枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

豪雪に、霜月・八せん始め

2021年01月04日 | Weblog
 コロナで先行きが見えないのか、そっちに向いてしまうのかは分からないが、豪雪で亡くなった方がいるのが痛ましい。子どもさんには、傍に居させるということが危険なのを、数分でも離れてしまう場合には、電源を切っておくか連れて行くことだ。事故は、必ず起きる想定でやっていないと悔やまれる。企業でも、掃除の際に電源さえ切っていれば助かっている。

 自然からの警告にも様々な要因がある。そこで暮らしていくには、雪に埋もれてではできないために誰の援助も当てにせずとなる。行政は何もしてくれないし、コロナにばかり思いがいくもので、過疎化の人間の住まいにまでは届かない。酷いなぁと思っても、自分では何等できることもなく辛い。半面、わたくしは何と有難いことだろうと感謝するばかりでもある。

 小さくとも雨露凌げる家があること、年金暮らしでも清貧の節約・倹約で居られること、友達は少ないが様子を見に来てくれること、自然への祈りと感謝を欠かさずに、地球のことを考え想いたい。ブログが更新でき、他者の想いに触れられることにも有難く思う。個人的には、ランクが目的でないので賛同したりで決める。自分なりの信念がある方には魅せられる。

 他人を羨まないことも必要で、自分の置かれている立場也状況で満足することだ。望んでも手に入らない物もあるので、天からの贈り物には意味がある。災いもあることから受け入れてしまえば易しい。辛いことや哀しいこともあるのを、試練と耐えて時が過ぎて往くのを待つ。騒いでも慌てても直ぐには佳くならないことも多くある。それらを相手のせいにしない。

 今朝は風もなく天気なことに、デジカメを手に庭に出る。リエさん枇杷葉やサンタさんのが、少し咲き始めているのを撮る。白枇杷も7分咲きになっている。枇杷葉は千葉県を境にして、それよりも以北では花は咲いても結実しない。枇杷葉自体を温室に入れるかすれば別で、鉢仕立てにして移動できれば可能でもある。寒冷紗をかけてもいいが雪には勝てないのだよ。

 新潟か何処かでの巨木を見たことがあるが、それは生葉を採る為であったように記憶している。日本以外ではイタリアやインド等、比較的暖かな沿岸地帯が多い。外国での飲食は稀で、葉や種の薬効に疎い。日本の季節は冬だが反対のブラジルでは夏で、枇杷の実が熟れている。枇杷葉が用いられるようになったのは、お釈迦さまの時代へと遡る。中国から絹の道で。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする