枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

薬草の利用法

2012年04月19日 | Weblog

 イタドリの塩漬け、味噌や糠漬け。体の熱を下げ、体温の維持をします。根槐は特に、解熱作用がある。摩り下ろして汁を搾って飲む。酢っぱさが特長。梅の風味と似ており、作用も略同じ。崖や岩場の荒た場所で育つ。春に新芽を出す。

 ドクダミ。蕺、十薬とも書く。体内の10の臓腑を正常にし、毒素を排出する。これも根槐がいい。春に芽吹き、初夏に白い花を咲かせる。この時期の状態のを刈って、陰干しをして飲用する。臭いは独特の物があって、やや好まれぬ場合がある。

 鉈豆。連休の時期に種を植え、発芽させる。夜盗虫に注意する。うっかりすると、折角出た芽を食い荒らされる。肥沃なこと、水分不足を嫌う。収穫は夏場であるため、水遣りは欠かせない。鞘は焼酎に漬けたり、乾燥させ使用。胃腸や口臭に効果がある。ニキビ・吹き出物にも。

 蓬。新芽が出た時点で採取。さっと湯がいて、白玉粉と混ぜ、垂れを作って食す。心身の疲れに効くこともある。独特の匂いと灰汁がある。体質によってはアレルギー反応が出ることも。お灸は充分乾燥させた物を使う。

 スギナ。土筆のこども。と言われるが、真実味には欠ける。お茶で飲用するが、農薬の変わりに雨水の中に入れ、エキスを摘出す。唐辛子や大蒜を加えてもいい。用途に依って使い分ける。ナメクジ、ばった、ハダニ、アマコ(アブラ虫)に効く。

 つわ蕗。湯がいて食べる。蕗と似ている。葉の部分を火で焙り、患部に当てる。出物、腫れ物の毒を吸い出す。独特の匂いがあるが、胃痛を和らげる。春に新芽を出す。秋には黄色の花を咲かせる。半日陰や湿気を好む。

 その他、サフランや福寿草、桔梗、オオバコ。夏枯早、梔子、柚子、柿、桑、李や杏の樹木にも漢方としての効果がみられる。枇杷葉には、これら単品の働きを、併せ持つ効果がある。但し、個人差は否めない。気長に続ける事が大切である。

 昨夏の枇杷葉の緑と、セージの赤が印象的。庭の中を、涼しい風が吹く。

 

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暮らしの中に・・・

2012年04月18日 | Weblog

 電気があらゆる物に使われ、お金さえ払えば暮らしは豊かになる。と、信じてもいた。だがそれは働いていればこそ。仕事がなくなったら、たちまち貧窮する。食べる物は愚か、料理することも、洗濯も、何もかもできなくなる。

 お金がないと、暮らしはできない。その日暮らしであっても、食べ物さえあれば生きていけた昔。今は、比べるべくもない。電気が止まれば、冷蔵庫も洗濯機も、何もかもが動かなくなる。便利さに慣れて、結果惨めなことになる。

 自然と共生していれば、何等困ることはないが、余りにも電力に頼り過ぎた。材料のウランは少しで済むが、核のゴミは増え続く。人間のすることに絶対はない。機械もまた、人類の造った物。完璧ではないのだ。

 原発を再稼動させて、誰が得をするのか。地元に恩恵があるというが、誘致して多額の寄付金で潤うからか。然し、長い目でみれば、絶えず危険と背中合わせ、それも災害の前には防ぎようがない。放射能だらけにして、何がいいのだろう?

