枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

朝・天に懸かる虹

2009年02月01日 | Weblog
 昨日は、味噌を作る麹を買いに出かけた。軽四の車体が浮き上がりそうな強風に、安全運転で行く。帰宅しても風は止まず、火事にでもなれば、大変なことと夜半を過ごした。深夜もガタピシと煩い音がしていた。

 今朝、起きると治まって、出かける頃には青空がのぞいていた。と、空は晴れているのに、にわか雨が・・・。ふと天を見上げると、一筋の虹が懸かっている。その虹の上を、『わし、死んだんかぁ。』とつぶやきながら、天に昇っていく魂があった。昨日不慮の事故で亡くなったらしい。

 何も、天候の荒れ狂う中を、山に出かけて伐採しなくても。と思うような日に、よりによって往くとは。突然襲いかかった出来事に、納得したくなかったことだろう。けれども、肉体はしばしの時間も待ってはくれず、打ちのめされたことだろう。と推し量った。

 あの時、頭が痛くなり、耳に異常音が聴こえた。断末魔の叫び、というのはこんなものなのか。でも、知っていたとしても、助けられはしない。どうすることもできないのだ。助けられる命であれば、自ずと私の傍に居られるだろうから。自ら離れていった命に、わざわざ手を差し伸べてあげれるほどには、まだ己ができてはいない。

 ただ、神の意思に任すより、手立てがない。明日死にますよ。と言ってあげて、ありがとう。とは言えないでしょう?それよりも、何故、死ぬのか!?怒りませんか?だから決して、死を予知してはならないのだと思います。なぜなら神の領域でしょうから。

 枇杷茶がなかなかできません。材料は確保しているのですが、ほぼ毎日のレポート提出と、往復に気合が入りすぎているのかしら?後半に、人混みでの風邪をもらったのでは意味がありません。

 慣れない通勤に、気が重いです。日本の季節の変化にはありがたく感じながら、街中に集中する人口には辟易します。どうも息苦しいのです。マスクをしても、生命反応がありますから、精神波の影響を受け易い。

 でもまあ5日間です。我慢しましょう。枇杷茶を持って通います。弁当も持参しますね。外食は、どうも食材を信じれないので、おむすびだけでも作って行きます。安くておいしいのも、化学調味料での味付けでは、お腹を新幹線が走ります。

 千葉のRさんが贈ってくれた、強い味方の珈琲も入れて行きますね。インスタントとは思えないおいしさです。苦くないし、お腹にやさしいのよ。これを頂いてから、どんなに安くても、買う気力が無くなりました。

 お茶は、枇杷茶。マイコップを持って出かけ、何処でも安心して飲むことができます。環境委員も2年間し、実感としての実践です。お金があるから、便利だから外食でなく、自分の体や、みんなの地球を守っていかなければ。自分だけのものじゃないんだよって、思いますね。

 昨年、9月初旬。種を蒔いて、芽が出たパンジーです。苗で買っていないので、元気です。葉が多少は変わりますが塩を振ります。殺菌効果で、青々としています。種が悪いと、発芽しませんね。

 また、気象条件でも左右されます。プランターより、ポット栽培の方が、たくさん出るみたい。鉢植え枇杷の根元に、縁取りにして植えています。

 梅の蕾も膨らんできて、節分から立春への節目に、心が弾む想いです。
 
コメント
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