枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雑記な想い・・・

2009年10月05日 | Weblog
 映画。最近は観ていない。『スーパーマン』が最後だったが、レックス・ルーサーの役どころがすんごく引っかかって、見る気が失せた事は重大です。でも、時代設定や現代との折り合いもとても大切なので、一概には言えないね。またアメリカと日本との国民性も違うし、意図するところの相違も否めない。私個人的には、宇宙からの悪に立ち向かったり、地球上での悪の一掃に徹してくれないか。

 梔子が、年々大きくなっていくのはいいが、虫の集まりも半端でない。見事に葉がなくなって、軸だけです。シクシク・・・・・。農薬をかけたくないので、引越し要望をしたのですが、返事ははかばかしくありません。まあ、彼らの生きていく手段と言えば、正当性があるのです。共存するって、こういうことなんですね。

 鹿も、猿も、熊さえ餌がない故に、食べ物を探しているだけなんでしょう?人間のエコならぬエゴが生み出した結果です。だからと言って、急に動物との共存は難しいし、誰しもにできることではありません。人間の自由には、責任があるよね。じゃあ動物にはないのでしょうか?野生の弱肉強食では、掟が全てで、強い物が生き残る。それは動物に命の選択が自らにできないからですが、人間が助けたり、延命措置をとれば、却って酷な結果にもなりそう。

 勤務先の側の家の方が、捨て猫を飼っていると話してくれた。近所の人か、誰かはわからないけれど、お寺に捨てていくのだそう。慈悲深い人間で通っている風潮があるのだそう。でも、現実はお寺だけでは養えない。餌だけなら、と思われるかもしれないが、病気になれば放置はできないし、避妊手術も必要なんです。と淡々と言われていた。人間の命でさえ、軽んじられる昨今、猫や犬などどうだっていいのかね。道路に事故死の屍骸がある。罰金の規則はないの?って思います。

 ひき逃げや、飲酒事故など、徹底した規則が必要な気がします。特に公の仕事では、退職金など持っての外、終身刑が妥協ではないか!事故を起こそうとしている人間などいません。ちょっとした不注意がなってしまうのです。加害者になってしまっても、被害者になっても、元の状況には決して還りませんね。車を造るメーカーさん。スピードの出ない、危険を察知したらエンジンの自動ロックや、自爆装置など付けられてはいかがでしょう。政府もそういう車の推進をして、事故撲滅に力を注いでほしい。

 枇杷葉を見ました。中心の苞が徐々に膨らみつつあります。昨年来、新芽が出てきた枝は、まだ塊が見当たりません。実がなっていて、葉先を折っている枝だけです。淡路枇杷田中に、ちょっとばかり期待しましたがやや無理なようです。来年かなぁ。木丈は2mくらいにはなっています。出窓の南側に鉢で置いている分ですが、他のは北側だったり、西だったり、日射時間や水分や、肥料の関係もあるかもしれない。鉢やプランターで植えていても、次第に根が張ってくるので、地植同様になります。油断すると、鉢が動かなくなっています。
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ムーンライト

2009年10月04日 | Weblog
 アランドロンの『太陽がいっぱい』は、燦々と降り注ぐ陽の光。しかし映画の内容は、暗闇の部分が多い。太陽は、ほとんど形を変えない。月のように満ち欠けもなければ、架空にしても生き物など、壊滅的に住んではいなさそうです。アトムでさえ、溶けてしまう寸前だったのだから、その灼熱の表面は、触れることもできない。それでフレア、というのだろうか?いや、単なるジョークです。

 月には、人の心を魅了する輝きがある。物思い、惚れ々する趣がある。春夏秋冬の温度を感じる。春の月は、淡く儚げ。夏の月は大胆不敵。秋の月は、恋して煩いそうな切なさ。冬の月は、冴え々と清らかで凛とした美しさ。なんと様々な月の姿であろうか。ああ・・ため息がでるよう。こういう天然の舞台での、コンサートなら、いつでも出かけたいものです。縦しんば、ブーニンが星の光や月洸の中で、ショパンを弾いてくれたら、世界中の物に魂が宿って、ブリキのおもちゃでさえ動き出すに違いない。

 ブラジルが、時期オリンピックの開催地に選ばれた。友達になってくれているSさんに電話した。ブラジルは、日本人の移民も多い国です。東京でなくっても、同じくらいにうれしい。やっと日の目を見たのですね。感無量でしょう。おめでとうございます!!会話中、弾んだ声がしていて、私もとてもうれしかったよ。

