他所さまへの訪問履歴を、チェックするのに悩むことがある。記事の内容にコメントを書くこともあるが、眺めるだけの時も生じる。そこで何処かに履歴を残しておきたいと言う気持ちもある。散々悩んでやっと解決したのが、下段の場所だった。新しい遣り方に戸惑うことが多いので、出来れば従来の方法が好ましいのだがとため息も。PCも習得時には必死だったが。
天気と見込んでの今朝、寒肥を庭の枇杷葉に入れる。下り坂の予報は当たるので、雨の降る前に遣っておきたいのだ。先日の雨には止んだ隙を狙って野鳥が飛来し、落ち葉を蹴散らして餌を探していた。鳴き声もけたたましくしていたから、相当にひもじかったのだろう。柿の木でもあればいいが、生憎と植えていないので枇杷葉を狙ってくるのだ。すばるは役立たず。
カケス ヒヨドリ 烏 椋鳥 雀や大きさが同じくらいの青い羽根も見えている。コサギは始終ギャァギャァと騒がしい上に、そこら中を歩き回っている。人間の方がびくつく距離で餌を探す。デジカメでの撮影まではしないが、時折見かけない姿にびっくりで、鳥の写真を掲載されている方を訪問しては確認している。寒肥は糠と塩なので明日の朝は起こされる気配が…。
生きていくだけの気力もなく、止む無く困窮状態での支援さえも途絶えていく有様で、何を希望にすればいいのだろう。貧乏は恥ずかしいことではないが、何処にも頼らずにその日を送る人も居よう。明日が訪れる約束はなく夜が明ける確約もない。原発を設置して稼働させていれば、大きさでの違いこそあれ地震は起きる。震源地に因っては津波に連動するのは当然だ。
核のない地球にしよう。国々の争いではなく、地球に棲む生き物の為に核廃絶は重要なのだ。生活様式が便利で綺麗になり、快適な生活へと変化するのは悪いことではないが、失う物も多くある。井戸を埋め立ててしまえば、災害時には生きて行かれない。暖を取るにも涼むのも自然の資源は大切なのだ。今更、そういった時代への逆戻りはしたくないと言うが誰のせい?
自然との共生には、人間が多少の不便をしても生きて行けれる目安がある。自分のこともだが相手のことを思える労わりがあった。この歳になってみれば、ブランド物には興味もなく使う回数もないから買わぬ。嗜好品もこれ以上は望まないであるがままで好い。珈琲も今後は枇杷葉茶だけにして、命に別条がなければそれでいい。何事も自分に合った丈での暮らしをする。
すばると野良猫との喧嘩の仲裁に、足を爪で引っ掻かれた跡が消えた。未だ去勢していなくて、雄どおしだったのだと思うが、網戸越しに呻り喚き合うので窓を閉めた途端、飼い主の左足に爪を立て引っ掻いたのだ。痛さと言うよりも血が流れるのに仰天したが、枇杷葉の生葉を漬けてあるエキスをタオルに巻いて縛った。血止めの効果も化膿止にもなるので何回も換えた。
就寝時にも貼り付けて血が止まった時点から、花芽のローションに換えてコットンで濡らして傷口を覆った。3日もすると歩行に支障はなくなったが、多少の疼きは残っている。入浴の際には擦らず状態のまま1ケ月程過ごす羽目に。すばるも叱られたことから神妙にしており、心配そうに見上げていた。傷口というか痕が消えてしまうには1年以上罹ったが医者には行かず。
猫の爪には、室内で飼っていても雑菌が付いているので、腫れたり膿が溜まることがある。枇杷葉エキスを常備しておけば対処でき、薔薇の棘や竹等での傷にも効果が大きい。手袋を付けての庭仕事は基本であるが、油断した時の怪我が恐いのだ。或いは、傍に枇杷葉の生葉があれば揉んで貼り付ける。痛さに運転もままならぬ状態で、事故を起こしては何の意味もない。
旧暦十二月十四日、十五日未明大石内蔵助を先頭に、赤穂浪士46名吉良邸に討ち入り主君・浅野内匠頭の無念をはらす。雪の降り頻る中を、山・川の合言葉と共に獅子奮迅の働きの元、吉良上野介の首を打ち取る。葉室麟さんの作品で涙が止まらなかった。討たれる者も討つ者にも政治の奔流に巻き込まれた断ち難い想いがあった。翌年、全員が切腹となり泉岳寺に祀られる。
