枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

春雷

2012年04月09日 | Weblog

 暑い。ちょっと動くだけで汗が出る。昨日の寒さに比べて、急に暑くなったのに、自然の異変を感じる。帰宅する直前、春雷とにわか雨。燕が飛び始めると決まって、春雷があるのも例年のこと。今年は少し遅かった気もするが。

 それにしても、一気に気温が上昇して、桜の花が7分咲になった。見渡す限り、山笑うである。人間の心理とは微妙なもので、春の装いにやさしくなれる。仕事上、うわの空になることはないが、何かしらスキップしたくなるのだ。

 庭の椿が、やっと膨らみ始めた。昨年より10日ばかり遅れている。花も付きがいまいちで、枝が折れそうになった例年とは違い、少ないのも気がかりであった。寒さは眼には見えないが、草木はちゃんと知っている。そのことが心に沁みる。

 クリスマスローズの花は、花色が同じようでも、花弁の形、鍔の色合いや、大きさも違い、同じものはない。況してや、種が落ちて芽が出、苗になって育っているのは、ダーウィンの種の起源に通じて、変化しているのが楽しくもある。

 我が家には、何でもあるように思われるが、やはり手につかない物もあって、何回植えても育たないのや、消えてしまうのもある。反対に、クリスマスローズや、枇杷葉のように、勢いを増していくのもあって、命の大切さを感じてしまう。

 以前書いた『枇杷種』のところに、コメントを書いてくださった、広島の農家の方は、枇杷で生計を立てておいでなので、自我流の見解に、却って恐縮してしまった。我が家は、気儘なやり方で、友人たちと孫たちへの枇杷狩りなので、無農薬でやれるのだ。

 祝島の枇杷も、無農薬には拘らないとあった。それで生活するとなると、ある程度の農薬はしないと、採算が合わない。いくら枇杷葉エキスを使う、と言っても、その原材料への金銭は、割が合わないのも事実。

 焼酎の購入を始め、枇杷葉も半端ではない。1~2本ならできるが、100本近くの出荷であれば、人出も要るが、それらへの出費に悲鳴を上げるだろう。消費税が10%になれば、暮してはいけなくなる。金持ちの払う税金の感覚と、庶民とでは差が広がるばかりだ。

 鉈豆の花。ほとんどが白い色。赤鉈豆には、濃い桃色の花が咲く。岡山県の津山地方で栽培されるが有名。

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菜の花や・・・

2012年04月08日 | Weblog

 お天気も先ず先ずで、桜が咲き始めており、散歩には持って来いです。近くにある小学校の校庭にも、桜の花弁が風に揺れています。柳も芽吹いて、麗らかな気温に、心が弾みます。今日は、春休み最後の日で、長閑な昼下がりです。

 菜の花が咲き、母子草、ぺんぺん草、ほとけのざ、すみれ、たんぽぽも道端に彩りを添えます。我が家の庭は、海棠がたくさん蕾をつけている。昨年は1花も咲かなかった。枇杷葉エキスをかけたのがよかったのか。

 自然は、廻っては来るが、当たり前のようで、そうでないことが多い。悪戯に、人間が手を加えるのではなく、逆らうことのないやり方をしないと駄目なのだ。農薬をかけず、自然の摂理に合ったやり方をしたいもの。

 枇杷葉の実が、今年はないかもしれない。寒さにやられたのと、先日の強風にダメージを受けている。寒冷紗をかけてはいるが、枇杷葉の都合もあるし、自然の法則もあろう。ありのままにすることの必然性を強く感じた。

 日本はこの先、国債を返済していくのに、消費税を増やしていくのか。外国のように税金で、国民の暮らしを豊かにしていってはくれぬ。高額所得者ばかりが好い目をみて、所詮庶民へのつけばかりだ。この上に、放射能を撒き散らかされたのでは、国民の糧はない。

 枇杷葉の効力を知っているのは、自然の生き物が多い。初冬のある日、ふと見ると葉がかじられていた。

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再稼動をさせないで!