 だからこそ、原発はいらない!地球の未来の為にも、人類の繁栄のためにも、この星は、青く美しい星でなければ。何故、日本だけが、原発を稼動したいのか。甚だ疑問である。未来少年コナンや、風の谷のナウシカを観ていて、愚かなことに気づかない。

 恒例の方に、肌が白くて綺麗。と、誉められた。然も、お化粧をしていないの?と言われる。内臓は40代の数値だし、偏頭痛もなくなったし、とても喜ばしい。枇杷葉と蒟蒻のおかげです。ドクダミや鉈豆にも感謝。

 美しいセレネ。古来から人類は、この恒星に、摩訶不思議な魔力を感じていた。月の満ち欠けに伴う、人間の生死は、殊更に不思議な現象であった。

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花筵、花筏・・・

2012年04月17日 | Weblog

 ソメイヨシノが散り始めている。風に舞う様に見惚れる。川面に、足元に散っていく。まるで花筵、花筏のようである。優雅な気分になれる。デパートの地下でお弁当を買い、緑道公園をぶらぶら、適当なベンチに腰掛けて、中食を頂く。晴天に風が心地よい。

 平日というのに、学生が多い。授業をサボっているのか?小父さんにギャルもいる。そうかと思えば、お年寄りが夫婦、手を携えて歩いている。ネコや犬にえさをやらないで。と、看板が立ててあるのに、あらまっ・・・。鳩に鴉も、人間の食べ残しを狙っている。

 川から、鰐が上がってこなくてよかった。ニシキヘビに襲われた人がいたが、一歩外に出れば危険は伴うのが当たり前。ペットで飼っている者が、逃げたのに気づかなかったら、何処に潜んでいるやもしれない。クワバラクワバラ・・・

 孫を迎えに行って、満開の海棠の前で、写真を撮る。チュウーリップやアネモネを、机に飾る。と言うので、花束にしてやる。薔薇の葉に、牛乳をかけておく。ハダニとアブラ虫退治です。できるだけ葉裏に向かって吹く。

 リエさんと、やっと連絡が取れる。よかった。介護って、休憩がないから大変だよ。仕事でするのと、向き合ってやるのとでは、落差がある。一人ではできないことも、何人かですればできることもある。四六時中、看ているのには疲れが溜まる。

 大月書店から出ている、ストップ原発。とてもわかり易い。全4巻あるが、これは手元に置いておきたい。孫たちにも読んでやったり、質問されて、答えられるように。内容は、難しい言葉も出てくるのですが、そうなんだ。と納得できる。ご家庭に1巻いかがでしょうか?

 ジュピター。今は-1.9等星で、水平線の近くに、水星と共に観えています。昨年から美しい輝きを観せていましたが、ちょっと観え難くなってきています。

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桜吹雪・・・

2012年04月16日 | Weblog

 桜は散り始めた。旋風に、吹雪の如く舞い上がる。よ!待ってました、金四郎。遠山金四郎は、庶民の心をわかる名奉行。と名高いが、大岡越前の方が人情味があっていい。若い時に苦労した越前。人間が裁くことには過ちもまたあろう。と、常に謙虚であった。

 最近のテレビの下らなさには閉口する。勤務先でつけてはいるが、電気代の無駄ではないか?とも思うが。何にしろ、再放送が多い。それも、殺人事件が、日常茶飯事に起きる設定。殺人手引書みたいで厭だなぁ・・・。

 この時期には、暖房も冷房も必要ない、快適な暮らしが保てる。体を、自然に慣らしておこう。初夏の陽射しに慌てることなく、準備万端で迎えよう。朝夕には、めっきり冷え込むので、冬物は終えない。羽織り物を、いつも傍に置いておこう。

 銀河が居た頃は、何処に居るかで着る物が決まった。或いは、準備や予定が立った。猫といえども適応力は素晴らしい。自然に対する知識には、優るとも劣らない、動物の感がある。特に雨が降る前には、気づかれぬように、いつの間にか眠っていた。

 銀河は水が嫌いで、夏の水遣りには、寝たふりをして、出窓から外を見ていた。うっかり網戸にしていた時には、飛び上がって一目散に逃げ出した。風呂も嫌いであったが、止む無く我慢して洗わせていた。今は庭に眠っている。

