枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

風強し・霜月

2021年01月07日 | Weblog
 寒い。然も、外に出れば身体毎持って行かれそうになる。天気も良く洗濯物も乾くことから、有難いことと感謝はしているが、この強風に災いが起きねばと案じて。コロナも相当な勢いで拡散されよう。何せ眼に見えないのだから何処を飛んでいるか不明だろう。政府の対策には厭きれる一方だが、飲食業だけを非難したり、何かと標的にするのは止めれないものか。

 だって。皆の生活が懸かっているのよ!何を於いても食べていけなくなれば、待っている事態は明らかでしょう。十戒でのモーゼが、餓えた労働者を働かせるには、糧と休息だと国家の倉庫を開けたが、人々の信頼を得るには、飴でも鞭でもない。相手を思いやり意欲を出させることに尽きる。宗教の自由もあれば、人種の違いもあるだろうが基本は命ある者なのだ。

 育てた王妃が全てを与えて育てたが、おまえは何を?と実母に問う。答えは命をと。地位や金や名誉よりも、尊い命を与え人々を救う者であると。信じることの大切さは疑わないこと、少しでも邪念があれば消えてしまうよ。リエさんに花芽茶を贈ろうと連絡したら、いい具合に繋がってくれた。枇杷葉には、医者が見放した患者にも、生きる力を齎すが信じてこそ。

 今朝はだらだらとしていたので、午前中はブログの訪問に出かけただけである。その日の思いが何くれとなく綴られていて、読んでいて心が塞ぐこともあれば励ましに遭うことも。それはこちらの想いであって、書かれている方に通じる物でもなく単なる独りよがりでもある。最近では、其処に書かれていることが多少異なった記述であっても、個々の感じ方と受取る。

 わたくしは旧暦での暮らしをしているので、自分では暦に沿ってがやり易い。然し、世間一般では新暦での生活なので致しかたない。何よりも命への危険さえなければ佳しとする。コロナはそんなことには一向に躊躇せず、猛威を振るって広がるばかりである。個人的には枇杷葉エキスが心強く役立ってもくれるので、手放せない優れものなのだ。自然を活用したいのよ。

 要は、無理をしないこと、世間一般でなくとも暮らせること、自分を大切にして愛せること、それらが相手への思いやりに繋がり、輪廻転生となることを願い祈る。わたくしを、枇杷葉を必要としてくれるなら更に佳。枇杷葉の剪定を昨日しておいて好かった、こんなに風が強くては飛ばされるもの。予測できることに感謝して日々を送りたく思う。森羅万象に祈る。

 樋口一葉・十三夜や大つごもりの物語を思い出す。たけくらべの信如が旅立った朝、美登利に別れで挿していた紙水仙はこの時期に咲く。水仙にも多々あるが寒さの中に凛として咲く姿が清らで、寒水仙・日本水仙とも言うようだ。我が家のは何故か葉は繁るが花が咲かない。肥沃なのだろうか。今のところクリスマスローズの咲いているのを眺め、開花を待つ心境。

 それにしても北国の豪雪にはびっくりした。それなのに富士山には冠雪が少ないと言うのにも、天変地異を感じてしまったりもする。そうそう先日夢の中でだったが、物凄い揺れに眼が覚めてしまった。不思議な体感でもあったのだが、何時なのか何処が震源地なのかは不明である。唯、そういったことへの対処にも、心構えをしておいたのが好いようだと言い聞かせる。

 
コメント
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