2012年04月07日 | Weblog

 大飯原発の再稼動を行なう。と言う記事に愕然とした。科学を正しく使うのは、人類の使命でもある筈。況してや、自然への畏怖の念を持ってでないと、恐ろしい結果になるのはわかる。それなのに、早急に始動を決めてしまう理由が掴めない。

 原発での危険性が解り易く書かれている本によれば、放射性物質プルトニューム239の、物理的半減期は約10万年後でも、16分の1にしか過ぎないとある。安全且つ安心な原発はない。ルビジウムには492億年とある。

 一体、誰がどういった管理の下に、安全基準を出すんだ。自然の中からも放射線は出ており、その吸収量は僅かだがある。原発での放射線は人災で、これ以上の犠牲を強いるなら、首相を始めとする閣僚が、福島に行って棲めばいい。

 それを実行しない限り、原発が安全とは認めることはできない。近県の許可と言うが、日本列島の生存でもある。広島の長崎の原爆を、第五福竜丸の被爆を、東海村や六ヶ所村の被害の実態を公表すればいい筈だ。

 チェルノブイリの事故は、日本とは無関係なことなのか。映画が封切られることなので、観に行って来るといい。自分には関係ないのか。今、放射線に汚染されてはいないから。原発を再稼動させたなら、近い将来には至る箇所が放射能で汚染される。

 政府の対応も、当時の首相やその閣僚が決めたことと、しらを切る。正気の沙汰とは思えない。昔からの差別に他ならない。立場や地位を悪用しているとしか思えない。国民、それも庶民への苛めだ。こんな理不尽なことを、素直に認めることはできない。

 ヘリオトロープ。この小さな房が、霧にけぶるように香を漂わせる。日本に古来からあった香料、とも記されている。

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花見

2012年04月06日 | Weblog

 姫路城。桜が咲き始めており、その美しい天守閣は、修理中にて眺められなかったが、人出も先ず先ずで堪能して来た。それにしても、風が凄い。危うく飛ばされそうになる。展望がいいからと、端近に行こうとし、突風に体が浮き上がる。

 姫路城は、千姫さまの再婚先。土産も、千姫さまに因んだ物が多い。根付を嫁に買う。駅弁を買っての花見であったが、腹八分の量にお腹は減る。帰路に向いた姫路の駅で、小腹を満たそうと饅頭を求めた。高かったが、餡子のカフェオーレが美味しかった。

 春休みの一日は、孫たちとの花見に決めているが、次回は京都にしよう。東京の墨田川の川下りもいいかな。リエさんやサンタさんにもお逢いしたいもの。下の孫が1年生では、ちょっと危なっかしく、日帰りをしている。

 姫路に行くまでに、民家の外れに枇杷葉があった。土地柄もあるらしく、この辺りは屋敷内には植えていない。意外と効能を知らないのかも。それとも健康な人たちが多いのだろうか。或いは、海辺に行けば自然に植わっているので、安心なせいかもしれない。

 それにしても寒い一日で、ジャンパーは離せず懐炉を貼りつけての道中で、閏弥生に関し、なるほどと納得した次第。四国に行くには、どうしても瀬戸大橋を渡らねばならない。行きも怖いが、帰りもひやりもの。船も危うい。

 原発を再稼動の動きがあるが、福島の放射能汚染の先行きも完全ではないのに、政府や保安委員は、何を基準にしているのであろう。国が赤字をこしらえ、国民への課税を増やし、消費税を加担して行く等とは、まじめに東北に義捐金を送るのが莫迦らしくなる。

 近くの花木店で購入した。この箒には、きっと魔力が宿っていて、修行しさえすれば、宇宙も飛べるんだ。

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時雨・・・

2012年04月05日 | Weblog

 洗濯物が多いので、外に干していたら、隣の施設の方が、雨よ。と教えてくれる。終ったら晴れ、干したら時雨れる。今日は、何だかいたちごっこの洗濯干しであった。10時に昼食、水分補給にお八つ。その間での洗い物と片付け。勤務を終えるとぐったりする。

 帰宅しても、暫くは体の切り替えができない。毎日、後悔の繰り返しである。祖母の生きていた頃は、貧乏暇なしで、動ける限り、何がしかしていた。今日では、機械が掃除をし、食器を洗い、洗濯をする。まあ、人間が仲介はするが、便利になったものだ。

 祖母も、亡くなる前の晩まで、這ってトイレに通う気力があった。83歳ではあったが、人生を生き切ったのだ。昼寝をすることもなく、何処かに出かけることも、況してや遊びになど、行ったことはない。唯一、お寺の奉納時にある盆踊りと、秋祭りには行っていた。