 昨夜は、カレーを作りました。野菜だけのカレーです。材料を用意して、鍋に井戸水を入れ、ガスの火を弱火にして、何時間もコトコト煮ました。野菜の旨みが出てきたところで、(この間、何度も灰汁を取っています)お醤油を入れます。更に数時間経ったところで、強火にしまして、カレールーを入れました。勤務先へ用意して持って行って食べました。他のスタッフの分も持って行きました。ご飯だけは用意してもらいましたが。これに、リンゴと大根の千切りの酢の物をつけました。酢橘の搾った汁もいれました。酢橘の皮をみじん切りにして、香りと色目に入れました。味付けは、酢と砂糖です。

 で。作りすぎたカレーは、冷凍庫へしまう。息子の好物なので電話したら、夕食がカレーだったので、即却下されました。なんか1ヶ月分ほど、作ったみたいですね。非常食用にストックしておこう。気温は何度だろう?何となく寒いね。喉が痛いもの。明日は夕方から出かけるのに、重装備で行かなくちゃ。え?桂文我の落語です。定例会で年に2回あるのです。お腹の中から笑えるのがいいです。

 明日から当分、下弦の月になるので、庭いじりは控えます。バラの花の蕾を、尺取虫にかじられてしまいました。然も朝見ると、蕾をかじっているではないか!!逮捕しました。枇杷葉の葉も、かじられた後がたくさんあります。形のないのもありました。軸だけになってたよ。
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中秋の名月

2009年10月03日 | Weblog
 今夜は、中秋の名月。でも、満月ではありません。また、今月の30日は十三夜になりますね。月が煌々と光り輝くと、なんだか不思議なことが起きるような気がします。手塚治虫の『鉄腕アトム』にも、TVアニメで未来のかぐや姫が出てきます。昔の人も、随分とストーリー性のある話を考えたものだと感心します。最近のTVが如何につまらないかと言うと、そういった原作の中から、ちょこっとだけ抜き取って、ドラマ化しちゃうから、つまんないのです。

 原作と、映画やTVでは、違っているのが当たり前とはわかっていても、なんとなく居心地の悪さがある。でもやっぱり、著しく異なってしまうと、興味を削がれてがっかりするのね。蜷川幸雄の舞台はたった1度しか観たことがないけど、怖いほどに緊張感があって、自分の居るところが何処なのか、わからなくなったよ。迫力と言うか、俳優さんと言うより、その人物に遭っているようでした。観たのは、シェークスピアのリア王です。もう随分と昔ですが、しっかりと覚えています。衝撃的でしたね。

 で。話を月のことに戻しましょう。以前も書きましたが、水野英子の『セレネの嘆き』月の女神をセレネ、とギリシャ神話では言います。人間のエンデェミオンとの悲恋は、読んでいて胸がいっぱいになりました。漫画家がよかった!水野英子だから描けたのだと思う。彼女の全作品が買えるようになってほしい。万歩書店に行けば、破格の値段であるにはあるが、私の手に入れたい作品ではない。

 坂田靖子は、月を好きな博士を登場させて、月の魅力を描いている。博士は月を愛しすぎて、月のことばかり考えすぎて死んでしまう。助手は月などに興味がなくて、博士の死後、博士の発明した物を、日常的な生活品に変えてしまう。ここが妙に可笑しいのだが、助手の言い分もわかるところが哀しい。月には、それくらい魅力があるんだ。人間の心を狂わせるほどの魔力がある。でもって、私はこの博士がとても愛しいのだ。月のことしか眼中に無い、なんて!なんて素敵なんだろう。

 ちょっと横道に逸れます。鉄腕アトムの、妹の名前は?原作では、兄になっているが、TVアニメでは弟の名前は?まあ通の方には、簡単すぎる問題です。でも意外と知られていない。ドラえもんが、どうして青い体になっているか?これも咄嗟には出てこない。どうでもいいことですが、直ぐに答えられるかどうかで、子どもの大人への評価が違ってくる。で、アトムの生みの親は?また、アトムはなんのために作られたの?ってことになると、さっぱりわからないという有様。

 勉強ばっかりしていても、あれれ?何故かな??と思えなくては、育っていくものはないし、かといってそういうおたくになってしまうのも困る。小さい頃に読んだ本や、自分で知り得た知識は、きっとおとなになっても忘れない。人間だけではなく、あらゆる生き物が、地球上には存在していることを知って、お互いの譲り合える範囲を知り、住んでいける世界を創っていってほしい。

