枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

月命日参り・・・

2011年07月23日 | Weblog

 Sさんの毎月の墓参りに、可能な限り通っている。花を持って行っても撓れるので断念し、お菓子にした。Sさんの居る場所は、日当たりもいいし、駐車場からも近い。お供えをして枇杷葉茶を注いだ。隣の墓には、Sさんの義伯母さんも眠る。最も最愛の息子の傍に居るが。そこにも同じように供える。

 墓所の周りに生えている草を抜く。手を合わせてお願い事をした。拳骨で殴られた耳が、どうにも気持ちが悪く、落ち着かないのだ。原因は、よもやという出来事でなった。殴った人を諌めても、或いはどんなに話したところで、これまでの人性で思うようにしてきたのだ。直せるものでもないだろう。

 安易に他人を殴れるものは、人間としての価値がない。腹が立つから、やり場がないからという理由だけで、簡単に暴力が揮える感覚がわからない。理性の欠片も無いものは、畜生にも劣る。人を殺めたり、説明できない憤りだけで、何故簡単にできるのか、理解に苦しむ。いくら後悔をしていると謝っても、奪われた命が還る訳ではない。

 況してや、心に深い傷を負った者には、言葉を幾ら積み重ねて償おうとしても、溝は愚か、ひび割れた箇所は、決して元には戻らない。お金など何になろう。還してくれるなら、時間を元にしてほしい。お互いが出会わなかった頃に。生きるという厳しい現実は、気づけなかったことを、蹈鞴を踏んで思い止まらせているようだ。

 Sさんの墓参りを済ませて帰路、急に耳鳴りが止んだ。とても不思議なことだが、ざわめきが消えたのだ。なんだかふんわりとした、軟らかな手が撫でたようにも思える。頭の痛みもなくなった。きっとお蔭でしょう。これからもできるだけ行ってあげよう。心が休まってほっとします。心のままに行けるのがいい。

 家の中に居ると、とても涼しい。夕方になったので水遣りをする。胡瓜とトマトが元気がない。百日紅とカーネーションが咲いている。ランタナは、暑くないのでなかなか咲かない。朝顔も少しだが咲き始めた。夕顔の蕾も見える。ベゴニアを挿し芽にしたら、全部ついた。色々で群れてきれいです。

 くぅ・・・と、もがいて腕の中で逝った。いつも愛用していた羽根布団に包めてやる。膝に抱き上げると、まるで眠っているようだった。銀河、長い間ありがとう。これからは、外を思い切り翔けれるよ。以来、うれしそうに出入りしている。

コメント
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