花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

50年前の思い出

2020-01-12 08:25:38 | Weblog

 

50年前。親友の結婚式と

一年下の遊び友達との結婚式が重なって、

学生時代。代表幹事を依頼されていた私は

クラス全体の生徒とも、先生方とも、事務的な交流をしていたのが癖になっていた。

大学のクラスには、ピンからキリまでの家庭事情の学生が

ゆとりをもって、、、あるいは必要と感じて、又ある人は、必死の思いで

理工学部や、薬学科に進学してきていた。

化学には女性が2人しかいなかった。

建築課の大学院にも女性が一人いて、づ面を作成していた。

長野県から、就職してみたものの、、、

毎日、電気メーターの記録をするだけの〉一年間に於いて

未来への危機感が募ってきて、

大学に入りなおしたという電気科の学生もいた。

かなりの人数の学生は英検の1級や、2級を持っていた。

女性は、ロウヒールや、スラックスや、スーツ、

お洒落な女性学生は

膝から下の広がった白いラッパズボンにアップのヘヤスタイルで

卒業までには、「お金持ちのお坊ちゃまとカップルになっていたりした。」

大学生の時に、父に急逝されて、

楽しいはずの大学が、アルバイトに

明け暮れた。

男3人女性の私と、ピアノ教室を本格的に主宰していた母と

学生結婚した兄嫁と、

父の後を継いだ内科医の長男は

家族と開業とを背負っていたせいか

廊下ですれ違うたびに、、、

「まだいたのか?!、、、速く出て行け、、、」と

啓蒙しているつもりなのだろうけど、、、毎日、毎日、、、出て行けと

九官鳥の、一つ覚えた言葉の様に

「出て行け、、、出て行け、、、と、囀るのだった。

大學も、悠遊にふるまっていたけれど、

高校3年で、医学部進学は間違いないと思える弟が居た。

女性の私を大学を出すというのは、、、

我が家にとっては、大サービスなのだろう、、、きっと!

大學では、取得できる免許はすべてゲットしてから社会に出ないと

先が見えないと考えるようになっていた。

私は、化学系の暗記は好きではなかったが、

化学の知識を使って、「生化学」を考えるのが好きであった。

生化学は、、化学の知識を使って、、、生体を科学する学問だと思った。

大學を卒業しても、科学実験の学門を続けられる条件の女性は

クラスでは3人ぐらいしか、大学院には進学しなかった時代であった。

まずは、、、生きねばならなかった。

 

主人と、子供に振り回された時間貧乏の主婦で、

一生が終わってゆく、、、、かっての女子の大学生たち。

75歳になってふと振り返ると、

北海道には、知人と呼べる親しい人はいない。

町内会の班長を、東区、豊平区で

5回ほど回ってきましたが

どなたとも、親しそうに話しはするのですが

相手の顔も、名前も、一致して覚えることが出来なかった。

いつの間にか、年賀状は、、、一枚も書かなくなった。

近所には、、、全員に天気などの話や挨拶をして、

井戸端会議には事欠かないのですが、、、

不思議なことに、

誘われても、家事に追われて、付き合えなかった。

 

旅行友達になればと思ってくれるのだろう、、、

勧誘に来るのだった。

ビデオを使った説明会があるので、参加者以外でもOK との事で、

「飛鳥」「日本丸」など、見学会には一緒に参加した。

これからも息子たちの授業料に追われる立場の

男の子の母というのは、

豪華客船に乗る予定は、全くなかった。

 

女の子をお嫁に出した後の御夫婦は、

世界一周の船旅に出た。

 

私には、、、私立医科大学の学生と、

私立薬学大学の学生を抱えていた。

男の子の母親は、豪華客船どころではない、

フルタイム、正社員の薬剤師に戻って、

家のローンや、授業料、

大学に50歳近くまで勤務していた講師だった主人は

函館に単身赴任していった、

家のローン、子供の育児は大学進学と、高校進学に差し迫っていた。

家計は、エンゲル係数は100パーセント以上になっていたが、

借金経済をとらざるを得ない時期が有った。

いよいよ足りなくなると

一度返済したローンを

自宅を抵当に入れなおして、ローンを組み直し

あたかも悠遊と見えるが如く

子供の教育を優先させるのに、、、鬼になっていた。

平常心を保つのには、冷や汗が出ていた時期もあった。

私が、大学に入学して、

父が急逝したことは

自分たちの子育ての場合に置き換えても、

同じことを考えねばなりません。

医科大学卒業までの授業料の6年間だけ、

保証するという保険に入りました。

心の臆病風に負けました。

銀行の

学資ローンは保険の代金になりました。

振り返ると、、、息子が卒業してから18年も経過してるのに

臆病風に吹かれていた私たち夫婦は親としての義務は果たし

、、、二人とも健在です。

76歳になろうとするのに、、、元気です。

あの時の,、、不安な気持ちで、掛け捨ての短期生命保険に入った事が

可笑しいやら、、、もったいないやらで、、、

学会で、仕事上、アメリカとか、ドイツには行った主人は

豪華客船の旅どころか、、、ロンドンもパリも行ったことが有りません。

ニューヨークの学会に皆さんと同行したときも、

建物の部屋から出なかったとか、、、スライドの整理で旅行どころではなかったとか!?

