枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夢、春まだ浅き

2009年02月10日 | Weblog
 深夜に、じっとしていると、耳にいろんな気配を感じる。囁きが広がる。心の動きが視える。捉えまいとしても、次々に寄せては返す波のように、絶え間なく押し寄せてくるのだ。

 我が家が、宇宙と何処かで繋がるとしたら、この時間なのかもしれない。まるでベールに覆われて、十重二十重に織り成していく様はを体中で感じ取れるよ。

 千葉のRさんや、イタリアのMさんや、ここを覗いてくださる人の、私に害を加えようとしない意識に向かって、濁流の如くオーラが流れていく。無限のエネルギーが迸っていくの。
 耳が音を捉えて聴きはじめる。何等微かにも聴こえないようで、さざめきが広がっていくよ。

 ああ、星がうたっているのか。生命の喜びの声なのか。とても不思議な体験をした。明け方布団に潜って、目覚めたのは昼だった。宇宙をとらまえることなど、できそうもなく不可解な出来事ではある。

 どんなに説明しようとしても、共鳴しないとわからないであろう。研修で出遭ったYさんには、それができる。でも、Yさんだけだとエネルギーの放出が止められない。Yさんのことを想い、清らかで、凛とした精神波を持っている人が必要なの。

 お互いがお互いを必要とし、相反せず、胴体であること。そういう人が身近に居ますね。私の予知で視れることは、98%くらいです。

 以前Aさんに写真だけ見せられて、その人の性格や、運気を予想した時も、同じくらいで当たったよ。何もかも全てが当たる、というのはまず無理です。それには本人の努力が入っていないもの。

 そんな絵に描いた餅のような未来なんてあり得ません。どんなお話にも、困難を乗り越えて行ってこそ、結果があるということになってはいませんか?

 実技のレポートを書いて郵送しなければ、と思いつつ、仕事以外で出かけなくてもいい、という安心感からか、気が緩んだため、一向に書けない。

 夕方には、孫達を迎えに行って送り届け、夕食をよばれて帰宅。パソコンに向かっている状況です。雨の降る様が、暖かく感じれます。

 庭の球根がめっきり、芽を伸ばせて、春の日差しに変わっていくのを待っています。クリスマス・ローズが随分と大きくなってきて、近日中には咲きそうです。

 薔薇の新芽も、硬いままですが、うれしそうに陽射しを浴びていますね。そこかしこで、小さな欠伸が視えます。目覚めが近いことを知らせています。

 近隣の節分草。背丈は、僅か3cmほど。節分の行事を前後して、咲き始める可憐な花です。無料開放していたのが、近年は有料になった。

 露店を出せる場所もあるし、青空市を設置して、野菜を売れば、人が集まるのではありませんか。遠い山の中まで、行くだけでも難儀ですから、有料では止めてしまうのではないのでしょうか。
 
コメント
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