枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

生きるとは、覚も残酷なり。

2011年07月12日 | Weblog

 福島の放射能汚染は、一向に収束しない。それどころか、避難生活を余儀なくされる高齢者が、自らの命を絶った。足手纏いになるから、お墓に避難します。とあった。あまりにも酷く言葉が無い。それなのに原発を、再稼動しようとは!自分だけの私利私欲であることか。

 今回の地震から4ヶ月経つ。その間に、震度は違うが、頻繁に地震が起きた。決して余震ではない。先日はM7.3だった。もう、原発に頼るのは止めよう。機械による快適な生活は、日本の四季を失くした。夏の暑さに拍車をかけ、冬の寒さに異変を来たした。

 自分たちの手で、豊かな自然を壊し、不自然な生活を快適と信じた。五体満足な体がありながら、便利さに慣れ、病気になっていった。どれ一つとっても、満足することも無く、不平を並べ、文句を言い放つようになった。間違いに気づいたら止めよう。

 コンビニはなくても生きていける。無ければ却って、計画し備える。工夫することを考える。捨てないで活用する。枇杷葉には無駄がない。どの部分も最期まで使える。認知症などというものも、便利さが作り出したようにも思える。増え続けることが、そう思えてしまう。

 電話も、固定電話であったため、用件をきっちり聴かないと、えらいことになった。不便さが考えることをさせた。どちらがいいとか、何が間違っているとかでなく、体は使わなければ、動かなくなる。掃除機も使うのはいいが、ゴミは捨ててちょうだい。

 どんなことも軽んじてはいけない。真面目に行い、誠心誠意を尽くそう。世の中に、どうでもいい人間は居ない。役に立たない者も居ない。唯し、自分だけが偉いのでも、優れているのでもない。優劣、陰と陽、大小、短長、これらは相反する。共存するもの。

 枝にたわわに実った枇杷葉。小粒だがとても美味しいのです。

 

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