自宅も、、、2回もローンをクリヤーしてくれました。

2回目のローンのやっと終わった60歳過ぎには、

ホッと気がつけば

孫が3人とも男の子!

今年は大学進学である。

夫が医師ですと言えば、、、北海道では「お金持ち:の部類に入るらしい。」

働きかた改革も、、、外科には通用しない。

ひどい手術は、、、8時間とかかかっていたから、、、

救急が3人ぐらい夜中のオペという事で、

一週間ぐらいは、自宅に帰れないことなど、しばしばであった。

初めは、3人で、、そして4人で、、、

正月も、連休も、夏休みもなかった。

大型病院で、救急車の試練とともに、深夜の手術が行われた時代に

長男が大学に進学した。

そして、、、札幌南という

進学高校にトップグループで合格しながら、、、

音楽やライブや、ジャズの3年間を過ごしてしまった次男

母さん、、、僕に高校時代をくれ、、、見逃してくれ、、、

卒業してから、勉強するから、、、。

マルタのサクソホンに魂を奪われていた。高校時代だった。

最後に親が出来ることは

親元から離して、東京に預けた。

 

今は運よく、優秀な私立医科大学に合格して卒業はしたものの

仕事に就くまでは、東京と静岡を

新幹線でとんぼ返りの研修やら、勉強会やらで

5年間は、毎朝新幹線通学をして、勤務病院と大学を往復していた。

大學を卒業してからも、3年間は生活が出来る収入は無かった。

東京のど真ん中のマンション暮らしも、食費も、研修費用も、、、

このようにして、、、私立医科大学の医師は誕生するのです。

医師の息子というのは

普通の職業の家の方々の様に、PTAには男親の姿はありません。

運動会には、お母さんしかいません。

お母さんしかいない家の子供たちが、

寂しさを支え合って友達になっていました。

私は、自分も、子供のころ、お父さんの姿を見つけられずに過ごしました。

次男は一年生入学の時の写真は私と二人です。

そのころ、札幌には、私立の巨大病院の代一棟目が出来始めており、

単身赴任中の主人に、移動命令を戴いていました。

北大在り、医大在り、NTTあり、KKR,,,大きな病院の林立する札幌に

これから、巨大病院になってゆくという初期のころ、

函館国立病院から、札幌に帰還してきました。

今では、開業医の先生方から、

救急も、重症も、引き取ってくれるので、助かりますと、、、感謝されています。

しかし、創生期の頃は、開業医と、競合するのではとの誤解があり、

患者さんの状態により、、なくてはならない病院であると

医師会の皆さんからも、言われるようになったのは、主人にとって最高の喜びだったようです。

全世界の優良病院のランキングにも、文字が光っているし、

育児中は、未亡人のような毎日でしたが

結果良ければすべて良しと思っています。

病院は、医師は目立ちますが、、、ラグビーの様に

全員での仕事だから、民間は、医師が収入をとっていると考えがちですが、

大きな病院の医師にとっての最高の待遇は

医寮に対して、良い機械が入り、最先端の情報が入り

医師としての腕を振るえる職人魂にも似た満足感があるという事が

報酬だったようです。

一年契約が、毎年更新される、、、腕一本の外科医の勤務状態で、

主人は、周りの優秀なスタッフや、優秀なコメデカルトのチーム医療に

生きがいを感じていたようでした。

胸部外科の医師だった主人は、今は名誉会員で、胸部の手術はしておりませんが

札幌の胸部外科が、次の若い世代に引き継がれて、ゆくのを見つめています。

子供にかまっている暇がなかったと言ってしまえばそれまでですが、

「医師の妻」「医師の子供」という事が解ってしまうと

孤立してしまうという、、、不思議な、、、50年前の札幌でした。

医師の家庭でありながら、、、銭湯通いの木賃アパートに暮らしているのですから、

気さくに、仲間に入れてくれると思ったのですが

そうはうまくゆきませんでした。

私と口をきいたというだけで、孤立する近所の奥さんも居ました。

町内会の旅行に参加したら、

何で、、、あんたが居るのよ、、、と。

このとき、島国の中でも、北海道は、明治維新の時の、函館戦争など、、、

いろいろな思いが交錯して、

本州から来た者や、北大系の医師の家庭より

医大の方を「我らが大学とおもっている」、、、不思議な民間の感情に出逢いました。

小学校に子供が進学してからは、、、

医者だと知ると、、、お母さん方が

「医大なの?北大ナノ?」と質問するのです。

北大ですと答えると、、、さりげなく、仲間はずれにするのです。

この謎は、、、今は、そのようなことが無くなっただけに

私にとっては、、、永遠の謎です。

地域が大切にしているものと、

国が大切にしているものとが

握手して、新しい巨大病院をつくれた札幌は、

