花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

札幌市羊が丘のむこうの、、、水源地に遊ぶ冬の鳥たち

2020-01-16 13:43:13 | Weblog

このサイトには、花火や富士山や、小鳥たちの

プロもたじたじというレベルのbwsyとチャンスの写真のサイトがフォロウされています。

後悔していない日記帳のブログには、、、もったいない写真ばかりです。

キーワードで、たまたま立ち寄られたウオッチャーの方には

私のアトランダムな日記より、花火や鳥たちの写真で

感動して、通り過ぎて行ってください。

 

ちなみに、近くの水源地は、

子育ての時は、早朝から深夜、

土日は主人との散歩にと、

めったにない休みを、過ごしたところです。

薬草もあります。小鳥も居ます。クワガタムシも居ます。

トンボも、昆虫も、興味をそそります。

一月に見られる小鳥たちは。

水源地の管理の叔父さんに聞いtも教えてくれますが、

コゲラ、

アカゲラ

ヒガラ

シジュウカラ

ツグミ

ヒヨドリ

ウソ

ゴジュウカラ

ヤマガラ

ミソサザイ

ハシ太ガラス

.。……カラと名前につく鳥たちが、雪の少ない林の中で鳴いています。

 

苦学生だった主人と、60歳ぐらいになったら、ここに終の棲家を建てようね!

見渡す限りタケノコ山だったここが、

定鉄や、日の丸宅地が造成地にと

宅地化し始めたのは、昭和47~8年ごろでした。

東京の小学校から~~大学まで、駿河台界隈が遊び場だった私には

本屋も無いし、喫茶店もないし、寿司屋も無い、、、一軒の家も無い、、、造成地からは

羊ケ丘の、「農林試験場の人が住んでいるらしい光沢の低層マンションが見えた。

人間が住むというよりは、、、キタキツネが住んでいるのではないかという思いで見回していた

自然のありのまま公園に遊歩道が創られているところです。

 

人生が一段落するころは、きっと手ごろな集落となり

店の一つもできる科も、、、?

自分の土地を持ったことのない主人は

「今なら、二区画買っても、60才までにはローンが終了するよ、、、」

原野に近い造成地だったこともあり、、、ローンで買い取ったのが、、、ここ!

羊ケ丘の見える自宅でした。

子供が小学校に行くようになって、

風呂の無いアパートでは、友達も呼べないだろうという

親の配慮から、ローンが終わらないうちに、隣の建売を

ミサワホームの提携ローン9パーセントの利息で購入しました。

家賃を払っているのと同じ高利率でしたが、

医師の研修の続く主人は初任給が23万円という時代でしたから

提携ローンは高額でしたが、やむを得ない判断でした。

何もない、、、地区に、、、我が家。

自然がありました。

カッコウが早朝から鳴いて、

時には庭に降りてきました。

コクチョウに指定されているシジミチョウなども見かけました。

水源地には多くの鳥たちが林の中で囀りながら、

自然からの恵みを受けました。

春には,、あずきなが目を出し、早朝の食卓に一品増えました。

大学の医局に必要とされて、

呼び戻された主人の月給は

一般病院の給料の半分になりました。

それでも、無給医局員の大勢いる大きな科の悠久の立場は

男としての満足できる何かが有ったのでしょう!