 揚羽蝶の幼虫は何処にいて、どんな姿でいるのかや、蛹から蝶々になるまで、どうやって過ごすのかを知っていてほしい。命と言うかけがえの無いものは、それら全てにあるのだ。と言う事実に気づいてほしいよ。蜂が、都会で巣を作って、人間を襲う、というけれども、彼らは子孫を残そうと命をかけている。人間は、そういう生き物への配慮を忘れて、危害を加えてくる害虫と呼ぶ。ファーブルが泣くよ。シートンだって、ダーウィンにしても、彼らの生態系を知りたかっただけで、壊すような結果になろうとは思わなかったであろう。

 千葉のRさん。きらん草と枇杷茶をブレンドして、飲んでいるのだそう。作り置きなどをしていたら、ご子息が苦かったけど、と言いつつ飲んでしまっていたそうです。センブリも・・・。サッカー少年にはめずらしい、一本気の性格。枇杷茶をもっぱら愛用してくれている。Mさんのご家族も、お祖母ちゃんから、娘さんのIちゃんまで、ひたすら飲んでくださっているとか。ありがたいなあぁ。枇杷葉を切らないままで、箱詰めで送ってしまったが、パック詰めにできた?まだでしたら、枇杷葉を、半分か三等分かで、土瓶に入れて煎じてください。また、晒の布で袋を作り、布の口を絞って入れ替えをして、枇杷の葉を煎じてくださいませ。

 せっせと飲まれることをお薦めします。お風呂にも入れて、枇杷湯をしてね。洗顔も枇杷湯です。嗽や手洗い、洗濯、掃除もしましょう。網戸も換気扇も、きれいになります。高額な科学洗剤は、肌荒れの元です。枇杷葉を敵くらいに使ってみてください。枇杷苗をRさんからもらってね。12月の中旬から、大つごもりまでに移植しましょう。それまでに鉢を買うか、地植なら土にみみずが住める条件にしましょう。詳しくはメールします。

 枇杷葉の苞が、月のしずくを浴びて、まどろんでいるようです。夕顔の匂いも静かに漂っています。今夜の月も名月ですね。
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カレンダー作り

2009年10月02日 | Weblog
 来年のカレンダーをそろそろ始めなくちゃ。と携帯で写真撮影をしている。マンネリ気味もあるので、思案中です。我が家のですから、人物も入れますが、やっぱり自然の景観がいいかな。とも思うのね。今日の鞆の浦の判決ではないけれども、地球に残っている当たり前の風景が、なんだかんだと消えていくのには、一抹の淋しさがある。子どもの頃のままでもどうだろうか?思うに、ゴミが散乱していなくて、(コンビニの発泡スチロール、煙草の吸殻、菓子袋、瓶や缶等)彼らなりに工夫をして遊べるのがいいな。と考えている。

 私が、柿の木に登って腰かけていると、いつの間にか祖母が下に来て、「寒うなったで下りろ」と小さいが厳しい声で言う。地面に両足がきちんと着くのを見計らって、「枝が軟いで上がるな」と諭す。祖母は、決して声を荒げなかった。孫が大声に驚いて、それこそ足を踏み外したら、と言う思いと、高い所まで登っている、孫の自信を壊さぬよう配慮していた感がある。単に祖母が大声で、「柿の木は折れやすいから、上がってはならぬ!」と叫んだとて、同じようにも思えるが、それでは実際に、枝が折れるまで登る、私の性格を知っていたからであろう。

 祖母は、明治の人だったから、学校も尋常高等小学校の、二年生くらいしか行かせてもらえなかった。と話した事がある。けれども、自然をよく学んでいて、天候や季節の山を知り尽くしていた。同時に生き物が何処には何が居る、というテリトリーも熟知していた。そこに人間が踏み込まなければ、危害を加えられないのだと常々教えてくれもした。だから祖母についていれば、自然の恵みを分けてもらえることが多かった。生まれながらの水呑百姓で生涯を終えた。

 今、私の言う事やしていることには、そういった祖母の教えが多分にある。先日も主任が、私の知っている事柄に、感心してくれたが、単に記憶がいいだけです。加えて言えば、以前にもここに書いたが、漢方医のIさんが、突然頭の中に話しかけてくることもあります。Iさんは、漢方医としてとても素晴しい方だったそうですが、志中途で夭折されました。お墓掃除とお参りに行かせてもらいました。

 私の平熱は低いのですが、最近は体中が熱くなってしまう。パワーの放出を処構わずしている。というか、私の傍に寄ってきてほしくなくての、本能的な行動かもしれない。バリアーを張ってます。我が家に居れば、天空への放出が可能ですが、勤務先からだとちと遠い。でも、時空の彼方へ向けての行為なので、幾らかはパワーアップしてしまうように思います。そういうのがわかったり、感じたりしてくれる人が近くに居ればいいのだけれども、生憎全く、壊滅的にいません。