大きな心で、50年前の、医大か、北大か?の

わけのわからない???庶民の心を解決したと思っています。

50年前、、、謎の多い、、心でいっぱいでした。

ゴンさん緒劇場まがいの成り行きも、、、日本の地面の下の、、、

セクト感覚が有ったとしたら、、、

世界は、パソコン、スマホ時代、、、自動車の会社も

世界規模の会社となって、コンビニ形式の統括がされる時代が来ているのかもしれないと

地域の中で、争っていては、、、なにも未来が見えてこないかもしれない。

法律違反は厳重に罪だと思いますが、、、世界は、、、一つになろうとしているのかもしれません

永遠の平和の為にも、、、

札幌での役割分担がしっかりしてきて、

医大と北大、開業医と、巨大病院、、、

サンゴ礁の魚との共生の様に

美しい形をとり、今日から、未来に向けて、一丸となって

札幌を、世界から、評価される時代が来たのではないかと、、、

50年の夜明けとともに、、、私どもは、、、微笑んでいます。

個人的に医師の家庭は見掛け倒しで、義務を果たし

未来に継続できるように

医療人を育てるので精いっぱいだった人生の家庭事情でしたが

グローブの様に傷だらけの手を観乍ら、、、

欲、、、働いたと、、、満足しています。

最終的には、持っていた不動産を売却して、原点の生活に戻れましたが、、、

医師が、、、お金持ちだったのは、

保険制度が出来るまでの戦後の復活期に

必要から、政府は税制優遇措置を政策にして、

開業医を配置していった頃でした。

自家用車などは、ほとんどの庶民が持っていない頃

2台までは税が優遇された時代がありました。

東京では、、、土地が高くて、新規開業が夢の向こうの話になっているのが

令和の時代の医師の現状だと思います。

「医師はお金持ちで、ブランド物で身を包み、高級ホテルで

デイナ~ショウを観ているものと、、、期待してくれる女性はまだまだいますが

息子の、仕事一本で、借家住まいの普通のサラリーマンの姿を見て

お世話くださったお見合い相手も、、、がっかりするようです。

家なし、車なし、ブランドもの衣類なし、、、、

お見合いはお世話くださった女性には、、、申し訳なく

いつの間にか、、、「しばらくは結婚は考えないから、、、」

母親に紹介してくれた話も、却下です。

45歳になって、、、一生懸命医師をしながら、、、

普通の家庭も持てないという、、、不器用な息子の行く末を思うと、

今は充実していると思うのですが、、、

歳をとって、、、老境に入ったとき、、、

 

今日も、「笑点」を観て笑いながら、、、

司会者の方は、老境に入ってから結婚したと聞いて

すっかり安心しました。

税務署も、働くことしか知らない医師だらけになってしまったら

豪華客船の客が減って、、、お金が船員さんまで回らなくなると

つまらない日本になってしまいます。

そこで、、、算数だけで考えると、

カジノで、外国のビップさん、、、ゴーンさんクラスの金持ちの集う

最高の会員制豪華上品な高度カジノをと、、、横浜の、、、すごい切れ者の叔母さん知事が

カジノを科学したのかもしれない、、、と

お茶の間のバカ婆さんはフト思ったりしました。

 

 

 


連休明けまでTV漬のお茶の間シニアの新年

2020-01-10 12:40:24 | Weblog

朝から最高!

先日の奇跡の富士山に続いて

「冬の富士山」

すごかたですね~~~~|

若かりし日には、誰でも一度はあこがれて登山したくなる富士山の

美しく、厳しく、天の存在の一部の様に

神様も、悪魔も、同居する富士山の魔性の美が出ていました。

富士山の観測署は古い白黒映画で

小学校の時、学校で観に行きましたが

NHKの撮影班の見事な画像は時代の進歩を考えさせられます。

ボロボロの測候所の建物の一部がちらりと残ってるのが移り

75年以上の経年疲労が伝わってくる思いでしたが、、、あの時の

小学校の時に観た建物ではないのでしょうかね?~~~?

富士山は登るものではなくて、遠くで観ているのがお茶の間族の私には似合いますが

若き日には、、、登ったのですよ!

ただし、夏の季節にね。

 

そのあとは

「ゴーンさん逃亡劇のワイドショウを観ていますが、、、」

世界的なインターナショナルな教育はどこで身に付けられたのでしょうね?

日本の警察は世界でも優秀と評価がありますが

ゴーンさんの方が怪傑マンでしたね。

良いのか悪いのか、、、お茶の間では判断できませんが

日本が振り回されるほどの力のある人だという事だけは

お茶の間でも、わかりました。

医者が上流階級と言われた昔、昔、、、

父の持っていた車は「日産セドリックの縦ライトでした。」

昭和30年代の頃ではなかったでしょうかね?