天気と見込んでの今朝、寒肥を庭の枇杷葉に入れる。下り坂の予報は当たるので、雨の降る前に遣っておきたいのだ。先日の雨には止んだ隙を狙って野鳥が飛来し、落ち葉を蹴散らして餌を探していた。鳴き声もけたたましくしていたから、相当にひもじかったのだろう。柿の木でもあればいいが、生憎と植えていないので枇杷葉を狙ってくるのだ。すばるは役立たず。
カケス ヒヨドリ 烏 椋鳥 雀や大きさが同じくらいの青い羽根も見えている。コサギは始終ギャァギャァと騒がしい上に、そこら中を歩き回っている。人間の方がびくつく距離で餌を探す。デジカメでの撮影まではしないが、時折見かけない姿にびっくりで、鳥の写真を掲載されている方を訪問しては確認している。寒肥は糠と塩なので明日の朝は起こされる気配が…。
生きていくだけの気力もなく、止む無く困窮状態での支援さえも途絶えていく有様で、何を希望にすればいいのだろう。貧乏は恥ずかしいことではないが、何処にも頼らずにその日を送る人も居よう。明日が訪れる約束はなく夜が明ける確約もない。原発を設置して稼働させていれば、大きさでの違いこそあれ地震は起きる。震源地に因っては津波に連動するのは当然だ。
核のない地球にしよう。国々の争いではなく、地球に棲む生き物の為に核廃絶は重要なのだ。生活様式が便利で綺麗になり、快適な生活へと変化するのは悪いことではないが、失う物も多くある。井戸を埋め立ててしまえば、災害時には生きて行かれない。暖を取るにも涼むのも自然の資源は大切なのだ。今更、そういった時代への逆戻りはしたくないと言うが誰のせい?
自然との共生には、人間が多少の不便をしても生きて行けれる目安がある。自分のこともだが相手のことを思える労わりがあった。この歳になってみれば、ブランド物には興味もなく使う回数もないから買わぬ。嗜好品もこれ以上は望まないであるがままで好い。珈琲も今後は枇杷葉茶だけにして、命に別条がなければそれでいい。何事も自分に合った丈での暮らしをする。
すばると野良猫との喧嘩の仲裁に、足を爪で引っ掻かれた跡が消えた。未だ去勢していなくて、雄どおしだったのだと思うが、網戸越しに呻り喚き合うので窓を閉めた途端、飼い主の左足に爪を立て引っ掻いたのだ。痛さと言うよりも血が流れるのに仰天したが、枇杷葉の生葉を漬けてあるエキスをタオルに巻いて縛った。血止めの効果も化膿止にもなるので何回も換えた。
就寝時にも貼り付けて血が止まった時点から、花芽のローションに換えてコットンで濡らして傷口を覆った。3日もすると歩行に支障はなくなったが、多少の疼きは残っている。入浴の際には擦らず状態のまま1ケ月程過ごす羽目に。すばるも叱られたことから神妙にしており、心配そうに見上げていた。傷口というか痕が消えてしまうには1年以上罹ったが医者には行かず。
猫の爪には、室内で飼っていても雑菌が付いているので、腫れたり膿が溜まることがある。枇杷葉エキスを常備しておけば対処でき、薔薇の棘や竹等での傷にも効果が大きい。手袋を付けての庭仕事は基本であるが、油断した時の怪我が恐いのだ。或いは、傍に枇杷葉の生葉があれば揉んで貼り付ける。痛さに運転もままならぬ状態で、事故を起こしては何の意味もない。
旧暦十二月十四日、十五日未明大石内蔵助を先頭に、赤穂浪士46名吉良邸に討ち入り主君・浅野内匠頭の無念をはらす。雪の降り頻る中を、山・川の合言葉と共に獅子奮迅の働きの元、吉良上野介の首を打ち取る。葉室麟さんの作品で涙が止まらなかった。討たれる者も討つ者にも政治の奔流に巻き込まれた断ち難い想いがあった。翌年、全員が切腹となり泉岳寺に祀られる。