枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月、小寒・小潮

2021年01月05日 | Weblog
 二十四節気 小寒 陰気深く、寒冷一段と厳しくなる、の意で小寒という。毎年、一月六日頃である。俗にこの日を寒の入りと言う。寒いのであるが、枇杷葉の生葉を少し採っておく。ナイロン袋に入れて、枇杷葉温圧療法に用いるが、沢山だと傷んでしまうので10枚ばかりを冷蔵庫に仕舞う。晴れていて風もあまりなく過ごし易いが、気温は一桁になっている。

 弁当を作り届け、燐市のコンビニに行って消えるポイントを使い、郵便局に寄り投函して年賀はがきを買う。図書館への返却と延長とをしてもらう。新年の挨拶をしておく。沢田研二さんをたっぷり観ていたしネットでも堪能したので、読書は遅々として進まず。地元の書籍は延長が容易いが、県立のや他図書館のはそうもいかない。内容も把握したいので困窮。

 SFの世界。筆頭は誰というのでもないが、アシモフには拘りがある。最近の書籍では日本語の怪しいのもあって、相当に想いがないと読まない。それらを漫画化されているのも、好みの差が大きく分かれる。わたくしの少女時代は手塚治虫氏であり、水野英子氏だった。何にも勝る内容は宇宙叙事詩と重なる。また、古典SFへの興味には、我はロボットが鮮明。

 そこから萩尾望都さんに竹宮惠子さんと続き、坂田靖子さんの独特の世界への突入は否めない。はっきり言えば狂騒曲であり、どっぷりと浸かってしまう面白さに尽きる。それに、日本の古典にも通じるものがあって、解釈の異なる記述にのめり込んでいく。光瀬龍氏の書籍を絵にした作品は絶賛物。百億の昼と千億の夜とはお奨めであり、原作も素敵なの。

 ま、わたくし自身が変人であり奇人かもしれずですから、妙に雰囲気が遭うのでしょう。書籍の面白さを知ってでないと、理解し難い内容にも遭遇。実写版での配役にばかり気がいきそうだが、役の持つ意味を演じることには無理もあろうし、適役なこともある。デューン・砂の惑星の、カイル・マクラクカンのような人物には出遭えまいと想うが…。

 萩尾望都さんの作品は、どれも持っているのだが初期の作品に惹かれる。久し振りに本棚を覗けば、鎮座ましましておいでです。最近は王妃マルゴが完結しており、DVDと見比べて歴史を辿ることも出来た。日本史も世界史にも、人類の祖先への想いが溜まるので面白い。図書館で借りたネロも。漫画であれ書籍であろうと知識を豊かにするのは好い。

 最近は、紙でなく買って読めるようだが、わたくしにはやはり紙のページを捲る愉しみがないと詰まらない。新聞も購読料を思えば安くはないが、活字中毒症状が現れてしまい気が狂う。認知症状には枇杷葉対策で遅くなっているが、活字がないと死にそうになるから困る。これを救ってくれるのが沢田研二さんのDVDでもある。薬は呑まないが薬効は素晴しい。

 
コメント
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