開業していたので、税制が優遇されていた開業医は

事故に遭っても、命が助かる車を選ぶことで

従業員の家庭や関係各者に、突然のリスクを負うようなことにならないようにと

見栄ではなくて、、、良い車として、日産のセドリックを選んだ時代でした。

その日産が、経営で、ゴーンさんに助けられた事は

寝耳に水の事のようにびっくりしました。

そのころから、、、お茶の間の私には、、、日産は一流の企業だとか、

東芝は、江戸時代からの時計の秀逸品をつくる技術の先駆者だとか

絶対だと大樹に寄りかかって、信じていた会社が

平成には、ぐらぐらと根元が揺れました。

今回の事件も、、、

日本の大きな意味での、、、何か足らない、、、世界観から

大切に保護しなければならない「ゴーンさんのようなビップ」を

もしも、、、逃亡中に何かあれば、、、守る力もなかった日本と、

世界から馬鹿にされたかもしれません。

逃げられるというより、、、

逮捕した以上は、、、逃げられてしまうような護衛力では、国として恥ずかしいと

良い悪いは抜きにして、、、この不安定な世界の空を

無事に逃亡されたゴーンさんは

もしかしたら、日本を救ってくれたのかもしれませんよね。

途中で、、、何かあれば、、、

逃げられるような警察も、護衛も、世界から、なにを言われたかもしれないと思うと、、、

逃げるのは、、、一番悪いですが、、、

子供たちだって、親が命令しても

納得いかなければ、どこかへ行ってしまっていたことを思い出すと、、、

司法も、警察も、、、逮捕される側の、、親であるほど、、、大きいことも必要かもしれないと

お茶の間サイズに、この「ハプニング」を

みそ汁ワンの中で、煮詰めると、、、、

無事で、、、良かった!「

これから、、、安全に、、、ゆっくり、、、白黒をつけてくれれば、、、

まずは、、、無事でよかったと、、、ほっとしている茶の間ですよ。

参考にもならない75歳の婆ちゃんの本音ですよ。

富士山だって、、、冬山は危ないですよね、、、

ゴーンさんは、危ない冬の富士山を超えて行ったのですから、、、すごい人ですね。

婆ちゃんのTV拝見日記でした。


雪かきしながらトランジスターラジオを3時間聴いていました

2020-01-10 06:42:50 | Weblog

久しぶりの雪で9日は3時間かけて、玄関も庭も道路も

松の内の日だけはと、、、頑張って雪かきをしました。

これから始まる大雪に備えて、雪の置き場を創るために

雪を雪かきシャベルで隅っこに寄せて、圧縮して、積み上げては圧縮する。

これから降る雪は圧縮した雪の上に

シャベルいっぱいの雪を載せては圧縮する、

例年なら、春になるころは、雪の塀が出来るが、歩行にも、車にも邪魔にならない、

ひたすら、幅が広がらないように、圧縮して除雪してゆく、

3時間もすると、雪を積み上げる土台の雪置き場が整った。

今年はまだ、、、雪は降らない、、、と言ってよいほど雪は少ない。

隣が、南の日光を遮る新築家屋ができて、

庭の雪は、まずは融けてくれないだろうから、

こまめに家と家のすき間から入る西日のあたる一メートルほどの

日光のあたる隙間に雪を積み上げてゆく。

北国の除雪対策は、日光のあたることを計算に入れると

街づくりから、日光を分け合うトータルな設計にしながら

せだい交代の後は、「観光日本」と言われるような

見えない所に配慮された、隣近所からの平和の心を目で見せて行ける家並みは

札幌市と、大手建築課、ポリシイの域に達する総合の

日本の未来の生き残りを考えた総合的な美しい街づくりをしながら

歴史の浅いサッポロの街が、未来を見据えて創られてゆく事を願ってやまない。

北海道の震災で、隣の家は取り壊された時、

どんな家が建つのか、内心心配だった。

若い営業マンが、口頭で、隣の家を建て始めることを伝えに来た。

「日光だけは奪わないでくださいね。」

伝えたのですが、東の道路側に寄せた二階建てを

我が家の南側に寄せて建ちました。

札幌市は許可したと、「違反ではない」との一点張りですが

角地に見えますが、南側には札幌市の持ち分の土地があり

かっては、この道路が拡幅されて、農林試験所の地区を貫いて

道路をつくるという計画があった為、

角地に見えるまま、

札幌市の道路側に隣接した市の持ち分の土地が

庭に組み込まれ、建蔽率が10パーセント上乗せされて

増築された家が、建っていた。

それが、震災の後、壊された更地化された土地に

土台の高い、しっかりと、土台内もラップるが敷かれた

地震に強い家が建った。

我が家には、日光が当たらなくなり、

ベランダから、羊ケ丘も公園も、焼山も、、、皆

視えなくなった。

ちょっと、西側に寄せて建ててくれれば、お隣さんも

東の光サンサンの東の庭の楽しめる家になったと思いました。

そうすれば、雪は融けるから日光を借りて除雪対策にもなると思います。

家の間取りや豪華さも大切ですが、

せだい交代の時期で、札幌市の個人住宅は新築に変わる時期が来ました。

お隣さんとの「平和」を考慮した街並みづくりで

ミサイルの落ちてこない「平和を個別住宅から考慮した住宅街」目指した

未来の世界遺産を、今から計画した街づくりで

観光客のやってくる令和の中山道を目指してはいかがでしょうね。

建築会社の、利益に走らねばならない街づくりを救えるのは

長い目で見ると、、、行政の美しい街づくりの総合街づくりではないでしょうか?