 だがそれも、私たち孫が小さな頃までで、小学校の高学年になると、あまり言葉も交わさなかった。ひたすら農業に精出し、田畑や山を守っていた。ご先祖を敬い、墓参りを欠かさなかった。祖母の中には、自然のことになら何でも答えてくれる知識があった。

 来世で祖母に逢い、父や母にも遭えたなら、もう一度あの時代に生まれてきたい。貧しさとひもじさとしかなかった。それでも逢いたさが募る。故郷の主の居ないあばら屋に、懐かしさがこみあげる。春休みには、遠くの山に焚き物をしに行った。

 車などなく、皆徒歩で行く。自転車が珍しい、高価な物であったのだ。道草をし、野山を駆け巡り、自然の全てが自分だけの世界であった。墓参りに行く度に、錆びれていく故郷に胸が詰まる。幼い自分がそこかしこに居て、さんざめく光と緑に消えていく。

 夏の暑さにうれしそうなコリウス。枇杷葉茶を飲みだして、汗があまり出ない。暑さもあまり感じない。

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清明

2012年04月04日 | Weblog

 二十四節気の清明は、春分を零度とする地球の、太陽周回軌道15度。となっています。この頃の宇宙は、朧に霞む前で、日中には晴れた空が多い。今年、閏弥生が入るため、天空が大暴れしたのだ。昨年のことを忘れず、備えているなら憂いは少なかったであろう。

 人間は、咽喉下過ぎれば・・・、ではなく、羹に懲りて膾を吹く。慎重すぎてもいけないが、用心に越したことはない。自然災害は忘れた頃に来る。のではなく、宇宙を観ていればわかることでもある。月の満ち欠けと満干潮、大潮、小潮、若潮、長潮等、覚えておくのもいいかも。

 旧暦を知っていると、生活に直ぐ役立つ。併せて、そういった自然への予測もできる。冷暖房での依存では、自然の畏怖は湧かない。宇宙の摂理には、抗うことのできない、不可思議なことが起こる。未知なるものへの遭遇である。

 M新聞には、面白い記事が満載で、朝の寸暇を惜しんで読む。酷く気になる記事に、遅刻しそうになったりするが、興味が尽きない事柄が多い。先月の、『読んであげて』には、奈良のお水取りのことが、とてもわかり易く書かれていた。

 介護の仕事をしていると、個々の生き方が違い、その差も大幅にある。歴史を知っておくこと、或いは専門の知識、また季節の行事に興味を持っていないと、どんな話題がでるかわからないこともある。せめて触りくらいは知っていたいもの。

 大学には行っていないが、広く浅くの知識は必要だ。そのためにはテレビばかりを観ていられない。やらせの番組が多く、同じ内容の低俗化。うんざりすることが多い。極たまには面白い番組もあろうが、CMのなんとしつこいことか。

 尤も、原発の仕組みや、放射能のことを、わかり易く解説はさせてもらえないのだろう。国民の皆がわかるように説明してくれれば、納得して再稼動を認めるだろう。それもしないででは、賛成は愚か、再稼動など問題外だ。

 昨夏の白枇杷の様子。木丈は2m弱で、葉は赤枇杷より小さめ。葉先も細い。実は、3粒生った。さて今年は幾つかな?

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春の大嵐

2012年04月03日 | Weblog

 月齢11.5。大潮。金星とプレアデス星団の接近。なんと風の吹き荒れた日であったことか。帰宅して、家こそ吹っ飛んでいなかったが、梅の花が消えていた。昨日は、咲いていた花弁も、何処に行ったものやら。自然の驚異は計り知れない。

 今夜は、雨と風に救われて、金星の輝きが一際美しい。そこから左に眼を移していけば、おとめ座のスピカと、土星が観え、右斜め上にずぅ~と、しし座まで伸ばせば、火星が鈍く光る。この黄道上には、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座が並んで眼を惹きます。

 今年の宇宙は、実に多彩なイベントが多く、その自然に身を置くことで、生きていられる幸を、感謝する。このチャンスは、地球上に居るからこそ、与えてもらえたこと。青い惑星、地球に生まれてきてよかったと心から思うよ。

 枇杷葉茶を薦めてあげても、続くのは精々三日。よくもって1週間だ。何で続けられないのか、とても不思議に思うが、病気になって死のうが、寝たきりになろうが、他人事ではある。認知症になり難かったり、細胞が若返るのにとは思ってもみるが。

