枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

相手の心を汲む・・・

2011年07月07日 | Weblog

 偉い人。というのは、一体どんな人を言うのだろう。財力や地位があることか。知識が豊富なことなのか。小さな組織の中では、どんなに威張った所で所詮は、井の中の蛙である。或いは、偽者の鴉に過ぎない。井戸の中の蛙は、世間知らずな蛙であり、孔雀の羽をつけて、美しく見せようとした鴉も、カナリアの声だけは真似できなかった。

 自分を知るということは、与えられている命を感謝し、風の声を聴き、光を感じ、雨の匂いを嗅ぐことで、その様々な色合いを、図ることにもあろう。自分の命を愛おしく思えば、相手のことも好ましい。愛情は、何時如何なる場合にも、押し付けない、与え過ぎないことに想える。況してや、心の歪みを正すことにもなろう。

 枇杷葉を知って、その活用法をいろいろ試してみて、自分にあったからといって、教えられる範囲は難しい。副作用もなければ、殆どの人に合うが、極稀に反応が違うこともある。信じる気持ちにもよるが、個人差が出るのは否めない。唯、自然の環境に於いては、土や気温、水に左右することが多い。何より、育む者の心がけが大切なのではないか。

 自然は、神である。そのことを祈り、感謝してこそ、恩恵を与えてもらえる。また、その心を相手に伝えたく思っても、屈折した心には届くことがない。自然の与えてくれる命には、金額は値しない。だからこそ意に添わないと息が止まる。けれども、人間でなかったら、いとも容易く捨てるのだ。それは何故なんだろう。

 テレビで、やらせをさせるのは、単に視聴率をあげるため。くだらない番組でも、観てくれなければ意味が無い。宇宙を見上げて、星の瞬きを心に留めるのは、自分の意思でないと観れない。その想いの差が、心に影響するのは、わかってはいても、楽であったり、簡単な方を選ぶものだ。苦しいことや、日数や年数のかかることには向き合わない。

 桃色のミニバラ。お菓子のような色が、食欲をそそります。

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