昨日、ブログの更新も終え訪問にも出かけ、いつの間にか消えていた方のも復活させて、夕方からトールキンの指輪物語を観た。3部作をアマゾンで買っていたので、何回も観てはいるが落ち着いてではなかったので、寒さ対策もして臨む。景色が素晴らしいのも一因だが、登場人物の役割に度肝を抜かれる。無論ホビットも持っている。ついパラレルワールドに。
正直怖いのである。然し、それが観たいと言う魅力には、始まりも終わりにもなく新たなる旅に向かうからだ。指輪にはエンドレスの物語が秘められる。時を越えても或いは人物が変わろうとも、地軸の歪みのように延々と繋がって往き、決して終わりはないのだ。それも悲惨な結末なりに希望はあるものの、自分だけの幸せには至らない物語が紡がれる仕組み。
人生は・物語には、皆個々に異なりを持ち、同じ内容のことにはならないし、だからこそその意味が問われることにもなる。わたくしには己の物語が紡がれ、リエさんにはその物語が綴られるが、何気ない絡みから出遭ったりもする。然し基本は自分であるし、自分の人生は他人の物ではないから。森羅万象での生かされていることには、人智に及ばぬ織りなし。
ナルニア国物語を映像で観たいのだが、後の3部が遅々として進まぬのも残念極まりない。あれも勢いなのかもしれないな、と今では思えるが描き難さは半端ではない。子ども等が好んで読むとも思えないし、キリスト教の根本でもあるから、(ライオンと魔女)宗教のあらましに興味を抱かないと難しい。アスラン王は即ちイエス・キリストでもあるのだから。
子どもの本・児童書には、子どもしか読んではいけないように言うが、書いているのは大人である。視点が異なっているだけで、決して子どもが書ける内容でもない。大人も一気に出来上がった生き物でもなく、未知なる結合から育ってきたのだ。ヨシタケシンスケさんの絵本、或いはロングランを続ける絵本には、子どもだけでなく、心を惹きつける想いが詰る。
わたくしも子どもであったし、自分ではそれなりの生き方であると思うが、これが他人の立場になると違ってくる。ブログでも同じような物で、人気順位を比べ合うことが生きがいだったりもする。わたくしは訪問してくれて、内容をちゃんと読んでくれるよう願うが、何時も長文なのと枇杷葉のことが多いのでそれも重なる。でもまあ日記だしなと想いを綴るが。
台所のシクラメン(赤が二鉢)が、昨年の数日前から蕾を見せて来ており、寒さに健気に佇んでいるのがうれしい。これは毎年咲いてくれる。新しく買っても球根が腐ったり、葉は出て来るが蕾はないことも。その兼ね合いを不思議にも感じているが、蕾を見つけてはほっとしている自分が居る。パンジーもビオラも買って植えてあるのが咲いて庭を彩る景色。
正直怖いのである。然し、それが観たいと言う魅力には、始まりも終わりにもなく新たなる旅に向かうからだ。指輪にはエンドレスの物語が秘められる。時を越えても或いは人物が変わろうとも、地軸の歪みのように延々と繋がって往き、決して終わりはないのだ。それも悲惨な結末なりに希望はあるものの、自分だけの幸せには至らない物語が紡がれる仕組み。
人生は・物語には、皆個々に異なりを持ち、同じ内容のことにはならないし、だからこそその意味が問われることにもなる。わたくしには己の物語が紡がれ、リエさんにはその物語が綴られるが、何気ない絡みから出遭ったりもする。然し基本は自分であるし、自分の人生は他人の物ではないから。森羅万象での生かされていることには、人智に及ばぬ織りなし。
ナルニア国物語を映像で観たいのだが、後の3部が遅々として進まぬのも残念極まりない。あれも勢いなのかもしれないな、と今では思えるが描き難さは半端ではない。子ども等が好んで読むとも思えないし、キリスト教の根本でもあるから、(ライオンと魔女)宗教のあらましに興味を抱かないと難しい。アスラン王は即ちイエス・キリストでもあるのだから。
子どもの本・児童書には、子どもしか読んではいけないように言うが、書いているのは大人である。視点が異なっているだけで、決して子どもが書ける内容でもない。大人も一気に出来上がった生き物でもなく、未知なる結合から育ってきたのだ。ヨシタケシンスケさんの絵本、或いはロングランを続ける絵本には、子どもだけでなく、心を惹きつける想いが詰る。
わたくしも子どもであったし、自分ではそれなりの生き方であると思うが、これが他人の立場になると違ってくる。ブログでも同じような物で、人気順位を比べ合うことが生きがいだったりもする。わたくしは訪問してくれて、内容をちゃんと読んでくれるよう願うが、何時も長文なのと枇杷葉のことが多いのでそれも重なる。でもまあ日記だしなと想いを綴るが。
台所のシクラメン(赤が二鉢)が、昨年の数日前から蕾を見せて来ており、寒さに健気に佇んでいるのがうれしい。これは毎年咲いてくれる。新しく買っても球根が腐ったり、葉は出て来るが蕾はないことも。その兼ね合いを不思議にも感じているが、蕾を見つけてはほっとしている自分が居る。パンジーもビオラも買って植えてあるのが咲いて庭を彩る景色。