枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

身代わり

2008年10月20日 | Weblog
 このところ、なんとなく合点のいかない夢を視る。それを夢というには、また納得いかないのだが、目覚めて考え込む自分が居るのだから、やっぱり夢なんだな。

 誰が気がかりかといっても、同じくらいだから断定はできない。第六感でいえば、虫が知らせる、というのに値する。

 思い当たる人物を、一人ずつ思い浮かべて、違う人から外していく。(千葉の友人宅は、心配いらない)それが決定的になって愕然とした。

 白枇杷の苗の、後から芽が出てきたのが、虫にかじられて根っこがない!今、きれいに洗って、枇杷茶に入れた。何かあったのがわかるが、どうすることもできない。

 変えることは、意思の存在だけだからだ。自分もまた意思によって生かされているのだもの。枇杷茶を飲んでね、と言っても本人がその気にならなければ、言わなかったのと同じだし、新しい物にばかりで飛びつくのでは意味がないけど手っ取り早いからね。

 心が行動を起こして、続けなければ、やっぱりしないのといっしょだもの。単に飲んでいる、というのと、飲んで自分で治ろう、とする気持ちがなければ、いくら飲んでもだめなんです。

 枇杷が治してくれるのでなく、枇杷の持つ力を借りて、自分の持つ治癒能力を作動させなければ、治ってはくれないのです。

 花を育てるのも、料理を作るのも、きれいに咲いて、と願い、食べてくれる人がおいしい、と言ってくれるよう、心を込める思いがなかったらそうでなくなるような気がするの。

 それは、必ずしも相互関係が成りたたないことかもしれないけど、一方的な矛盾した思いかもしれないのだけれども、自分の満足感で終わったとしてもです。

 白枇杷の苗は、そんな思いを察してくれたのかしら?身代わりになることで、助けてくれたのね?声にならない哀しみが心にあふれていく。

 まるで走馬灯のように、近しい人の面影が揺れて過ぎ去って往った。

 一昨年の枇杷の花芽。ちょうどいま時分の状態です。
 初めて枇杷の花と知って、ひどく地味な様子にがっかり・・・。

 ところが、花からは想像できないような匂いをさせたのに、びっくりしました。
 収穫数は、300粒でした。我が家で枇杷狩りができようとは思いもしませんでした。
 
コメント
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