今回は、、、戦争にならなくて、、、ほっとしました。

京都の町が戦災から生き残ったように

札幌の街は歴史が新しいから、

日光をフルに活用した除雪の少なくて済む街の作り方が可能だと思いました。

業者間の競争になっている街づくりは、

隣の家を考えないで、、、いっぱいいっぱい建てて、、、

角地に見えて、角地でない札幌市の持ち分の道路沿いの土地も

アスファルトで駐車場の入り口にしている販売は

札幌市は許可したと業者は言う。

角地出逢って角地でない家は10パーセントの建蔽率は上乗せされない。

隣が建つ前の家は、角地の建蔽率の計算で、増築された分

我が家の庭から、境界をかなり引いたところに、

我が家で、塀を建てた。

お隣が、、、角地に見える為、角地だと信じ込んだ為、

建ぺい率から逆算して、隣の我が家の境界が自分の所に出ていると言ってきた結果

塀をかなり自宅の庭側に引いて、隣の申し立てに沿って建てたのでした。

今回も、サラリになったときに、塀を壊せと言ってきた。

測量を入れてもらい、

塀が、我が家に側に引いて建てられていることが証明された。

しかし、札幌市の許可が必要だからと、共同マスは

隣の敷地内に動かしたまま、トイレの下水管をつなげてくれた。

長い間、、、🚻も、水道も使えないまま、、、大型家具置き場や

アトリエや、本置き場として、使うしかなかったが、

50年前の札幌市の行政も、建築業者も、、、まだまだ、、、これからという

あるき始めの郊外の街づくりだった。

結局、問題ありすぎの家は、離れとして使い

家としての機能は無かったが

固定資産税だけは一人前にかかる。

隣に、35年のローンなら何とかなるからと、

3年しか住まなかったすったもんだの住宅の隣の敷地に

コンクリート住宅を新築して、

日光は少ないが、暖房の効果のある冬の為の家を建てて住んでいる。

家を建てたり買ったりすることで、

生涯、、、リホームや、トラブルや、、、お隣さんとの誤解の中で暮らすことを避けるのには

角地出逢って角地でないような土地の在り方は、道路拡幅しないとわかった時点で

明快な境界と、正確な測量を、札幌市の責任できちんとしておけば

これからの世代交代の後が、、、一戸建て家屋の販売は

利益に走る前に!

お隣さんとの仲良しも含めて

日光も分け合い、騒音も出さず、

隣に迷惑をかけない思いやりの家屋販売を指導してほしいと思いました。

測量の結果、50年にわたる隣からの境界線の文句は逆転して

塀を壊せどころか、、、我が家は自分の庭にかなり引き込んだ塀を建てていたという事でした。

塀の下の共同マスは、隣の敷地内に移動されたままですが、、、

こうした問題は市の建築確認書提出の段階で指導すれば解決するのではなかっただろうか?

我が家は、間違っていなかったのどころか、、、侵略を受けていたのは我が家の方であったのに

生涯、、、隣の人には文句を言われて、塀を建てざるを得ないことになったことは

残念でした。

低い境界は要るとは思いますが、

今回の新築した家も、2台の排気機械を南側の我が家のメインの庭にセットして

大きな増幅された二台の機械が早朝から、塀越しに風を送ってきます。

塀が無ければ、、、我が家の平穏が守れないというような

寂しい街づくりは、、、建築の段階で防げるのではないだろうか?

建築業者は、、、「お得感のある、、、隣よりは良い点」を売りにしたとしたら、、、

こうした問題は、、、売らんかな、、、の商魂が解決を妨げることになります。

家は、、、お隣さんとの、、、仲良しあっての、、、幸せでもあると思うのです。

世界の平和は日本が世界遺産になるほどの

思いやりの街づくりで

日本に行けば、、、平和な街なみが和むという

郊外の総合的は思いやり開発に

札幌市が乗り出してはいかがでしょうね?

若いとき、、、薬剤師の現役で勤めていることを生かして

ヨーロッパの医薬事情の見学と歴史の研究会で

ロンドンを歩きました。

ダイアナ妃がご存命の頃であったと思います。

大きな公園に「ピーターパンの像」が立っていた。

そのわきから、豪華なお屋敷町が建っていました。

街の入り口には制服を着たガードマンらしき男性が居て、

観光だけならと、通過許可をしてくださり、

豪邸を観ながら、イギリスのマジェスティックな街並みに圧倒されました。

札幌の宮の森も素敵ですが

政治の根幹、歴史の根幹に、7つの海の王者だった威圧感がある豪華な街でした。

その後、子供の英語教育を兼ねて、ハリウッドや、ビバリーヒルズに行きました。

日本の、神戸あたりにはこのようなお屋敷町が在るのでしょうね、、、きっと。

でも、、、私は、これはこれとして、

日本には豪華さは無くても、「思いやりの街」は沢山見てきました。

札幌も、、、てんでんこに、、、せだい交代の新築を許可するのではなくて

何軒かに空き地をつくり。雪置き場にするとか、、、孫子に時代には

きめ細かい美しい日の当たる、質素でよいから、、、

世界遺産になるような「思いやり配置の温かい平和の心の満ちた街」に

観光客が泊まれる日本旅館を、耐火建築で配置して、

世界中からの自然とともに生きる札幌への観光客の来た後、

ホームステイを申し込まれるような、思いやりの街づくりをしてほしいと思たりしています。

つらいこと、、、苦しいこと、、、腹の立つことが有ったら、、、未来に生かそうと思うのです。

これは、、、風邪をひいてしまって、、、日記をつけています。思う事日記です。

ここはべ―トベンの生まれた家だそうですよ!

 


何年か前の、NHKの最後の授業から、、、思い出される、、、命

2020-01-08 16:50:03 | Weblog

令和の初陽の中で平和を願っています。

いろいろのニュ―スの飛び交う中で

昔、放送された黒田教授の「最後の授業」の言葉が

断片的に思い出されてなりません。

人間とそっくりな「人型ロボット」に、PSを使って自分の脳の情報を

人工知能としてセットして、この講義を本人に代わってロボットが会場で講義するという

次世代に向かって進化???してゆくという、、、?

