枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

ナーガの杯

2010年05月25日 | Weblog
 リエさんの著作に書かれていることは、私が感じ取れることと、とてもよく似ている。リエさん、何時か言ったよね?あなたにも感じられる力があるよ。って。シーラにはあるけど私にはないわ。と返事が返ってきた。でも、この本を読んでいて、これはそういう力がなかったら、書けないんだよ。リエさんこそ、その者に値するんだ。

 私の分身のような物語。ああ、何度体験したことだろうか・・・。白蛇のカッと開けた口の中に吸い込まれたり、おまえを守ってやろう。と現れて告げた蛇神。そのことは、私以外には誰も知らないのです。それなのに、何故ここに書かれているのです?あの鬼の集まりで初めて出遭ったのに、何故あんなにもリエさんのことが気になったのでしょう?あなたの未来が視えた時、神は援けよ。と命じられたのにも頷けれる。

 なんという不思議な巡り会わせだろうか。リエさんのブログを見ていて、枇杷葉を植えてほしかったことも、やっとわかった。あの家に住まう者、縁者、身内。光が取り囲んでいるのが視える。枇杷葉を伝えることは私の成すべきこと。小さな命を育んでくれることは、新たなる力への受け渡しに繋がる。このことを解らせるために、私は一人、ひとりに枇杷葉を薦めていっているとしか思えない。

 Aさんのところに、約束していたので出かけた。足が異様にだるい。と言われる。無理もない、精魂込めての介護をされたのだ。自分ではしていたようでもないが、年齢や体力、気力は正直です。私の右手は左足に、左手は右足に置いていると、忽ち温かくなって、指先が痛いほどに波動が伝わる。1時間経過した頃、突然左肩から指先に激痛を覚える。その痛みや、鋭い刃物で切りつけられたか、無数の針をいきなり、一度に突き立てられたかだった。

 数分の出来事だった。Aさんに、左手を上げてもらったら、怪訝な顔で痛みがないわ。と言われるのだ。その分私の左腕は引きちぎれんばかりの痛みだった。体感するというのか、例えようがないのだが、実際痛みはあの時だけで、今は消えてしまった。寸でのところで左腕がなくなったか?とも感じられた。羅生門ではないが、神経の通っている生の腕が、もぎ取られてしまったような痛みだったよ。

 最近は、テレビに映る加害者を見ていて、嘘を言っているのか、真実かが確率的には当たるのだ。でも、証拠も何もないから、犯人だという決め手を欠くんだ。人間の心を読むのには疲れるね。猫や犬の方が和める。今日も、病気を治してくれてありがとう。と言う声がするので、じっと声のする方を見たら、猫が居た。Aさんところの猫で、腰が立たなくなっていたのが、普通に歩いていた。よかった、よかった!

 田中枇杷です。我が家の出窓の下にあったのが、スクスク成長して、木丈がぐんと伸びました。軒下まで届いていますから、2mにはなっています。葉が大きくて、1枚で2枚分です。我が家の枇杷葉で、充分な枇杷葉茶ができるのです。現在、生育中のもあり、1年毎に育ちゆくのです。
コメント
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