枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

人類の驕り

2019年06月07日 | Weblog

 世界環境日は、その日だけではないのに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、の諺で、花の夜間照明を平気で行う。花の許可をもらいました?植物は喋らないからいいのでしょうか。或いは、人間優先で、夜も観に来る者がいるから、明かりは必要と嘯くのですか?人間に、昼夜の区別なく働かせるのと同じ。

 夜には眠りたい。自然の掟を破って迄も行うなら、そのしっぺ返しは必ず起きる。地震も津波も、気温の不安定も、皆人類がやって来たつけだ。これが人災でなくて、何であろうか。便利で快適な生活の落とし穴は、様々な所に潜んでいて、徐々に現れてくるのだ。それを自然のせいにはしないでほしい。

 環境を太古から維持できる程、人間は優しくもない。自分に都合よく考え、邪魔な事は取り払い、生活に必要とばかりに変化を求める。金銭的なことで解決を試み、ばれないように物事を推奨する。ばれれば白を切り、うやむやに隠し、無かったことのように言い繕う。自分解釈ばかりが横行し罪は転嫁。

 ベルマークを集めている、という職場の者に、大量に渡してやるが、然したる感動は少ない。他の者も、一体何処にあるのかが分からないと言う。そりゃ、関心が無ければ無理でしょう。わたくし等、どんな小さな箇所のも、切り取ってしまう。これで学校の物が買えるのだ。印刷物でも粗末には出来ない。

 地球の事を考えたり、日々の暮らしに取り込むことで、維持していける方法を探すのは、人間に課せられた義務ではないか。生き物の中で偉い存在なら、何をしてもいいという認識は間違っている。地位も金も持ってはいないが、心の豊かさは持ちたいもの。辺野古に基地は要らない。沢田研二さんの歌に。

 タイガース時代よりも、ここ数年の沢田研二さんの方が、親しみが湧くし、歌詞や作曲の意味に共感する。憲法も9条は、絶対に変えてはならない。自分だけではなく小さな生き物にも、命は宿っているのを忘れない。物云わぬからと、権利や立場を強行してもいけないのだ。家庭の根本が崩れてしまった。

 11月頃になると、正しく芳香に包まれる。毎年、苞が見えると心待ちになる。当たり前を感謝。

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