枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

膨大な金額に・・・

2020年12月09日 | Weblog
 政府の戦争への意欲には、背筋が凍り付く思いがする。イージス搭載の2隻を買うとか決定したようだが、何を根拠に戦争への路を進むのか。地球は、人類だけの棲む星ではない。コロナで大騒動の時世を、庶民はどうやって生き延びるか頭を悩ませているのに、大枚を惜しげもなくアメリカに払えるとは。国会を閉じてまですることだろうか?税金の無駄使いを止めよ。

 倉本聰氏のやすらぎの刻・道5巻読破。最後の件では胸が締め付けられ、特に福島で起きてしまった原発への怒りが甦った。明るく・綺麗で・便利と言われた原発が爆破、それまでの生活が根こそぎ覆された。東電も、国は基より責任の転嫁ばかりであり、今尚見つからない人等を探す。戦争への後悔も祈りも願いもぶち壊してしまった。人類の最大の汚点でもあるのだ。

 核廃絶へのサインも拒み、平和への想いも欠けている閣僚には、戦争を知らぬ者もいるためお答えは差し控える。それはないよ。自分の命が今あるのは、戦後の悲惨な復旧を、我が身を厭わずにやってきた庶民が居たからよ。大人だけではなく、多くの子ども等が犠牲になっているのを忘れてはならぬ。その上に我関せずで胡坐をかいて、居座っているのは卑怯者だろう。

 天気が続いているので外での作業も時間を忘れるが、これが意外と曲者でもある。昨日体調が崩れたのには、身体が冷えて来てのことだった。薄着でもなくセーターも着ているのに、タイツに靴下ズボンである。肌着は既に長袖にしているので油断した。やはり自分の年齢を考慮しなければ命取り。然し、雨が降らないということへの懸念にも、厭な予感が捨てられぬが。

 コロナでの影響で自粛が曳かれているが、今月は言えば掻き入れ時であろう。年末の雑念やら一年の埃を払っておくしきたりが消える。神さまもお賽銭が無くなれば、世の中の願い事にもそっぽを向くかもしれない。金のある者やネットが可能なら、そこからの注文もできるだろうが、そうでない庶民はどうするの?無理ばかりをやらかすから道理は引っ込み成り立たぬ。

 枇杷葉での痛みを和らげる方法には、熱がある場合には生葉が好いのです。無痛扇とも言います。骨折をした時に炬燵に入った途端、紫に腫れ上がった患部にびっくり。寒い時には非情にも反応します。医者での処方で痛み止めをもらうと、つい我慢の限度と使い過ぎるので注意を。枇杷葉は、温めれば血液の流れを促しますが、熱や痛みには抑える鎮静作用が働きます。

 医者も藪や土手が沢山ですが、老練の患者本位の者なら塩を患部に容れて咬んでおけばいい、と言われました。まるで嘘のような対処方法ですが効き、血止にも効果があります。先般火傷をした方は、腕の何処であったのか分からなくなっている。完治した後にも、枇杷葉ローションを塗っているらしい。人間の身体には自然治癒力が備わっているので、有効に援けられる。

 然し、この方法が誰しもに効果があるとも思えず、だからといって医者に罹るなとも言えない。わたくしの個人的な治療法であり、自然からの恩恵を最大限で生かしたいだけだ。電化製品も必要な物は少ない。掃除機も然して使わないので埃を被っている始末、雑巾での掃除の方が綺麗になるからだ。箒も新聞紙を千切って濡らし掃けばいい。身体は有効に動かしたいもの。
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