昨夜は蒸せる度合いが大きく、寝苦しい一夜であった。案の定、雨に庭木や道路も濡れている。明け方近くまでうとうとしていて、ちょっとの眠りとなった。起きねば、と思いながらも、油断してしまった。おかずの用意はしていたので、何とか間に合ったが頭が重い。冷房の温度設定は換えず。
すばるの居る場所で、心地好いところが判る。冷え過ぎたら出窓に移動し、暑くなればここに来る。或いは廊下で身体を冷やす。猫の習性と言うのか、実によくわかっていい。飼い主は蒲団を引き寄せて、寒さを防ぐばかり。衣類も気をつけて、着替えてはいるが汗が出るくらいが好いのである。
初夏の頃が、丁度梅雨時期に重なるのと、これが日本の風土であり、特色でもある。湿気の多いのは仕方ないこと。昔の建築では、漆喰であり、材木の吟味で建てていたのが、近年は季節を選ばず、一日で家が出来るのだからたまげる。秋口から冬にかけての建築で、真夏に等建てなかったもの。
大工さんが、棟梁が消えてしまい、建築士と名を替えた辺りから、建て方が可笑しくなって来た。加えて、基盤の整備が出来ていないのを、どんどん建てていく。住んで暮らしていけば歪んでくる。でも、専門出ない限り分からないものだ。これらは自然からの力の前には、崩壊してしまうのだ。
人間は、自分独りでは何も作り出せないし、創ることも不可能だが、あらゆる命を奪ってすれば、遣って除けることも可能。同時に、自分がそういう残酷さを行っていることには気づかない。科学も化学も、人間の頭脳の果ての結果で生まれた。脆い上に儚く、残忍で凶暴でもある。厄介な生物。
だが、そういった行為を、あらゆる分野で平然と行う。人類が助かればいいで、人類の為なら許される、と解釈する。辺野古の埋め立てには、尊い命の数々が消えていく。元に戻せるとでも思うのか、はたまたそういったことには、人類を優先するのであろうか?地球の汚染を取り戻せるのは…
枇杷葉の苞が、徐々に開いていき、白い花弁が覗いて来ると、そこら中に芳香がわきたつ。