枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然のエネルギー

2011年07月01日 | Weblog

 枇杷葉の実が熟れている。通勤途上にもある。隣接する小学校の、体育館裏にもある。今年は豊作で、たわわに生った枇杷葉の実が揺れる。♪ゆりかごのうたをカナリアがうたうよ。ねんねこねんねこねんねこよ。野生の枇杷葉は、摘芽をしないから鈴なりで、鴉が狙っている。鴉は利口だと言うが、枇杷葉の実を食べるからだろう。

 明るい太陽の光か、それともやさしい月の光の滴か。きっとそのどちらもだろう。淡路島へ枇杷狩りに出かけた最初の農家で、お爺さんが教えてくれたのが、寒肥の糠と塩だった。猪が来るのだが、瑞々しいのと、味のばらつきがない。土は、軟らかくふわふわだ。品種は田中であった。その種も植えていたが、サンタさん枇杷だけになっている。

 リエさんやサンタさん、りささんに送ったのは、茂木枇杷です。1枝に2~3個がいいのを、そのままにしているため、粒が小さくなる。今年は、花芽の段階で、半分以上を摘芽したのだが、寒冷紗をかけたからか、枝が撓るほど生った。雨が多かったのだが、味が抜けなかった。自然が力を貸してくれたのだ。

 枇杷葉のエネルギーには、計り知れないパワーを感じる。我が家の枇杷葉を知っている人には、食べてもらうのは容易いこと。個数も納入期限も決まってはなく、自然任せで送るのだが、味には定評がある。それだけは自信を持って言える。唯、大勢の人に送れないのも、約束できないのも、相手が自然であるからだ。

 毎年、一日いちにちを祈りながら過し、一喜一憂しつつ、枇杷葉に葉や実を採らせてほしいとお願いする。自然の恩恵を戴くのには、常日頃の感謝以外にはない。決して、人間の都合勝手はなく、歓び、驚き、心配、案じての感謝である。自然のエネルギーとは、そこにある命を頂くことになるのだ。『いただきます』とは、そういう意味なのです。

 白いラナンキュラス。春の庭を彩る、様々な花が、色んな場所で、咲き競っていました。

コメント (2)
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