枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月二十九日、大潮・庚申

2021年01月12日 | Weblog
 今朝は雪でした。3cm程の積雪ですが、これが意外と問題で事故も起きる。弁当を早めに作っていたのだが、何か出かけてはいけないような気がして、AM11:30分に出たら中間地点の橋の上で警察の赤ランプが見える。虫の知らせであったなと胸を撫で下ろす。以前にも、事故の前触れが分かって出掛にもたついたことがあり、急ぐことは避けている。

 車の走行速度は60㎞未満にして、待避所があれば避けて先に行かせる。信号があったりするので、大概停まっているところに行き合わす。燃料費の節約も大切なので飛ばさない。事故は思考が停止したり余裕がない時に起きる可能性もあるので、走行速度を一定に保ち運転を心がける。ネズミ捕りには殊更気を付けるが、速度違反にはならないのにも。

 今年の寒さは半端ではなく、肩が凝らないようにもしたいが着膨れてしまう。霜焼けは指も手と足だったが、これが足の踵にもきた。やはりタイルは冷たい。枇杷湯で身体をしっかり温め、かけ湯で一旦浸かってから洗うようにする。浴室が寒いのも危険だから、服を着たまま湯を張るようにした。すばるが居るが電話は無理だろうし、誰も頼れない。

 清貧の暮らしを続けていると、贅沢を試みれば体調不良に陥る。Aさんちの水が分けて貰えなくなったことで、腹痛を頻発しているし、買った水も身体に合わないこともあって難儀している。医者に罹るのが厭なので、蒟蒻を温めて当てているのが好いようだ。こうなったら一日も早く慣れていくことで、体調の変化に順応させたいもの。冬籠りで。

 買い物には出ないので自宅に居ての暮らしだから、コロナへの配慮は枇杷葉で充分だし憂慮は少ない。政府の遣っていることは、頓馬なことだらけであり庶民への見せしめに感じる。マスク配布の大金を、この状況で使っていれば経済も滞りなくに思える。自力しようにも元手がなくては、生きていくことさえできないのだ。やべぇとガースー引込め。

 リエさんに花芽を送ったのが着いてほっとした。簡易包装にしていたので、心配をしていたのだが破れてなかったようだ。年金暮らしのやり難さは、枇杷葉での販売で生活できれば有難いこと。そのために寒中の時期に作って置いたり、要望に応えていきたいのだがとも思う。枇杷葉の葉は送料だけでの負担を、それ以外は中味も料金を貰いたいもの。

 子ども等にもよくよく伝えているが、金券は出て行かぬので使えず宝の持ち腐れとなり、品物は独りでは消費し難い。消費期間だの賞味だのとあるから無理だ。結果的には誰かに差し上げてしまうから食べずで、代わりの品物は戻ってこない。そういうのを幾ら話しても通じない。厭、話す前に判ってと嘆く。毎日、少量を届けてくれれば好いのだが。

 庭に地植えしてある魔女の箒が雪にやられた。昨年には大丈夫であったのが、この寒さに凍傷らしい。寒冷紗を掛けておけばよかったのだが、迂闊であったと詫びるばかり。野鳥が餌が少ないのか枇杷葉の花芽を狙っている。梅の蕾は未だ固くて、ビオラだけが咲いている。これも雀が啄んでもおり油断ができないが、自然の成り行きには逆らえずです。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする