枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

ゴミにしない工夫

2008年10月01日 | Weblog
 野菜屑や、雑草をゴミにしないで肥料にするには、枇杷の根元に入れることだと気づいた。
 農薬をしないで自然の命を頂くのには、自分なりの感謝の意思表示をしたかったからと、尽きることの無い無駄を省くためでもあった。

 言い方をかえればものぐさ。横着者である。冬場に糠を入れるのも、枇杷に農薬散布しているとわかったからで、買って食べる者は、何一つ安心しておられない不安から。

 我が家のは一度も農薬をしたことがない。また、思いもしなかった。
 袋かけも市販品でなく、新聞紙で作る。面倒くさい気もしないではないが、孫に安心、安全なものを食べさせたい。

 どんなにたくさん採れても、農薬づけの枇杷など食べさせられない。まして、枇杷酒にする種や、お茶の花芽などもっての外である。自然が分けてくれるぶにを使っていれば充分であろう。

 この狭い箱庭に、なんと多くの生き物が訪れてくることかと驚く。カナヘビも、ヤモリも、蛇も居る。でもそれぞれに自分たちの食料だけを腹に収めて納得している。

 自分も含めて人間て欲深だなあぁ、と思う。金の価値ばかりいうし、物々交換は生活できないから、硬貨や紙幣がものを言うのだわ。生きることって大変なんだね。いまさらながら驚いている。

 世間の顰蹙をかうかもしれないけど、地球に住まわせてもらっている以上、自分自身なにかできると思うんですよ。故郷の山や田畑が、荒れ果てている。

 福岡さんの書かれているパラダイスはできないかもしれないけれど(手遅れで・・)祖母がしていた、なんでもありの栽培をやってみるのもいいかもな。三年寝太郎も、単に寝ていたのではないからね。

 何もしないようで、自然と話し、自然にわかったことだけすればいい。

 枇杷の枝や、葉を採った後の木を、備前焼作家に持ち込んで、造ってもらった器は、備前の土と微妙に混ざり合い、不思議な色合いを醸し出した。

 作家の見る目の確かさと(心)、枇杷灰が絶妙に溶け合った作品です。
 
コメント (3)
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