人間の生き残り進化を指していました。

有機化学の物質で出来ている生身の人間や植物は

沸点や融点を考えると、、、宇宙区間は行き来できません。

無機化学物質のような耐久力もありません。

それなのに、、、人間は「永遠の命に向かって行く、、、欲張りな生き物です。」

だから、、、どんどん、、、アナログから、、、デジタルに変えて行きながら、、、

人工脳、、、IT、、、スパコンと駆使しながら、、、

考える機械に、、、自分というアナログな心ある生き物の≪アイデンティティを託してまで、

永遠に、、、生きようとする「無機化学」に

向かってしまうのではないかというような

講義だったと思っている。

人間は有機物で出来ている以上、

120年ぐらいが最高に長寿を全うした人と言えるのではないか?

120年ぐらいしか持たない命を

ロボットという人工頭脳の「類?人間・・・・?」を創って、

鏡の中の自分が生き続けようとしているのではないか?、、、と。

阪大の黒田教授の最後の授業で離されていたように記憶の糸を辿ってみた。

人間の、、、本当の敵は「時間だったのかもしれない。」

欲が先行した部分を、時間が制御して、せだい交代させてしまい、

人間がお化けになるのを防いでくれていたのかもしれません。

地球という「エデンの星の上で、、、人は科学というリンゴを食べた。」

ノーベル賞は偉大だと誰もが称賛する、、、ノーベルの創りだしたものは

ロボットに行き着く、、、鏡の向こうの「千と千尋の神かくしの世界」から

もっと向こうのガードをくぐって、、、ロボットの世界にたどり着く。

無人飛行物が爆弾を落とし、核爆発物が地球を無機物に分解してゆく世界に

ロボットが、、、自分は人間だと思い込んだ人工知能を搭載させて

未来に向かっているつもりになる、、、

こうなってしまったら、、、地球に未来はないという事だけが理解できない人間で埋まってゆく。

正しいと人工知能が判断したことが「正しい」という事になり、、、

自動制御の道なき道」を無機物に変換しながら、、、発展と呼びながら、、、

マニュアル以外の操作ミスは、、、ありえないという、、、

宇宙に生まれたがん細胞のように、有機物を駆逐してゆく。

戦争は、、、もう、、、戦争と呼べないルールで動いてゆく前に

有機物を大切に、

歴史の中で、生き続けてきた日本の文化を

愛おしく大切に思うのです。

私は「命そのものだと思って生きてきた。」

黒田教授の最後の授業を思い出しながら、、、

子供を産み、育て、

        

不合理とも思える時間と手間暇で教育して

世間でもまれ、たたかれ、、、やっと人間になってゆく

心の時代に、生まれた私は「手塚漫画に出逢ったのは3歳ぐらいの時だった。

「譚?界?」という雑誌だったと思うが、、、漢字が思い出されない。

ロック冒険記が掲載されていた。

巨人ガランガラン。。。?と記憶しているが、

原子爆弾に目から鱗の日本の読み物は、

かぐや姫も、竹取物語も、昔話も、、、アメリカに追いつけ追い越せの教育で

大きく変わった。

「アトム」は言いました。

人間と同じ以上の事が出来ても、、、僕には涙が出ないのですよ。

アトムを創った博士と、お茶の水博士が向き合っているだけで

二人とも消耗してしまうシーンなど、

思い出されて、、、「生身の「命が愛おしい」

最後の授業を、、、なんで、、、思い出したのか、、、

イランも、アメリカも、中国も、ソビエトも、、、

母の胎内から10か月かかって人間になった赤ちゃんが、

多くの「愛」を受けて大人になったリーダーが

平和の尊さは、皆一番知っているはずです。

命のロボット化を、制御できる人間であるという

地球が健康な状態ではなかろうか?

日本は、地球の健康は戦争をしているようでは保てないことを

我が国に落とされた原子爆弾の破壊力を、世界に知ってもらい、

シュミレーションにして、、、「猿の惑星」の映画の様に

「ここは、、、地球だったのか!」と嘆かないように

世界のTVに発信して、平和の意味する、、、命を守ってほしいと思います。

孫子の時代に、、、人間の原子の部分が愛情を伝えて、人間という「心」を宿せるのだと

昭和生まれの私、、、75歳は、、、思っています。

マリヤカラス、

三大テノール

北島三郎

美空ひばり

スマップ

東京ロマンチカ、

、、、紅白の歌合戦。

イナバウアー、、、

スキヤキソング

コーちゃん

昭和の生まれがチャンネルを回すと画面に登場した多くのスターや

芸能人。

大川橋蔵の銭形平次から

きたおうじ欣也さんの平次、、、

静と花、、、

楽しかった75年間

これからも、、平和をください。

人間の心って、、、プリズムの様に

七色の光で、白い心が、、、平和を愛すると、信じて生きた75年間でした。

戦争は、、未来が見えない、、、


新年松の内のTVが楽しみ

2020-01-07 03:49:09 | Weblog

 

昨日は、、、キムタクの警察学校の教官と生徒の物語の後半を拝聴しました。

交番の巡査さんには親しみを感じて、気楽に相談したりしていましたが、、、

こんなに大変な教育をクリヤーして、、、道などを教えてくれていたのですね!

