枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

大きな桃が、どんぶらこっこ

2011年07月29日 | Weblog

 佐藤さとる氏の作品に、『宇宙からきたかんづめ』という中に、タイムマシンは川に落ちた。という物語がある。この設定の桃太郎の話に、なるほど・・・と、酷く感心した。作者の語り口も面白い。児童文学は、対象が子どもだが、大人でも充分楽しめる内容です。是非、読まれますよう、一読をお薦めします。

 暑い一日だった。まさに盛夏である。遺体があるので、部屋の中は寒すぎる20℃の設定で、外に出るとほっとする。午後からの葬儀なため、弔問者は汗だくである。寒がりの父であったので勘弁願う。祭壇上には、勤務先の生花が目立つ。それなのに弔電まで戴く。この上ない弔いに頭が下がる。

 葬儀は滞りなく進み、父のお骨を拾って安堵する。帰路、西方浄土に向かう父が視えた。お疲れ様。安心して遭いに往けます。生きるということは、どんなに辛く苦しかったでしょう。生前の父は好きなことをさせてもらってはいたが、何分養子で肩身が狭かった。仕事をしながら、休みの日には百姓である。

 戦争があったがために、苦労の多かった人性であったと思う。その困難な時代を、それなりに生きてきたことは、幸せなことでもあった。父の立ち居振る舞いが思い出される。早くに両親を亡くした父には、甘えるという所作が足らなかった。怒鳴ったり、つっけんどな態度は、子どもに嫌がられるのが理解できなかった父だ。

 母が亡くなった時、父の傍に来ていた。父は母が、母は父が居なくては、淋しかったに違いない。今頃は、遭えているかしら。これからは、父の命日にも、お参りしよう。職場の皆さまを始めとして、勤務先の丁寧な供養には、力強いものを感じた。心が砕けそうな想いでいる時、支えてもらえるのは、何を於いてもありがたい。

 撫子は、何処にでも咲いていた。好きな種類は、川原撫子だが、これもすて難い。

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