一昨日、昨日、今日と三日続いて、夕立があった。祖母が、夕立は続くと言っていたが、まるで父が泣いているように思えた。それも号泣しているような・・・。無理もない。体が不自由になって、母には面倒が見切れなくなり、兄達は一言の相談もなく、住み慣れた家を離れたくなかった父を、遠くに連れて行った。
母と離されて、生きる希望を失った父は、食事をしなくなった。遺漏になった。その時点で、病院に収容された。父の住まう家は、母と一緒の古里だった。生まれ育った家ではなかった。介護の仕事をしていながら、父の世話ができなかったことが悔まれる。母とゆっくり語らうことも適わなかった。
父も母も、肉体は消えたが、感じることも、視ることもできるのは、とても幸せだと思う。輪廻転生と言うが、魂は神の意思の中で渦巻いている。あれは私の思念かも知れぬ。遅かれ、何れは往き着く場所だ。畏れ敬い、或いは神々しさに眼の眩む思いで祈るだろう。今までもこれからも、一心に。
夕顔が咲き始めている。何処からともなく匂いが漂ってくる。白い大輪の花が、ゆっくりと開く。花は大きいけれども清楚な姿である。まるで、白い貴婦人だ。これから舞踏会に出かけるのだろうか。薄墨の濃くなる夕空に、背筋を伸ばして微笑み立っている。ギリシャ神話の女神のようでもある。
枇杷葉の新芽が育っているが、あちこち齧られていて、軸だけになっているのもある。バッタを始めとして、螳螂も、ナナフシに、尺取虫と続く。蛙や蜥蜴は、そういった物を餌にしようと住み着く。枇杷葉の葉の上が、ひんやりとしているのもいいのだろう。蛾の幼虫や、ウンカの蛹は、葉のエキスを吸って育つ。自然での共存とは、厳しい。
皐月。新月から三日経った月。西の空で、街灯に負けないで輝く。