 枇杷茶をね、飲んでくださいよ。そんでもって、飲むにしても心で感知してほしい。私は、何時如何なる時にも、心を込めて淹れます。安物のお茶にしろ、同じですね。だってそこには、作ってくれた人の心があるからです。丹精込めた物品には魂さえ宿っています。TVで興味本位に見せているような、恐怖ではありません。そういう事に気がつかないから、祟られたり、怨まれたりするのです。

 人間は、聖人君子ではありません。また万能でもないのです。だからこそ、そうありたいと望み、研究し、学んでもいけるのです。人間は何人も弱く、無防備ですから、自分を守ろうとするのでなないかな?他人のことを思いやる前に、我が身を大事にする。至極当たり前な心境です。私は、自分が生かされていることに気がつき、他人からの思いやりに触れて、援けてもらえたことに感謝できたよ。だからこそそのことを忘れないでいようと想うのね。

 水を分けてくださるAさん。千葉のRさんとはまるで引き寄せられた出会い。友人のMさんやサンタさん。イタリアに移住してしまったMさん。作家のSさん。これらの何等接点のないような関係が、実は枇杷葉で繋がっていることに、軽い驚きがある。そうして、子どもの頃にうなされて、遭ったこともない面影に何度と怯えていたことが思い出される。ジクソーパズルがぴったりあう。夢は正夢であった。いや夢などではなく、出会うべく人への予知であったのだ。

 外は雨です。金魚草の種を蒔いたよ。これは蟻が好きで、巣穴に運んで行くのだが、ここ当分出てこられないので。銀木犀は咲き終わりました。枇杷葉の苞が、日に日に膨らんできています。
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月の魔力

2009年10月01日 | Weblog
 曇り空です。月が雲に隠れていますね。地震との関連もありそうです。津波で島が消えちゃったようです。島が消えた。と言えば、ムー大陸を思い出します。地球の引力や重力で、どんなに対抗しても無駄な自然現象。昨日、勤務先で、来年は冷房を3度から5度減らそう。そのためには朝顔やゴーや等を植えてグリーン・カーテンを作ろう。と提案したのだが。反応が薄かった。私一人が冷房嫌いです。

 明日は、庭の残りのプランターや、鉢の土を入れ替えます。自然を壊さないように、花木を植えて育てたい。で、ミミズや虫の類のいない状態はやだなぁ。でもってそういう場所に住もうとは思わない。見渡す限り、整然となっている景観には、必ず落とし穴があるよ。また人間の住める場所ではないね。地球上に生きているのは、人間だけではないんだ。況してや、虫1匹もいないような場所には、人間は住めない。きっと頭が宇宙人になってしまう。心まで食い尽くされて、地球人から離脱するんだよ。

 人間なんて、ちっぽけな存在が、宇宙に組み込まれて存在しているとしても、顕微鏡を使っても見えない気がするよ。人は何のために生きているのだろう?誰によって生かされているのかな?自分の意思で??神の御心で・・・。肉体と魂の結びつきは、一体どうやって調べればわかるのか。

 で。月を観ながら、考えていると、光の中に包み込まれていくのね。あらま不思議。狂おしいほどに月の光を浴びたら、宇宙とのコンタクトが可能になる?いえいえ、そうはなりません。え?ちょっとした手違いです。周りをよく見ておけばよかったんです。縁側には猫がいたので、猫と合体してしまうはめに。

 かぐや姫と月の都。月世界ともいう。あたしの思うところでは、月に住む生物じゃなくって、月そのものが意志を持っていて、地球という星を操りながら、生命の維持をしているように感じちゃうの。月は、人間の生気を得ながら、怪しく輝いているようでもあるんだよ。月の満ち欠け、地球の満潮と干潮。人類が未来に発展していると見せかけながらも、実際には滅亡へのプログラムを組み込んで、作動させている。なんかね、そういう気がしないでもない。

 えーっと。自分でもよくわかんなくなったよ。それくらい、月の光には怪しくも不可思議な力が込められているのね。へっくしょん!!あらま、風邪をひいたかなぁ。秋になって、夕顔が大輪の花を咲かせている。燦然と白く輝く姿に、かぐや姫の昇天をみた。夕顔のイメージが迷わせる。

 枇杷葉の中心が直径3cmほどの塊になってきている。川側の茂木の赤枇杷には、苞の塊が見えない。昨年は、たくさんあったのが、何れも実の結実には至らなかった。木丈も伸びすぎているから、ここではお茶にしよう。
 勤務先の近くにある小学校。この裏手に巨木の枇杷の樹がある。給食で出た枇杷の種を、誰かがここに埋めたのか、それとも偶然芽を出したのか?鋸を持って行かなくちゃ。
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