小学時の給食に、脱脂粉乳の飲み物が付きパンが出るようになった。物珍しさに一口は飲み食べても、感触の違和感に咽喉を越さない。自分の他は喜々として頬張り、中にはお替りしている者もいるのに体調を崩していた。
家が貧乏であったから、堪えずお腹が空いていた記憶がある。それなのに?何故、身体が拒否反応をするのかが腑に落ちない症状。当時は無医村で、病院に行くと云えば大騒ぎ・神輿草を煎じ黄はだを舐めて体調を整え。
中学になると、土曜日に牛乳が支給されるが飲めない。同級生に上げるか捨て、あの独特の臭いに閉口し以来苦手意識は継続。チーズ?とんでもなく腹を下す結果、受け付けない。冷え性を除けば、肌は汚れなく吹き出物無。
油も、しつこさや胸やけが起きるので極力口にしない。予知能力の正しさに至極納得したのも、天啓の訓えと気づく。旧暦で暮らし肝心なことは、月の満ち欠けと潮の満干潮を基準と身体へ伝達する為間違いも狂いなくとも。
枇杷葉茶の飲用や、多くの症状への対応にも疑わずと過ごせることは有難いもの。自然治癒能力を援けてくれ、覚らせ繋り亘らせ無駄を省き健康維持へと努める有難さ。薬害あって一理なしとは、理由如何非ず身体に伝わる。
科学的根拠やデータが存在してもないが、宇宙からの訓えは戒め糺せる。枇杷葉を体内に摂り込み、指示する働きへと繋げ異常を察知してくれ歓びを拡げる。精神統一、何事も心の持ち方や修行・枇杷葉の香り満ちていく也。
植物は、人類の生存を援ける働きをし使命終える。