安月給の国家公務員を50歳近くまで、仲間の先生方と

まるで、医局の方が家庭であるかのように

主体は仕事が中心の当時の医局生活でした。

その時代、水源地を歩きながら、、、野鳥の会に入会させていただき

日曜日には、見知らぬ会員たちの皆さんと、望遠鏡をのぞきながら、

無料で楽しめる水源地かいわいの恵みのおかげで、

多くの自然の恵みに感謝できるようになりました。

その中の一つが、、、林の中で見せる、、、鳥たちのしぐさでした。

アカゲらコゲラ、、、空中でのランデブーも見せてくれました。

早朝から、夜明け前のクヌギの樹の西瓜に群がったクワガタを獲りに行ったこともありました。

夏は、、、ヤツメウナギを捕まえて、水槽に飼ったり、、、

ワゴンセールのジャージーを身に付けた我が子はジャージーに穴をあけながら

林の中を駆け回って、昆虫と遊んでいました。

途中には、財テクに走らねば、授業料も、ローンも払えなくなり

拓銀や、佐藤工業、、日航などの売り買いしなくてよい歌舞に手を出し

差額が大きくなったときには、証券マンが、、、「売り時です!」と電話をくれた。

220円で買った拓銀が270円になり、、、喜んで、ローンのお金が出来たり、、、

何とかなっていた。

しかし、、、欲張って、買い足していった拓銀が、

ありえないと思っていた、、、市中銀行の倒産という

寝耳に水の出来事で、

しばしば、、、家計を助けられていた株券は、

壁紙同様の無価値になった事件が思い出される。

義弟が日光に居た関係で、

日光の株券も購入して、これは売りも買いもしないで、

我が家の財産として、優良株を増やしていって、子供の学資にと計画していた。

しかし、、、急落が始まったとき、

証券マンが、今買い足すと、、、将来は社長さんだ!、、、と

冗談ともとれる「買い時sign」を知らせてきた。

歌舞や債券の音痴に近い私たち夫婦は

証券マンの勧めるままに、、、買い足していた。

突然、無価値になった葉書が来て、、、日航は預けた証券も帰ってこなかった。

いろいろな手続きで、少しでも、返ってくればと思いましたが、

証券マンに一任していたこともあり、、、転勤で、終了。

その後は、、、お灸の暑さが忘れられなくて、、、

歌舞や証券は、、、下手な興味で買うものではないと、、、悔し涙の

忘れられない、、、市中銀行倒産事件と、日航の、理解できない、、

、株券没収事件でした。

このころ、、、カラスが羽を怪我して、門の塀のうちに住みついて

飛べない鶏の様に、餌をねだってきました。

飛べるようになるまでと、期間を区切って、食パンのミミを与えました。

子ガラスは、やがて飛べるようになって、電柱の上に泊まりながら

仲間を連れてきて、餌をねだり始めました。

野生に返さないと、とんでもない危害を加えられるかもしれないと思い、

人間の傍に行かないように、餌をやるのを辞めました。

あれから、、、餌は一切やっていないのに、、、

烏が、挨拶をするかのように、、、私にくっついて、飛んでくる時期がありました。

鳥は、、、近づきすぎず、愛すると、庭の枝まで飛んできて、

美しい囀りの音楽を聞かせてくれます。

いつの間にか76歳も目の前ですが、、、

老後は、、、、と構えなくても、

老後の真っただ中に居るという、、、時間は不思議なほどの忍び足で通り過ぎてゆきました。

この頃は、、、鶺鴒が来れば、、主人の母親かな?と、、思えたり、

鳥が懐かしい人たちに思えるから、、、不思議です。

人は、、、昔、、、昔、、、鳥だったのかもしれない。。。と、

東大を出た女性歌手が歌っていましたね。

日本御国というのは、、、封建社会が土台になっているだけあって、、、

いまだに、、、東軍か、西軍だったかで、、、老後の生活が、、、なぜか違うような気がするほど

東京大学を出ても、、、女性は、「案山子」のような役で逢わってしまうと感じてしまうのは

私の偏見だろう、、、か?

