庭のプランター仕立ての、トマトが熟れ収穫する。真っ赤に色づき瑞々しい。青い実を取って置き、色をつかせるのとは違う。旨い!朝は、パンに乗せて食べ、昼のソーメンに添えた。野菜にも旬がある。こういう幸せは、お金では買えない。
連休には、もっぱら庭の花木の水遣りが待つ。日中の真っ盛りだと茹るので、朝か夕方になる。風呂の残り湯を汲み、足らないのには水道である。井戸がないのでしかたない。最も水源があっても、生活汚水で使えない。
井戸水は、夏に冷たく、冬には温かい。また、清水は龍が護る。こういったことも、見えないのではなくて、観ようとしない故、わからないだけだ。迸る水源を操るように、小さく姿を変えて居る。感じれば視えるのに。
枇杷葉の実は、木から外したが、食卓には十数個ある。枇杷葉の木を、灰にした物を混ぜた備前焼の器に入れている。なぜか日持ちが良く傷まない。今年の梅雨では、味を薄くし逃がしたが、甘酸っぱさが美味しかった。
他所からもらったのは、甘いだけなので、外れると味が無い。苗木は花木店で買ったそうだが、手入れをしないと自然に返る。それと、話しかけたりしての、心を通わせないと、ほったらかしではそっぽを向かれる。
枇杷葉だけではない。自然の命を戴く、ということは、本来は感謝する者にだけ与えられること。誠心誠意が通じることにより、その恵みを分けてもらえる。お金はその代償にすぎないが、儲けることが目的ではない。命とは、その重みを感謝することでもある。
今年も、実をつけた猿梨。甘酸っぱさが美味しい。カメムシやバッタが狙っている。