枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

偶然が重なって・・・

2010年05月11日 | Weblog
 此のところ、大気が不安定になっている。下弦から新月に向かう時には、亡くなられることが多い。満干潮も影響するが、単なる偶然ではない。また、新月から満月になっていく過程では、新しい命が誕生する。これは、古来から言われ、伝えられてきたことです。不思議な縁の話も、此処に紛れ込んだら、覚えているのかもしれません。

 Aさんの義母様が亡くなられたのも、偶然が重なったようにみえて、決まっていたことです。けれども、人間の生死は、なまじ誰にでも話せることでなく、最も言ったとしても、信じてはもらえません。そのAさんが、日頃から私が、聞こえない声が聴こえる。という超常現象を体験されて、話してくださった。

 お葬式の時の、読経に混じって、何とも清々しい鈴の音がした。と言われる。耳というのではなく、頭に直接聴こえたらしい。もう一つは、お坊様が戒名をつけられるのに、悩んでおられ、1回目の戒名には、拒否の反応が大きく響いた。と話され、2回目の戒名では、それでいいというようにチリチリと音がした。と故人の前で語らって居た時、Aさんは、義母らしい。とつい言われたのだそう。

 すると腕をやんわりと引っ張られた。と言うのです。で、隣の甥御さんに、引っ張った?と言えば、違うと返事され、その息子か?と聞けば、そこまで手が届かないでしょ。と不信がられたのだそう。じゃあ誰が・・・。義母しかこういういたずらはしない。ということになったそうです。その話をお聴きしながら、茶目っ気のある故人に、何となく笑みを誘われました。

 人は亡くなって、肉体を離れても、7日間は身内の周りに居るのだそう。故人を悪しざまに言ったり、心の中から憎しみが消えなかったりしたら、取付くのだそうです。憑依と言いますが、特殊な力を持っていると、時々そういったことに、巻き込まれます。前世での行いにも依るようです。同時に、必ずしも憑依されるとは限りません。其処には余程の精神力が必要ですからね。

 枇杷葉の実が、かなり大きくなってきている。雨に打たれているのを見ていると、青いままでかじられている。半分ほどがない。昆虫だろうなぁ。蛙があちこちに見える。ほんとうに気持ちよく、寝そべっている。目を薄っすらと開けていて、その顔は安らいでいるのだ。話しかけてみると、五月蝿そうに見遣る。毛虫もあちこちにいるのだろう。糞がたくさん落ちている。

 作物に農薬をかけるのを、ちょっとくらいならいい。と言うが、できればかけないのが好ましい。地球の温暖化が進んだり、生態系が狂ってきているのも同じで、そういった一連の積み重ねが、破壊をしていることに気づかない。自分は、少しだけだから大丈夫。と思ってはいないだろうか?人間の好き勝手が、今日の環境を歪めて、地球の滅亡を早めている。

 昭和の時代。戦後から状況は著しく変わった。山では木を伐り、海は埋め立てられ、土はアスファルトになった。まるで厚化粧だ。呼吸できなくて、どんなにか苦しいだろうに、そういった思いには至らない。古人は自然を敬い、恐れ、其処に生かさせてもらえることを感謝していた。利口ではなかったが、自然というものを知っていた。

 枇杷葉を眺めながら、何だか遠い日に、私は宇宙を翔けてはいなかったか。そんな想いがしたよ。鉢に移植している、昨年の枇杷苗。木丈は、20cmほどです。
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