キムタクの存在感を感じるようになったのは、「武士」を演じた時からでしたが、、、

スマップの時代とはイメージが変わりましたよね!

存在感が有って、、、強さが出ていましたね。

 

さてさて、、、今日はNHK!!!

奇蹟の山富士山!

本当にありがとう!、、、富士山の見える東京に住んでいた頃が懐かしいです。

このような番組は、宝物だと思いました。

民間放送は、、確かに、、、面白く娯楽はありますが、

NHKの「奇跡の山 富士山」は

日本が、神々しい自然の恵みを受けた、

世界一美しい「奇跡の自然」に育てられた感性と、

恵みを受けた従順な自然の子であるように

すがすがしくも、、、圧倒される番組でした。

シジミチョウの仲間と、蟻の共生や、

3日しか咲かない山芍薬が、我が家の近くの水源地にも咲くことから

富士山は親しみも感じさせてくれました。

NHKの新年のTV番組に、圧倒される富士山の姿を魅せていただきました。

NHK、、、最高!、、、よ!、、、ありがとう!

 

  父母と兄が住んでいた静岡県の自宅。。。昭和11年~

父も母も、、、

雄大な心を感じさせてくれましたが、、、

富士山を観て暮らしたことが、、

、心を豊かにしていたのかもしれませんね!

 


雪の少ないお正月だった!

2020-01-05 06:59:33 | Weblog

 

例年は、正月は雪をかいていましたが、今年は、ほとんど、、、溶けてくれます。

スキー場は人工雪を降らせているとか、、、?!

新聞は広告で分厚い束になっている。

 

昨日の朝から、朝ぶろを楽しんでいると、

洗濯物を貯めてあるせいか、、、蓋が閉まらない。  、、、洗濯機。

明日は町内会の回覧板をとりに行く集いがある。

集会には、若い人たちが増え始め、役員をしてくださる人もあり

私のような年寄りは、、、若い人の姿を見ると心強い。

この町は、、、過疎化しなくて済みそうだから。

一昨年の北海道地震の時、我が家の隣の家がとりこわされて、

隣に、在来工法の「土屋ホームが建った。

東側にあったお隣さんの庭を無くして、道路に寄せて家が建った。

朝日が入り束の間の日照時間になった。

公園も、羊ケ丘も、焼山も、見えなくなった。

西側の大きく開けた駐車場に有ったヒバの木も

庭木は皆撤去されて、ひとまわり大きな家が建った。

若くて、頼もしいお隣さんになってうれしいのですが、

家を建てた業者は、ゆいいつ、わずかに夕日のハイル南側の境界に向かって

2台の冷暖房の排気を吹き付ける設計で家を建てた。

一台なら、静かな住宅街も、音に悩まされたり、

風に悩まされたりしないで済むはずだから、

二台並べて、我が家の南の庭に向けて、排気するのをやめてほしいと思っている。

札幌市の相談窓口に相談しても

確認申請で違反が無いので、音や、風は「民事」ですね、、、と

冷たい。

50年も住んできて、とりえは、静かさだけだった我が家の庭には

早朝から、排気の2台がいらつく音で風邪を舞い上げる。

Panasonicの機械の説明は

法律には違反していない音量であると説明してあるからと

現地での測量は省いた答弁である。

隣を建てた建築会社≪土屋ホーム≫の営業マンは言う。

しかし、

2台並べて、密着させて、

我が家の方向に吹き付けてくる音は

音叉の様に、増幅されているのか?

