枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷づくし

2009年01月04日 | Weblog
 朝日は、東天に高く上がっているのだが、昨夜夜更かしをして、眼が覚めぬ。と携帯が鳴っているではないか。生返事で出てみれば、知人が枇杷の花芽を採っているよ。とのたまう。

 急ぎ車を走らせて行く。途中、神社がかなりあるので、警らの方が交通整理をしていて、ちょっとした停滞があった。知人は畑で待っていてくれて、取立ての野菜もたっぷりといただいた。

 ナイロン袋に入れる前から、枇杷の匂いがしていて、帰る道中は幸せな気分である。お礼に、千葉のRさんから送ってもらっていた、珈琲をあげたよ。Rさん、許可なくあげちゃったけど、たくさんもらったんだ。後でお茶にして、送ってあげるからね。

 きっと朝早くから、山に行って採って来てくれたんだよ。その難儀を考えれば、あのおいしい珈琲を、ご家族で飲んでいただきたくてね。こっちの都合で頼んでるしね。

 自宅から小1時間ばかりかかるんですが、山に行くだけでも大変なんだよ。あの珈琲で、疲れが吹っ飛ぶと思うのね。おまけに、水仙の花も、たくさんくださったよ。知人の親切、やさしさが心に沁みこんでうれしかった。この花が好きだって言うのを、覚えていてくれたのもうれしかったよ。

 どんな高価な花束よりも、持ってお帰り、と言ってその場で切ってくれたのね。ラッピングもリボンもかけてない、そのままの水仙の姿が却って新鮮に映りました。

 種田三頭火も水仙が好きだったようですね。枇杷でつながっていく不思議さに、杉田久女が居ます。彼女の発行した句集、『花衣』の表紙絵に、自筆の枇杷の絵が描かれてあるそうです。

 どんな枇杷の絵が描かれているのか知りませんが、強く惹かれます。福岡に行くことがあれば、訪ねてみたいと思います。福岡には行ったことがありません。松本清張の記念館や大宰府も、訪れてみたい所です。

 東風吹かば匂いおこせや梅の花、主なしとて春な忘れそ。の菅原道真を慕って翔けていった、とび梅が観たいものです。また、この地には、『エリノア』の作者も眠っておいでです。確か、私が、中学3年生の時に、週間『少女フレンド』の誌上で、衝撃的なデビューをされた方です。その後数ヶ月で亡くなってしまわれましたが、鮮明に覚えていました。

 今回、復刊された事を知って、躊躇せずに注文し入手しました。当時の物を持ってはいますが、手元に残しておきたかったのですよ。彼女の描いた内容は、美しさの原点は?というようなことも含めて、人間の生きている真実を問いかける話に、現代社会を取り巻く根本を、今ここにして、投げかけてこられたようで、もう一度考えてみよう、と思ったからです。

 多感な少女の頃には、愕然として泣けたことも、今は、心の奥深い箇所で、キリキリと針が刺すように傷むのです。昨年『七瀬ふたたび』の最後で、七瀬が全宇宙となっていきながら、みなに呼びかける。あのシーンと重なった。

 普通であることが、普通でいられることが、どんなにか幸せなことかしら・・・。醜いから、未知能力を持っているから、それがどんな想いであることか。普通になりたい、という想い。生かされていることの幸せを、心に伝えてきたことは、作品こそ違い、いっしょのような気がしたよ。

 帰宅して、花瓶の枇杷を活け変えた。前よりたくさんの枇杷を飾ったよ。花瓶がなかったから、硝子ビンにも入れたんだ。ほんとうに部屋中を飾って、匂いにうっとりしています。白い可憐な花弁が、そっと取り扱うのに、散ってしまう。それもまた儚げでありながら、枇杷のパワーになっているのだと感心しました。

 春先の、クリスマスローズです。白い花が陽射しに映えて、白夜を思わせるようでした。
 北欧の作曲家、シベリウスのヴァイオリンの調べが聴こえてくるようですね。
 
コメント
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