音楽大学を卒業した母は、私が小学生のころすでに

お金のないのは、社会でオキュペイションしようと考えても

羽根の無い、、、鳥のようなものよ。

子供にロックヘラーの話をしてくれながら、

選ばれた人たちは、赤ちゃんの時から、、、スポンサーが在るのよ、、、と言った。

女性が社会で、成功しようと思うなら

男性の10倍の語学力と、キャリアと、キャパシティと、

最後には、上層部に生き残ったときは、

頭のてっぺんから、足の指先まで、役割を与えて働かせることのできる

女性しかないしなやかさと、魔力に近い魅力が無いと

日本では、40歳、、、欲て50歳で、、、使い捨ての大ルドミスの道が大半だと言った。

音楽大学時代の友人がヨーロッパの名門の音楽スクールに留学して間もなく

母に手紙をよこした後、、、自殺した、、、と言った。

「才能の違いに絶望した、、、未来が見えない、、」という、、、手紙だったそうです。

母は、次の瞬間、東京都の女学校の音楽の教師の道を選んで、

こうした後輩を二度と出してはならない、、、と。

音楽をッズけるべき条件を考えるようになったと言った。

母の教えは、、、鳥の囀りとは違って、

聴きたくなかった、、、人間の訓示であった。

だから、、、私は、、、鳥の囀る美しい声に癒される。

人間社会の、、、生き残りの闘争から、、、蚊帳の外でいたいと思うようになった。

欲を持たなければ、、、友人は居なくてもやって行ける。

孤独というわけではないが、、、誘ってくれても、、、友人をつくる気にはなれなかった。

鳥が好きな人の中には、、、

自分よりずっと弱い鳥が、、、楽しそうに囀っている姿に

友達以上の、、、自分の居場所を感じるのではなかろうか?

大學を出たからって、、、薬剤師や衛生検査技師、、、衛生管理免許、、、

高校中学理科一般、化学物理地学の教職免許が有ったからって、、、

子供たちのPTAで役立つことすらできなかった。

掃除洗濯、ご飯当番、、、家庭に必要な、事務一般、

 

 

 

 

自然の恵みは、私を支えてくれました。

 

この写真は、、、小鳥の話とは

関係ありませんが

 

幸せそうな表情ですものね!!!

女性は、、、この笑顔に完敗ですよね、

妻の立場では引き出せない、、、仕事の接点の満足な笑顔ではないでしょうかね、、、????

 

 

振り返ると、、、あのように、、、「医師をすることだけに生きても、、、」

廻りも強い、、、医師の中で医師をするという事は、、、

果たして、男として、、、休まることのある人生だったのだろうか、、、?

 

少なくとも、女房の顔を観る暇は無かったのではなかろうか?

家に居て、、、家を守ってくれさえすれば、、、

医師になるという事は、、、本当に、、、

「医師をすることに惚れ込んだ人」だと、、

、感心するが

相棒になった妻の座なんてものは、、、

座布団一枚も無い

笑点の「板まの上だったかもしれません」。

 

之でいいのだ~~~

医師としては社会に貢献できたと、、、

家事一般、育児一般、、サポーと人生も、、、やぶさかではないが、、、

 

私にも、何か、、、社会にできることが有ったのではなかったのかと、、、

76歳になって、忙しすぎた人生に、、、

悔いが残るのでした。

輝くなんて畏れ多いことは考えないが、、、

ことごとく、

自分のスキルが役立つところに差し掛かると、、、

家事も育児も、、、主人も、、、重荷になった。

女性は、社会に参加したいと思うなら、、

「40歳の若い母親を持っているかどうか!

母親が、76歳になるまで

育児家事を代行してくれる、、、

そういう母親と、一緒に嫁ぐことですね。」

 

私の知っている女医さんは、母親の裏を支えた愛情で

音の医師と変わらない女医さんとしての活躍と

妻としての二刀流とも、認められた、立派な社会参加の人生を過ごされて

お子様方も、立派に成人して、結婚されていつという

人生の難しい連立行列式を解かれて、お見事というしかない。

女性の地位が低い日本の女性は、母親の力のすごさに気がつけば

未来は又、、、希望的な見方が出来るかもしれません。

話が、、、素敵な小鳥のさえずりから

横道にそれてしまいましたが、、、

話を、元に戻しますと、

水源地の若き日の束の間の野鳥観察は

振り返れば、、、素敵な私の時間でした。

私自身が存在していました。

 

小鳥の美しい声が、私を呼んでくれていたようだった。

人生の素敵な時間だった、