最期まで、枝にあった枇杷葉の実を採る。1枝だけは、なぜか熟れていず、袋をかけ直す。とてもきれいな粒で、輝いている。Aさんも実を捥いで、焼酎に漬けていた。レモンと砂糖を入れたジュースもあった。我が家のは、どの粒も腐るということがなく、甘酸っぱさが特長だが、Aさんちのも、種だけもらったところのも、枝で腐っている実があると言う。
我が家のは、糠と塩だけの肥料だが、どうして違うのだろう?待てよ、同じやり方であっても、土も空気も温度や水分だって異なるではないか。自然の物は、自然の力を貸してもらうのだ。同じ条件ではない。最も大切なことは、恩恵を感謝し、収穫の歓びを分け合うこと。そうでなく、できすぎたことを毒つけば、自然の怒りをかう。
人間は、決して何も創り出せないのだから、神に祈り、感謝することを忘れてはならない。然も、心からの想いでありたいもの。だからこそ、我が家の枇杷葉は、食べてもらいたい人に送っている。皆で分けてこそ、美味しさも増す。りささんは、ご実家に持っていかれたそうだ。すみませんね。お隣から戴くらしいので、どうしようかと迷ったのです。
枇杷の種つるりと二男一女かな 某新聞の季節の句だが、なんともにんまりとしてしまう。枇杷葉の書画を描いているが、杉田久女。瑞々しい上に艶やかな枇杷の実だ。つい、手が出そうになる色合いです。白枇杷は、今年は3粒でしたが、果実に少し濃厚さがありました。白枇杷の結実の待たれたことが、感無量の想いです。
梅雨明けを待って、お礼肥えを遣りましょう。種も、艶やかな輝きです。他所でいただいたのは、虫が入っていたり、腐っていたりしていますが、我が家のは、種からも微かないい匂いがする。神さまのおわします庭でしょうか。桑の木にも感謝です。Aさんがジャムを作ってくれましたが、美味しいのです。舌触りが最高です。
鉢植や、地植にしている数本の枇杷葉。今年は3年目です。木丈は、1mくらいです。庭中が枇杷葉になっています。