枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

常識、って?

2010年05月13日 | Weblog
 非常識とか、常識がないと言う人に限って、言葉の使い方がいい加減だったり、自分こそ優れていると勘違いしていることが多い。そういったことは、決して自分では言いません。自然と成し得たことで、風の便りに聴くものです。或いは、当たり前のことを、誰もができないからこそ、言ってもらえるのです。まさに、言うは易く行いは難し。なのですよ。また自分より他の人を、陰や小声で罵倒しているような人には、意識や価値観の違いがあって、同じレベルではありません。

 真の常識とは、自分もそうかもしれないとか、ひよっとしたら気づかずにいたかも、とか己を反省しつつ行いを正せる人のことです。難しいことは、噛んで含めるように、どんな言葉もその意味を理解していて、話せることではないかしらん?言葉のもつ真意を熟知して、簡単には口から出さないことです。決して特別なことでなく、当たり前のことです。それが常識というもので、無闇に言うものではありません。

 自然を知っており、風流を解せることでもある。そういう人は、他人を小ばかにしませんよ。地位や財力を自慢しません。そうする必要もないのです。自然が味方であり、守ってもくれる。風に雲に、雨に雷さえも自由に操れる。妬み、嫉みや疑い、無い物強請りをして、邪気を呼んでしまう。私には視えるが、誰でもに解る訳ではない。今に災いがやって来るでしょう。桑原、桑原・・・。拘りはもちたくありません。

 リエさん。ちゃんと切符は手配できました。同伴者も京都から、同席してそちらに向かいます。車中と着いてからの待ち時間も、二人ですからね。迷子にならないように、慌てないで行きます。愉しみにしています。AIちゃんのお祖母ちゃん。枇杷葉のこと、どんな質問も受けます。あ・答えられなかったらどうしよう。お土産はありませんが、枇杷葉の話ならできますからね。って、違うか?

 明日が新月です。このところ大潮ですから、枇杷葉の袋かけをしました。昨年よりは少し多いようです。それでも、5月になって、雪が降ったり、冷え込みがあるのには、充分な注意が必要ですね。旧暦を参照して、されるのもいいですよ。我が家の場合は、第六感でしています。何だかね、神がかりになっているの。願いが成就していくみたいで怖い。私の人生はこれからが始まりかもしれない。

 自分を知っておく。というのも、今日までの努力を怠らなかったから?いいえ、これからが始まりというのには、学ぶことをやっと許してもらえたようなもの。基本は、全て自分を知ること。壮大な宇宙の摂理、倫理には無駄がない。其処に至る時間さえ、瞬きする間のように心に伝わる。背筋がピシッと伸び、心を添わせて翔けさせる。とても不思議な時間の共有です。

 枇杷葉の実が、親指大になっているのと、小指大くらいのと、いろいろあります。大抵は1枝に1ヶです。中には、8ヶくらい生っているのもある。縁起がいいなぁ。苗の方はせっせと新芽を出して、背比べをしている。毎朝、庭に出て見る度にうれしい。顔が閉まりなく笑う。何だかね、自分の子どものような想いがするんです。ですから、苗を上げる時には、本当に大切にしてくれる方に、差し上げたいものです。
コメント
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