枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

節分、春まだ遠くに・・・

2017年02月03日 | Weblog

 旧暦七草、奈良春日大社万灯篭でもある。他の畦や道端に、以前には見られた七草も、最近は専門のハウスで育てられ、出荷される。それも冬の最中である。何となくどころか、違和感は増し、季節の越し方を疑問に思ってしまうが、一般的な考え方。

 友人がやって来る。午前中の来訪なので、用事だけで済ます。丁度昼に差し掛かったが、巻き寿しの具を買いに出る。ほうれん草が、青空市に見当たらず止む無く、胡瓜にした。干瓢は昨夜から浸して、ストーブにかけている。ご飯も炊けたので小休止。

 夕方の配達と、娘等の来訪もあり、時間は充分あるので、ブログの更新と、タイガースを聴いている。天気はいいのだが、布団干しはせず、球根を植えたりする。枇杷葉の花芽も、満開になったのや、咲いているのもあって、とても佳い匂いが漂ってくる。

 枇杷葉茶にも切らねばならず、外回りの家事もある。三連休を取ったが、日曜日には孫の誕生日会をするのか、返事待ちである。受験生には気を使う。普段通りにするのが、一番いいと思うが。自分で計画したとは言え、強行軍の予定であることだわ。

 鬼の存在には、先住民族を虐げてきた歴史を含む。特殊な者に対する偏見や、差別には根拠はない。白人が偉いのか?命の重みや尊さに差はない。ナザレのイエスは、白人ではないのに、信仰は人種を選ばない。何となく疑問と違和感があるよ。

 書籍を読んでいて、その内容に想い入れが、浅いか深いかで、考え方にも差が出てくる。昨夜の意図するところは何処か、何だろうかと思ったり、単純に流し読みをするのまで、色々ある。知識を得ようとしても、心が狭いと、溢れ出てしまうこともある。

 与えられたことを、甘んじる寛大な心の大きさが足らない。学べることを感謝する気持ちも少ない。当たり前のことを、行う難しさに愕然とする。自分の身についている至らなさを、反省するばかりだ。巻き寿しを作るに、無我の境地ができるとあり難いこと。

 瞳みのるさんの写真を見て、お元気でよかった。と思ったのは、其処に視えたからだが、その意味が、ロング・グッパイの後でを読んで分った。10年ほど前に、再就職先を探していて、面接に行った時、九死に一生を得ますよ。と話したら、その通りだった。

 事故で、死に掛けている姿が視えたのだ。何故初対面の方に、そんなことを言ったのか、自分でも不明だが、当たったことに驚いた記憶がある。但し、これから起きることではなくて、既に起きていたことだったが。その方にも未来が分るらしく、引きあった。

 枇杷葉の花芽が、日増しに咲き出していく。これから寒さの中に咲き、春には結実していくのだ。とても佳い香り。


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