶ前に一度伺った覚えがありますが、
まだ何もされてはいないのですね。日本の場合、他人に
知られたくないとか、家族の変化を認めたくない、といった
心理が強く働いて、後手後手に回ってしまうこともまだ多く、
かえって残念な結果に繋がっているような気がします。
こうしたことが新聞やTVニュースで報道されるのは良いことですね。
このご近所の方に対しては、地区の民生委員の方も
訪問してお話ししようとされたのです。然し、話を聞いて
くれなかったとか。何か、プライドが邪魔しているのでしょうか。
その方、つい最近まで車の運転をしていましたから、
驚きます。
正直、我々もどう手を差し伸べたらいいのか、悩みます。
こんな様子を見て、これは反面教師として勉強すべきだなどと
わが家では話し合っています。
コメント有難うございました。
しかしアルツハイマーですと最初のときだけ自分はだんだん認知症がひどくなるのだと知らされるそうですね。
ブルージュは3泊しましたのでベルギーで一番よく覚えているところです。あの町ではこんなことに取り組んでいるのですか。
日本は何もかも解決にはほど遠いです。高齢化で支える人が少なくなっていくのが一番ネックですね。
認知症にもいろいろなケースがあるのでしょうね。
夫婦でお互い助け合えれば一番いいとは思いますが、
通常は老老介護となって、老いて来ると無理でしょう。
近所で身近な例を見るにつけ、いろいろ考えてしまいます。
コメント有難うございました。