枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

沢田研二三昧

2021年01月01日 | Weblog
 昨夜から何度も観ながらの年越しである。基本、テレビはあるが下らないので受信拒否しており、DVDかCDを観たり聴いたりをしている。ジュリーマニアに始まって、ジュリー祭りまでをザ・タイガースも含みながら鑑賞。それに並行して、宮部作品を読みながら珈琲を飲みワインも少々。寝正月を決める心算が身体は正直で、朝がくれば眼が覚める。

 珈琲を取りに来る友達が、年末に搗いた餅を持って来てくれたのをお雑煮にして戴く。美味しい!元旦の挨拶も兼てメールを打つ。我が家では、雑煮は醤油味であるが、今年の具材は蛤と三つ葉に紅白蒲鉾、昨晩作っておいた膾と煮しめを少量皿に盛った。蓮根を甘酢で煮るのを忘れた。客人が来ないので明日にしよう、年明けからの横着者であるな。

 この処ずっと夕方の5時を過ぎたら、ネットの切断となってしまい訪問も出来ず、様々に遅れて翌日となっている。日中には支障がないので、8時間限定というところでもある。内容的には、自分の想う処を書き連ねているので、他人さまへの諂いは全くなくて、訪問して下さればそれでいいし、新規の遣り方には戸惑いもあって触れたくないから見るだけ。

 コメントにも何か違う方法があったり、混乱を招くことも多く手が出せない。スマホに至っては使い方の不自由さに辟易するばかり。まあ仕事を辞めた時点からの訪問でもあり、そんなに慣れる訳もなく使いこなせないのもしたりだ。歳を重ねて往けば病を増やすことは当然のことで、だからこそ枇杷葉での援けに拘るのだ。とても不思議な体験にも。

 白龍に導かれてのことだが、この樹を大切にして暮らせば守ってやろう、と耳に聴こえた。その白龍はわたくしを乗せて自由奔放に天を泳ぎ、努々忘る勿れと謂う。以来何かのことにも姿が視え、導いてくれる存在でもある。それに我が家は天空に続く空間があって、そこに棲んでいるのだ。実際に見た者も居るので嘘でもないが誰も信じずですが。

 わたくしの身体に時として異常が現れ、親しさや想いの違いで一命を取り留めたり、反対に死に至らしめる。それが何故なのかは判らないが、疑ったことはなく今日まで過ごす。人間には必ずその人の持つオーラがあるし色が其々に違う。以前、後ろを通った人の名前を当てたら気味悪がられた。判る・解かるとか視えるという現象だが不思議でも。

 人類の愛にも多々なる違いがあるが、結びつきというのか、ふとしたご縁にも言葉では言い表せない想いが含まれている。だから当ブログにお越し下さる方々には、内面の淋しさや誰にも語れない複雑さがあるのもみてとれるが云えない。それは個人情報であるしその方の生死に係わることにも繋がるので、森羅万象では遣ってはならない鉄則でも。
コメント
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