枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

討ち入り前夜

2009年01月08日 | Weblog
 大石内蔵助が、明日の深夜に決行するべく、最後の別れをそれとなくしていたはずの、何百年も前の、今夜です。そして今日まで、覚悟を決めてきたはずの、義士の中に変化が起きて、生きる道を選んだのも今日である。

 人の心というのは、定まらないのが普通かも。かくいう自分も、結構煮え切らないし、決めることがあると、その直前まで迷うに迷う。どうにか決めてからも、ああたらこうたら、思案してしまう。

 要は、判断力がないのである。勝手な時には決めれるのは、責任がないときだけである。当に優柔不断を、普段からしているのだ。自分でも呆れるくらい、物事が決められない。

 こんな生き方の体たらくでは、人生の先が視えている。ほんとうにやり直しが利かないからね。やんなっちゃうよ。寡黙で、いざと言う時に、潔く決めてみたい。まるで地に足が着いてない、というかいつも夢のようなことばかりを考えているのだ。始末が悪いね。

 え?なんでこんなことを、つらつら書いたかって。講習が始まっての、自己紹介で自分をPRすることとかがないし、考えをまとめようにも、いきなり指名されると絶句したのよ。

 今までどんな仕事をしてきたか、どうしてこの講義を受けに来たか、等を一応は言ったのだけれども、紋切り型になって、言わなきゃよかった。と言う後悔先に立たず。

 人間嫌いはダメと言う、その言葉に、妙に引っかかっていたから、咄嗟には頭に浮かばなかったのね。『ウォーリー』観に行かなきゃだめかな?

 針供養でしたね。最近は、お針ができないでも、一向に平気なので、こういう行事があることさえ忘れられているのかな?朝にはお飾りを下ろしたよ。どんと祭りが、孫の保育園であるので、持って行ってやらねば。

 子どもの頃は、早朝に祖母が鏡餅といっしょに焼いてくれ、学校に行く前に一口かじらされた。これをかじっておくと、夏に雷様にへそを盗られないのだ、と無理やり口に入れられた。

 おかしなものでそれを信じていた。かと言って、ゴロゴロ鳴れば、慌てて家に駆け込んで、蚊帳の中に入り込んだ。祖母のしてくれたことがやけに懐かしい。両親が老いて来て、命が消えようとしている今、思い出すのはたわいもないことばかりだ。

 バラの木の根元に地植でしている、淡路田中です。昨日の茂木の実を食べて、出た苗と同じ年数ですが、こちらは葉も大きく、日陰なのに20cmはあります。
 肥料もそんなに与えてないのですが、品種によっては、これだけの差が生じたようですね。
 鈴蘭や、紫陽花や、雪のしたなどがあり、夏古草が勢い育ってもいます。
 
コメント
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