 それにしても、今年も風邪を引かなかった。引いたとしても、瀬戸際で治った。熱も、37.2℃が最高で、殆んどが35℃台を維持している。尤も外出を控え、極力出かけなかったのもある。せっせと図書館で本を借り、読書に没頭した。

 宮城谷昌光氏の『草原の風』、人の生き様を教えられた。宮部みゆき氏の文庫も楽しかった。これは書店で買った。DVDは、シャーロックホームズの冒険を1冊づつ、買っては観る。以前、NHKで放送していたのを観ている。俳優がいいのだ。

 昨年の秋。庭の隅に蕾を付け咲いた。可憐さがいいなぁ。

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枇杷葉、芽吹く。

2012年04月02日 | Weblog

 快晴に迷わず、布団干しをする。麗らかなお天気に燕の囀りを聴く。暖かくなったのです。然し油断は禁物。花冷えの季節でもあって、夜間の冷え込みは続きます。未だ湯たんぽは離せない。上着も旧暦の四月一日までは終えないです。

 庭の枇杷葉を、苗を含めて数えてみたら、何と60本近くあった。地植や鉢仕立ての木は、45本ある。実が生っているのは、茂木枇杷と白枇杷で5本ある。木香バラの勢いに押されていたのを、昨年伐ったが、4枝ばかり華を咲かせた。

 白枇杷は1枝だけついている。大きくなっているのは、10本ばかり。後は随時育っている。そんなに苗ばかりどうすのか?と言われそうだが、生葉が必要なこともあるのだ。特に、腰痛予防には欠かせなく、植えていなければ、いざと言う時にはない。

 枇杷葉の大きくなっているのから、小さな苗までが、春の陽射しに一斉に芽吹いている。もこもこと半分寝ぼけているように、新芽を覗かせている。銀河は、この時期には、出窓に寝そべって居、庭仕事に精出す私を、呆れるように眺めていた。

 春先の庭は、温かではあるが、汗ばむほどでもない。尤も、綿のタートルネックとカーディガンでいたから、爽やかだった。アネモネがあちこち顔を出して、小さな時計のようだ。木香バラも蔓が伸び、衝立に絡ます。あまり大きくしないでおこう。

 クリスマスローズは、色も様々だが、模様も微妙に違う。八重咲きが1鉢あった。名前は覚えきれず、一塊に置いてあるが、地植にしたいもの。鉢の大きいのに植え替えるか。最初は何気なく買ったのだが、長く咲くのと種が発芽するのは魅力。

 これ何て名前だった?龍の髭だったか。子どもの頃には、山の斜面にクス玉があった。そう思って買ったんだが。

  

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春の宵は・・・

2012年04月01日 | Weblog

 夕方の宇宙には、金星が燦然と輝く。素晴らしい!ヴィーナスとはよくいったもの。木星はジュピター。土星はサターン。火星はマーズだ。明後日には、金星とプレアデス星団が接近する。和名は昴。数多の星が美しい輝きだが、金星のー4.5等星には霞む。

 庭の梅の花が、強風に散った。今朝見ると半分になっている。雨脚も強かったから仕方ない。自然の物は、自然に逆らうことなく有のままである。人間だけが、自分の利益に見合うよう、自然の摂理を壊していく。人間の命が一番、大切であるように言う。

 人間だけが助かろうとする。そのためには、防波堤を高くする。避難する場所を作ろうとする。だが地球は、呼吸ができなくて苦しいのだ。ごちゃごちゃと建てられ、迷惑でならない。地震も津波も同じ。何をどうしたって助からないこともある。

 昨年の震災の瓦礫を、全国で受け入れられない。けれども次には、原発の放射能は容赦なく広がる。日本列島もどこにも住まう場所はなくなる。安全で安心な所はなくなる。今後、生き残れるのは、正真正銘の選ばれしものだけ。人間はいないかも。

 自然の掟に従っての生命体には、人類の及ぶところはない。人間ほど愚かで役に立たず、一人で生きていけない生き物はいないのだ。加えて、他の生命体の命を奪い、自分達の食料にする。飼育して利益に換える。

 枇杷茶を飲み始めて1ヶ月という人が、下痢をした。と、文句を言う。そりゃい違うだろう。体内の溜まっていた毒素が出たんだよ。喜ばしいことではないか。まあ、続けるとは言っていた。枇杷葉のアミグダリンが働いたものと思える。

 秋の薔薇。初夏の薔薇とは、微妙に色が鮮やかだ。澄んだ色にはっとする。

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