このところの気候は、暑くもないが、寒いと言うほどでもない。それなのに、冷暖房をつけるのにたじろぐ。体の温度調整は下より、季節感はないから、手元にあるスイッチを弄る。部屋はムンムンしており、窓も閉めたきりだ。
外は、気持ちの好い、薫る風が吹いている。窓を開け、新鮮な空気を吸おう。汚れて澱んだ空気が溜まっている。何と不潔であることか。快適な暮らしをするどころか、病気を作っていくに等しい。況してや、エネルギーの無駄使いは否めない。
原発に依存しなくても暮せる、人類の棲まう、地球の平和を考えよう。自然を蔑ろにしていると、何時しか棲む場所を、汚しているのに気づかなくなる。原発を稼動させれば、核のゴミは増え続ける。再利用にも、埋めてしまうのにも、甚大な時間と金がかかる。
天空現象は、古代からあった。邪馬台国の卑弥呼は、そういったことが異常に予知できた。だが然し、不老不死の体は手に入らなかった。人の生き方は多種多様でも、産まれてくれば、死ななければならない。
イエスも、仏陀も、親鸞も、西行も然りである。死を恐れぬ者が居ようか?人間は、予期せぬことと死ぬのを嫌がるが、小さな虫なら簡単に殺せる。自分で殺さないまでも、気持ちが悪いや、怖いと言って他人に殺させる。
子どもの頃、毎年祭りには家畜である鶏が、1羽祖母の手で絞められた。祖母は、手を合わせ何事か呟き、鶏が暴れないように捕まえる。そこにはきっと、家畜であろうと自分達の為に、命を戴くことへの感謝の気持ちがあった。
今は、家畜と共に暮すことは少ないが、当時は牛も、鶏も、兎や山羊も居た。軒や屋根を悠々と這うネズミトリもいた。犬は無論、猫は自由気儘に同居していた。野のものも神出鬼没で、それらに農事を読んでもいた。
満開のクリスマスローズ。我が家と相性がいいのか、どんどん増える。