 梅の花が咲き始めた。今年の春は遅く、花は咲いて、あっという間に散り終わった。春の嵐が吹き荒れた。

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あんよはじょうず。

2012年04月15日 | Weblog

 Aさん家のお孫さんの、満1歳のお誕生日。お餅を背負い、はいはいをして、箕の中の道具を選ぶ。餅の上に立って、兜をバックに写真を撮る。笑顔が可愛い。拍手喝采にポーズを決める。その仕草の何と愛らしいことか。

 Aさんの心尽くしの散らし寿し、から揚げや、春巻き、お刺身等、ご馳走が並ぶ。主役の昼寝を挟んで、バースデイケーキのお祝い。ケーキも特別注文とか。散らし寿しの中に入っていたのは、京都の朝堀の筍。口に入れた瞬間に、風味と舌触りの違いに気づく。

 ご先祖様も、あんよはじょうず。と手を鳴らしている。曾孫、玄孫になる件に、お元気であれば、曾孫も見れたであろう。と、ご隠居さんの姿を思う。白寿までは生きていてほしかった。母にも父にも同じように思う。

 歳を寄せれば、忘れることも多くなる。できていたことも限られる。だからこそ、一緒に生活をしていくのに、兄や妹は、両親を邪魔者の扱いにし、孤独の中で殺した。自分達の生活のためなら、親の面倒を看るなど真っ平と、金で形をつけた。

 兄が誕生した時は、大家族ではあったが、待望の男児で、大騒ぎをしたらしい。まさに、上にも下にも置かずで、祖母を始めとして、鯉幟も兜も奮発した話だった。ランドセルに、机に、兄に関しては特別な扱いをされたのだ。

 父や母が亡くなって、兄の言った言葉は、それが負担であった。と吐き捨てた。尤も、してもらったことを感謝するくらいなら、親の看取りはしただろうし、兄妹が力を合わせてできた。と思うよ。親も子も、お互いを選ぶことはできないのか。

 否。選んだからこそ、同じ屋根の下で暮してきたのだ。子どもの頃にはわからなかったが、今はその繋がりがあったからこそ。と納得する。もし、生まれ変わってこれるなら、祖母の、母の父が居る場所にしたい。

 今年のクリスマスローズの蕾。白が初めに咲き出す。

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再稼動して、核のゴミはどうするのか?

2012年04月14日 | Weblog

 原発の再稼動に反対なのは、稼動してできる、核燃料のゴミの処理をどうするのか?という疑問が残るからだ。青森県の六ヶ所村に捨てる?其処から出る放射線は、人体には影響ないの?核燃料のゴミを運ぶのに、通過していく道路や近辺には、問題ないのか?

 或いは、誰がどんな風に困って、得なことになるのか。原発がなくても、電気を止められても、構わない。山に行けば、燃料には事欠かない。焚物をして風呂を沸かし、七輪で料理を作ればいいし、竈を築けばいいことだ。

 便利で快適な暮らしは、人間の知恵や工夫を奪ってしまう。旧暦で生活すると、天災に備えることも可能だ。自分の足で歩き、自分の体を生かし、健康でいられることこそ、ありがたいと感謝できる。朝日が昇れば起き、夕陽が沈むと寝る。

 祖母が枕元でしてくれた話は、昔話だったり、聞きかじりの出来事だったりしたが、本を読める楽しみを教えてくれた。努力をしないと完成しなかった。体力的には辛いこともあったが、成し得た歓びはとても大きかった。

 綺麗な服を着て、美味しい物を食べ、それらがなくなったら、絶望と生きる気力が失せてしまう。真実もなく、大切な物さえわからなくなる。パソコンも使えなくなるかも。まあ、原稿用紙があるからいい。紙と鉛筆で充分なのだ。

 日本中の原発が止まって、本当に電気が足らないのか。不足だというなら、電化住宅であろう。我が家など、冷暖房は一切使わないので、一向に構わない。冷蔵庫がなければ、畑を作って野菜を植える。その日暮でいい。

