枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

再生のエネルギア・・・

2011年07月13日 | Weblog

 戦後の復興には、電力は欠かせない存在だったが、四季折々の暮らしから遠ざかり、原発を容認してきた。その結果、人類には見えないところで、地球は変化せざるを得ない星へとなった。地球こそ限りのある生命体です。人類など、勝手に巣作っている邪魔な生き物ではないのか。地球は、怒りを超えて呆れ、嘆き、嘆息して、決断する。

 再生しよう。生まれ変わらなければ、死んでしまう。全神経を集中させ、波動を起こす。その周波数は未知数だ。蝙蝠は、暗闇の中でも、自分の周波数を持っているから、決してぶつからない。原発の出す不快音が、地下に潜り地殻の変動を起こす。満月に近くなった時、その波動が地殻に到達していれば地震になり、津波が起きる。

 人類の未知なる世界には、宇宙という分野も、棲まう星にも当然あろう。或いは、この体にも、知らないことが多くあるのだ。自然を侮ってはならない。夏の暑さを凌ぐには、旬の物を戴く。冬の寒さにも、春の芽吹きや、秋の収穫にも、其々の意味がある。便利さの裏には、人類の災いが待ち受けていることに気づかねばならない。

 豊かな暮らしとは、分け合うことかもしれない。個々の者の持つ能力を受け入れ、自分のできる力を貸して、代わりにもらうこと。感謝すれば暮らしは成り立つ。自分さえよければ。と言う考えでは、人となりは成り立たないようにも思える。命は、神の与えたまいしもの。生まれた時、既に決まっている生命体である。

 病に打ち勝つのではなく、そういった侵略者を体内に取り込んで、お互いの条件で折り合うことが、生きていくことかもしれない。人間は、一人では生きられないのであれば、尚更であろう。生きるということ、再生力には未知なる分野が秘められている。即ち、自然の適応力。枇杷葉の実が、夏場に熟れるのにも、自然での条件が揃うから。

 命が育まれていくのには、冬の厳しさが必要で、その種類によっては、条件が整うからだ。木に栄養が行き渡り、花が咲き、実を結び、熟すまでの期間が、其々に異なるからだ。自然の掟には、何もかもが一斉にでは不便もある。ちょっとづつ時間をずらせて、収穫できるよう取り決めているのだろう。

 可憐なピンクのミニバラ。バッタに食べられては、健気に蕾を咲かせた。

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