新緑の美しい季節です。枇杷葉も新芽を出し、一呼吸しているようです。1週間前に出いた新芽は、霜にやられた。毎年のことですが、何故、霜に合うのがわかっていて芽を出すのか?とても不思議に思う。ひょっとして先発隊の役目だろうか。
昨年、寒肥に糠と塩を入れたが、今年は止めよう。どうも木が弱るような気がする。肥料も入れないのがいいようだ。自然に抗うことなく、任せるに限る。木村秋則さんの言う、自然栽培には、その力を借りて行なうのがいい。とある。
人間は、何かと言うと、自分勝手の考えになる。枇杷の実を生らせるのは、枇杷葉の木だ。私ではないことに勘違いする。きっと要らぬ世話と思い、今年は実を生らせないのだろう。自然に任せることは、意外なことが多いことも。
感謝することも同じで、食べれるからしめしめと思い、枇杷葉の気持ちには添っていない。そこを見透かされて、今年は花芽をつけて咲かせたが、殆んどが落ちてしまった。この閏弥生に入ってから、ぼろぼろと落ちている。
桑の実が鈴生りである。これはジャムにする。Aさんのリクエストでもある。自然の采配には、人間のことよりも、植物や動物の子孫のことが第一。それには人間の勝手は含まれていない。だからこそ、そのことに気づいてほしくて、地震を起し、津波で警告しているのだ。
自然災害には、元に還る物があるが、人災には何等ない。人類の造った物は全て武器になる。使いようや考え方にも因る。至るところで改良が行なわれているが、人体に及ぼす影響は計り知れない。だがそれらは眼に見えない。
米も野菜も果物も、何等かの薬害を被っている。だが然し、それらを行なうのも人間である。豊かな暮らしの裏側には、知らないでは済まされないことも。調べて知っておかなければならない事実もある。原発を再稼動する、真実の理由を知ってほしい。
春先に咲き始めたアネモネと、2年物の枇杷苗。