 月や星が眺められ、天文に詳しくなり、旧暦がわかるというもの。皆で支えあった暮らしも、捨てたものではない。妖怪や物の怪の類が視え、話も通じるかもしれない。体のためにはきっといいことが多いよ。

 毎年、蕾をつけるシクラメン。窓辺に2鉢置いているが、たくさんの花をつける。

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不老長寿の秘薬・・・

2012年04月13日 | Weblog

 その薬は、何処に行けばあるのだろう。手にした者がいたのか?歳をとらず、今も尚、生きている人なら、何世紀も姿や、名前を変えているに違いない。だが、実際に可能なのだろうか?或いは、生存し続けられるのだろうか。

 火の鳥。永遠の命を求める人間。我はロボット。ロボットであるが故に、死ねないことが耐えられない。愛する者と同じでいたい。そのために人間になろうとする。(尤も映画の話で、原作とは異なる)死にたくない者は、不老長寿を願い、機械は生身の体を求める。

 誰も居ない時間を永遠に生きる。それは果てのない世界で、無限にいき続ける事。何回、死のうと生き返り、時を彷徨う。幸福か不幸かは未知なるもの。だが死ねないことは、最終的には辛いのではないのか?

 この世に産まれたのは、自分にだけ課せられた使命があるから。そのことを終えたなら、来世に往ける。生きる時間も、使命によって決まっている。いや、神さまが定めている規定かもしれぬ。何にしろ生かされていることを感謝しよう。

 枇杷葉エキスを、枇杷茶を飲みながら、ほのかな香りをかぐ。細胞の動きを感じ、体が充実していく想いに駆られる。体中を癒され、不思議な感動に包まれ、至福の想いに浸る。これ以上の幸福はない。これこそ自然の恩恵を分けてもらっている。

 菜の花を買って作ったお寿司。菜の花の緑と卵の黄色がきれいだった。

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陽気に軽やか・・・

2012年04月12日 | Weblog

 今朝は、つい二度寝をして、危うく遅刻するところだった。いかん!春眠暁を覚えず、というが油断した。書店で買った、ナルニア国物語を観て、その余韻に浸ったのが原因だ。アスランとカスピアン王に、再び遭えるとは。

 スーザンやピーターもいいが、エドマンドの屈折した想いも、ルーシーの複雑な心理も巧みで、引き込まれていく。物語の真実性は、それを信じるか、否かだが、胸の中には幼い頃に夢見た憧れが渦巻く。果敢に立ち向かっていく勇気に拍手。

 小説の中には、自分のことかと思える文章があったり、作者は透明人間で、もしかしたら見ているのかも。と思える件があったりする。心の闇と、洸は同等であるからこそ、迷うし決断を下すことができるのだが、巧みな文字の羅列に、心が揺れるのだ。

 ロイズのポテトチップの新種が出た。今日届いた。これって、大人の味かな?甘さが控えめで、珈琲とよく合う。次回からは、これも加えて注文しよう。ポップコーンも美味しそうだったので、注文する。これは孫たちに。

 帰宅して、海棠が咲き始めているのに気づく。チューリップも咲いた。勿忘草も咲いている。芍薬の芽が伸びた。薔薇の新芽も出た。ハダニがいたり、アブラムシがいるので、枇杷葉エキスと、牛乳を塗布しておこう。

 枇杷葉の袋かけは、今月の下旬とあったが、朔になってがいいようだ。旧暦を参照して、袋かけをしよう。上手くいってくれるかな。自然との折り合いをつけるのは、簡単なようで難しい気がするが。人間の思い上がりが多いのだ。

 カラジューム、魔女の箒、枇杷葉苗。夏は、植物の生育を援ける。

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潤いの雨に・・・

2012年04月11日 | Weblog

 春の雨はやさしい、と唄ったのは小椋佳さんで、濡れそぼる雨を見ていると、何だかそんな気がしてくる。庭の花木は、生き生きとしている。今年の冬場は、案外雨が降ったのだが、春先には花が咲き競うので、天水はありがたい。