かなり大きな音になる。

ブロック塀は我が敷地内にかなり引いて我が家で建てたものであるが

二台の排気が間断なく吹き付ける送風の温度差は

10度以上の日内変動の中、雪が氷になったり融けたりしながら

ブロック塀を風化させはしないかと、心配になる。

地面に向けて排気するとか、自分の塀を設置して、吹き付けるとか、

建築設計段階で、業者は他人の塀をあてにして、排気する設計はやめてほしいと思うのだが、

営業マンには、会社への実績という数字が大切なのだろう、、、

12月までには何とかします、、、と言っていたのが

歳が明けると、、、、「お金がかかる問題だとか、、、」

二台並べた排気の機械の移動は12万円新たにかかるから、、、と

電話ばかりしてくるが、、、我が家の塀に吹き付けることを、

「規則違反はしていない。」、、、と。話が変わってきている。

買い取った方への保証期間が切れると、お隣さん同士の民事になると

仲良く、新入居者さんと暮らしたい町内会に、

民事裁判が入り込むのは、、、業者の建築の配慮で、避けることは出来るはずであると思うのですが、

市の窓口に相談しても、

日照の工夫も、音の事も、、、民事ですね、、、と。

50年間、、、南の陽当たりと、静けさだけが宝物だったここには

生薬学の、国際学会の時分けていただいた、「原種」が植えてあったが。

鉢に植え替えて、室内で、育てるようにしている。

当たり前のように思っていた日照が無くなると、冬の部屋には寂しさが漂う。

それでも、次男は結婚していないので、

定年した後は、ここに帰省してくるかもしれないので

大学進学の時の机も椅子も、本箱も、ドレッサーも

そのままにしてある。

小学校の時に描いた絵も、貼ってある、

リホームでもたせてきた思い出がいっぱいの家である。

隣との境界のブロック塀は120万をかけて、我が家で設置した。

一昨年の北海道地震で、

外壁は200万円以上かけてサイディングにして

モルタル壁は撤去したものの、

水道も、電気も引き直さなければ、

安心して住めない。

今年は雪が少ないので、助かっているが、

さっぱり南の冬日が当たらなくなった庭の雪は

融けてくれなくなるだろう。

目下、昼間だけ、使用しているが、

隣の排気の音で、今までの静かな安らぎで、庭を歩いたり

雪をかいたり、自分の専用の空間が、

音に、風に、乱されて

ストレスがたまる。

不思議なことに、、、お隣さんには若い人なので配慮しているが

建築した業者さんには「プロ」という認識があるので、

家を売るときは、お隣さんとの親睦も売るつもりで

地域の配慮がほしいと思った。

母屋の方は全く光が入らないので、昼間でも電気をつけることが多い。

全面には、大手の有名な企業で、評価も高いミサワホームが

南側の視界も光もシャットアウトした立派な家を南側に立ててから久しい。

離れは、東と南の光が入っていたので、

昼間は離れで過ごしていた。

それが、、、冷暖房の荷台の排気の音で早朝から、大きな音がする。

排気の機械は、並べて設置しないで、引き離して、設置するか

あるいは、、、した向けに排気するような固定器を

Panasonicの販売元で工夫するなどして、

「静けさだけが宝物の住宅街」の新築が増える世代交代に

ダイナミックな公的な視点から、

設置方法を、メーカーの方で指導するという

サービスは、

御隣同士の親睦から考えてもらう時代が来たのではなかろうか?

団塊の世代が定年すると、

新築家屋も増えるでしょう

地域の設計は

、音や送風の風や、設置の工夫で、

静けさは維持できるのではなかろうか?

 

隣の家を取り壊した空き地に、

まさか、、、日光も、静けさも、空気も

我が家の南側全滅の条件の家が建つなんて、、、

50年間住んできた静けさと

日の当たる庭が、

業者の思いやりの工夫で守れるはずだと思うのです。

 

排気の機械を二台並べないで離すと音が分散して、

方向も変えると、

同じ音でも気にならなくなるはずです。

当たり前の配慮を

お隣さんを考慮に入れた工法を

札幌市は指導してくださるという時代が来るといいですね。

      m(--)m

 

新年の目標として、町内の思いやりは、

札幌市の業者への小さな指導から、、、という、

「雪の解けない空間」を

日光を入れることで、幸せを確保の推進設計指導を

これからの世代交代の建て替え時期の課題だと、

騒音の庭に立たずんで、、、、ふと、、、

「見えない宝物って、、、静けさだったのだ」と、、、

思った元旦でした。

 

 


年賀状

2020-01-05 02:12:53 | Weblog

結婚以来、、、年賀状を書かなくなって50年経ちました。

年賀状は、字のきれいな主人の役になっているからです。

主人は、一年の感謝を年賀状に託して、恩師や友人や親せきに、

確りとして、気持ちを新たに、毎年書いてきたようです。

ずっしりと束になった年賀状を、

ポストから持ってくるには私の役ですが、

後は、、、主人の「年賀状文化の時間です。」

親戚には私の名前も入れて出してくれるので、

兄弟も、従妹も、甥っ子も、姪っ子も、、、主人と私の連盟の宛名でくださいます。

この時ばかりは、、、夫唱婦随です。

「兄弟妹の子供たちの進学に驚いたり、、、喜んだり、、、」

正月は、御年賀と、Tv、

そして、子供と孫と、お嫁さんと、、、皆で北海道神宮に行きました。

昔ながらの神社の正月は、おみくじや、お守りで、今年の健康と幸せを祈りますが

今回、、、「大吉が出ました!」

いくつになっても、、、おみくじの「大吉」はうれしいものですね。

そして、、、夜は、、、

キムタクの、、、TV、、、前編を観ました、

あんなに若かった、、、キムタクも、、、

存在感のある、、、大人の深遠な心の表現の、、、魅力が増して

、、、明日も、、、観ようと、、、思っています。

後編を、、、!

 

 


キムタク主演のドラマを観ました。

2020-01-04 01:15:19 | Weblog

3元日はゆったり過ごそうと、、、TVの前。

駅伝をずーとみていました。

順天堂大学は残念ながら、シード権がゲットできませんでしたが、

青山大学は、一番で、東海大が2番、、、

わが母校の日大よ、、、

ともかく、父の代から、正月は駅伝で、始まりました。

青春のドラマですよね。

 

 

夜は、キムタクのホテルマンに扮した刑事のドラマで、久々に、面白い視点の刑事ものを感じました。

味のある映画でした。

松たか子も、、、なかなかの、、、味のある女優さんになっていましたね、、、

時が、すごく経って、、、私、、、いつ、、、おばあさんになったのかしらね?

高校生の時の松たか子が、、、思い出されました。

キムタクも、、、大人になって、、、明日もみよーーーーと。

 


謹賀新年  今年もよろしく お守りください

2020-01-01 08:50:25 | Weblog

謹賀新年

 

              明けまして おめでとうございます

 

              昨年はお世話になりました。

 

                  今年もよろしくお願いします。