枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

泣き虫、毛虫

2009年02月02日 | Weblog
 実習から帰宅して、明日の段取り(節分)を嫁に電話する。と、何やら、事件が起きている模様。孫の保育園に行っているのが、ご機嫌で電話口に出て来ると、お姉ちゃんは泣いてる。折り紙が出来ないって、泣いとんじゃ。と早速言いつけよけいに泣かす。

 母親に叱られても、だって泣いてるもん。やれやれ。よう泣く。まあ息子は、苦手はパス(僕はできない。と直ぐ諦める)であったから、泣けるだけいいね。と心で想う。

 何とか電話口に出させて、○○は、箱が作れたね。おばあちゃん、わからなくてできないから、今度教えてくれる?と言うと、何?って反応した。え?折り紙でだよ。○○は、じょうずでしょう。忘れないように、教えてね。うん、いいよ。じゃあ、指きりげんまんって、見えないけど、約束する。

 初孫で可愛く、おぶい紐でおんぶをし、泣く前に誰かが世話をしていた。ところが保育園や小学校に上がってからは、一人でしなければならないことが、増えてき始めたことと、何にしろ、初めてのことで、できないことが、悔しいらしい。

 泣いて出来る訳ではないが、まだ6歳である。天才にはほど遠くて、考える余裕もなければ、兄や姉が居て、見よう見まねで、ということにもならない。親も、できる限り手出しをしないで、やらせようとしているらしく、根気比べである。

 答えを直ぐに用意するのは、簡単ではあるが、ほんとうに困った時、自分で考えて行こうとしないし、答えがいろいろあるのに気がつかないではないか。答えが無限大にある方が、発想の転換を起こさせる。

 惹いては、ノーベル賞候補になれるかもしれない。などと姥莫迦丸出しでにたついた。明日は節分ですね。立春大吉に孫は生まれました。東野圭吾もこの日だそうですね。作品としては、少なくないのですが、金欠であまり買っていません。某新聞連載の、映画にもなった、『手紙』は泣くことを忘れて読みました。後は『予知夢』ですが、経験があるだけに、心理描写に、ちょっと驚きました。

 どんな仕事にしても、資格を持っていればいい、というのではないと思えるのですが、学歴や資格だけをひけらかす人間は、こちらの心に平気で入ってこようとするので閉口します。う~ん。受け取り方にもあるかもしれませんが、あまり親しくもない間で、プライベートは言えない、と思います。

 例えば、あなたは将来、お金持ちになりますと言い、それだけで何もしなくてすませられますか?ここで自分をよく観察して、地道に努力をして行こう。と思えばいいけど、手っ取り早い方法で、株に手でも出して、すっからかん。ということもある訳です。

 そうなって逆恨みをしません?そういう人からは、オーラの欠片も飛んできません。思念、というか、切羽詰った想い、なのか。切々とした、断片が視えたりするとわかることがあるのです。でも、そういう人でも、公衆の面前では言えません。

 言葉の持つ魔力、とでも言いましょうか。波動の大小にもよりますが、悪い物をもらったり、いい物を盗られてしまうこともあるよ。また、他人の人生の運気を大きく変化させることは、新しい人生を創ってしまうことにも成りかねない。

 金銭的なことより、何人もの人生を面倒みていく気力はありません。で、言えないのです。責任の持てる範囲内でしかやらないのです。人間は、心があるのですから、それが伝わってこない方とは、ご遠慮申したい想いなの。

 手前が白枇杷。向こうが、茂木の赤枇杷です。方角は、北東です。茂木は、昨年にたった一つ実がなりました。花が、5枝ほどついています。さて幾つ実がなるかしら?

 白枇杷は、南に置いていた鉢を、地植の傍に引越しました。いっしょに居たかったのか、新芽をふいて復活しました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする