二十四節気 夏至 太陽が、黄道の北端を通る日なので、北半球では一年中で、最も昼の長い日となる。暑気も厳しくなってくる。毎年、六月二十一日頃である。昨夜に、降った雨でに地面が濡れている。雷も聞こえていたが、遠くの方であったため、そのまま転寝をしていた。疲れが溜まっている。
蒸せること夥しい。網戸にすれば更に暑く感じて、すばるの様子もあり、冷房を点けた。室温は28℃で変えずにする。試運転の時には30℃でしたが、やはり無理があるようで止めた。湿気を取り払うのであるから、これで充分な温度なのだ。車も、同じように設定している。冷え過ぎは好くないと。
夏至も、地球の位置にも由って、其々の国の太陽からの近さにもある。一年中で最も早く陽が昇り、昼の時間が長いと言う白夜は、北欧の彼方のこと。氷に閉ざされている国ならではのことで、人々の待ち望む気持ちも大きい。きっと、この日ばかりは月の女神も遠慮するのだろう。短い休日かな。
昨日は、破れた袋を付け替え、5袋程を捥いでみたが、未だ青く硬いので止めていた。今朝は、白枇杷を1袋だけ採り、両親に供えた。古里までは難儀なため、お茶湯の傍に供え詫びた。足元も悪い上に蝮もいるので、一人では心もとない。今年は、藪の枇杷葉が花芽を付けていたが、結実した?
休みも、連日なのと、一日だけでは疲れが違う。年齢的なこともあるが、介護の業務は無理になってきている。年金だけでは暮らせないし、蓄える等どうやれば?貯蓄の手本が姦しいが、あれは政府のやらせだ。それくらいで貯まるなら、とっくの昔にできている。元がないのを節約と倹約である。
庶民の感覚であれば、年金を増やせないで、老後を暮らす等無理な話だ。嘘ばっかりのいい加減さにうんざりである。金銭感覚も鈍いし、他人のことだから平気なのだろう。国債は増える一方だし、一体誰が遣っているんだ。私腹を肥やすことには長けているが、庶民の生活には無頓着な政治家だ。
花芽が咲き出すと、思わず佇んでしまう。人工的な臭いには閉口するが、自然の匂いにはうっとり。