 クリスマスローズが満開になっているのにも、水遣りを忘れると萎れてしまう。風が意外と水分を飛ばす。路地にだといいが、鉢やプランターではそうもいかない。それと夜間の水遣りは禁物。仕事が早出の時には困ってしまうのだ。

 如何なる理由にしろ、花が咲けばいいのではなく、その後の管理の方が、悩むことが多い。海棠も、昨年に咲かなかった原因が不明。今年は、寒中に枇杷葉エキスを何回も塗布し、祈る気持ちで蕾を待った。甲斐あって、花の咲くのが愉しみ。

 枇杷葉を、鹿が好むらしい。一昨年に枇杷苗を数本あげた方が、油断していて網から入られた。と残念そうに言われた。そうか、鹿も餌がないんだ。我が家の庭には出没しないが、山はすぐそこで、鹿はいるのだ。

 猪も、瓜坊くらいならいいが、小山のような体躯では、仰天してしまう。自然からの恩恵には、野生の生き物も含まれる。人間は自分達のことしか考えない。我が家には、たくさんの枇杷苗があるから、フェンスの外に植えておこうか。

 勤務していて、肩と手の付け根を思いっきり打った。肩は腫れているようだ。帰宅して、生の枇杷葉と蒟蒻とで湿布をしている。痛みが半減した。手の付け根には、焼酎漬けの枇杷葉を貼った。親指の辺りだが、折れていなくてよかった。

 何時如何なることがあって、何に必要かはわからないが、焼酎に漬け込んでおくことの大切さを思った。いざという時に、平素から準備していれば、何という事もない。備えあれば憂いなし。格言の意味がじんわりとする。

 玄関の梅の根元に、植えた種から発芽。ちょうど1ヶ月。その後、鉢に移植され、もらわれて行った。

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花霞、花曇

2012年04月10日 | Weblog

 庭に立ちて見れば、桜が霞む。車道の側は田畑だが、山に向けては霞が棚引く。娘の住む所までは、沿道が満開の桜並木。空は薄曇りの淡い色。あちらもこちらも桜である。山笑い、霞みか雲か。自然の景色に酔ってしまうのも、春なればこそかもしれない。

 我が家の庭の花々も、蕾が膨らんで咲き始めた。アネモネ、ムスカリ、チューリップ、色芹も絨毯のように鮮やか。椿は桃色。ヒアシンスの紫、桃色にオレンジ、白、ピンクが彩る。満開のクリスマスローズと、海棠の蕾が待ち遠しい。

 枇杷葉は、新芽を伸ばしており、まるで欠伸をしているよう。枇杷葉エキスを塗布する。春先は虫のつき易い時期でもある。用心していなければ、あっという間に葉がなくなる。人間には目障りには違いないが、虫には生きる糧である。

 小手毬とゆすら梅は未だ先か。芍薬が芽を出す。木香バラは勢いがいい。薔薇も新芽を出し、青々としてきた。明日は、雨らしい。この時期は雨も多い。種物も蒔かねばならず、苗も色々と買いたい。特に今年は、唐辛子を植えたいもの。

 旧暦の参照と、祖母のしていた農暦を思い出しつつ、手探りながら愉しみたい。祖母には生活の全てであったのだが、田畑のない私には、現状維持が望ましい。自分でできること、遣れる範囲を守ることだ。自然からの恵みを感謝するのが、先ずは手始め。

 娘の所に行った帰り、スーパーに寄ったら筍があった。散らし寿しをする予定だったので買う。糠も付いてある。帰宅して直ぐに湯がし、他の材料を味付けする。孫を迎えに行くので、その間の気晴らしだ。山椒がない。豌豆にするかな。

 クリスマスローズの苗。種が落ち、自然発芽したもの。これをせっせと育てて、花を咲かせる。意外と愉しみである。

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