現代のようには、情報が伝わらないから、戦争の状況がさっぱりだった頃、それもデマでの伝わり方には、一種の脅迫感もあったかもしれない。多くの犠牲者は何等罪咎のない庶民である。ざわざわざわわ・・・さとうきび畑に風が渡り、銃弾が飛び交う。逃げた場所は海の中であり、強制的な集団自決。
惨いとしか言いようのない戦を、今は機械を使って遣ろうとしている。人類だけの棲む青い星ではない。半ば、人間の犠牲となる微生物や、植物の数々がいてこそ、生きていることに気づこう。沖縄の海には、そういった魂も眠っている。辺野古の海にも、目には見えないだろうが、感じる想いは残るが。
このところ、天気の不安定さが続いて、激しい雨に雷が鳴る。くわばらくわばら…と天を見上げるものの、自然の成り行きを季節の移ろいに置き換える。紫陽花は無論、南天の花、梔子、銀梅花が花を咲かせる。そこに枇杷葉の袋が、さも重たげに実をもたげながら熟れていく。湿気が強い今年の梅雨だ。
白枇杷も少しずつ熟れだしてきた。東南のある枇杷葉は、3年程は育っていたが、途中で枯れ、気づけば新芽が出て復活したもの。品種が違うのか、中々熟れてくれない。然し、野鳥のさえずりには、狙いと待ちぼうけの感が伺え、けたたましさに圧倒されるばかりだ。すばるも、狙っているが出られず。
来月までは朔は一度だがまで、文月から葉月では、新暦の始めと終わりに来る。これは旧暦の場合、月の満ち欠けで成っているからであり、29日間の計算のための起きる。時には、30日の月もあるが、曜日での計算ではないからだ。従って、閏月が入ることも有って、13ヶ月となることも珍しくない。
日曜日は献立を作る日なので、結構多忙でもある。本日は三色丼である。手順の関係で、間違わないようにしなければ、そろそろ出かけよう。同じ経費で作るのだが、失敗は許されない。安く美味しい物を提供するには、経験と勘がものを云う。然しながら、恐怖の一日でもある。頑張らないでやろう。
蛙も、あちこちに止まっている。最近は、余り見かけなくなったが、保護色に転じて隠れている。