枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月・冬至、下弦・小潮

2016年12月21日 | Weblog

 二十四節気 冬至 この日は、太陽が黄道の、南側を通るので、北半球では、一年中で、最も昼の時間が短い日となり、寒気も厳しさを増してくる。毎年、十二月二十二日頃である。朝の晴れた様子に、穏やかさを感じ、小春日和に寒さは何処に?と案じる。

 沖縄は、単独で基地の阻止をしようとしても、安倍政権のごり押しと、無茶苦茶な言い掛りには呆れるばかり。戦後のアメリカの言い成りが続き、今尚以って、戦争の爪痕は残る。それなのに、真珠湾への慰霊とは、庶民を嘗めきっている。直ぐに退陣する由。

 自分の住む場所でないからいいの?基地は要らない!と断固声を上げよう。単なる学歴だけの、中味の無い人の姿をした化け物の集まりが、国会ではないか。それを選んだ責任は、国民にあるかもしれぬが、比例代表制で自民圧勝にしているのが現状。

 お隣の国ほどではなくても、庶民の声を聴かない官僚に、政治を任せる意味がない。云うは易く行いは難くである。不言実行とも思うが、自分の懐具合ばかりを気にする、国会議員等は、クリスマスツリーの飾りにもならない。国民の税金での生活ではないか。

 日々の暮らしにも切迫している者を省みず、遣りたい放題の言い放しで、本音を喋っていて、失言と撤回する。自らを謙虚に保ち、欲得よりも国民の生活を優先させる議員等、数えるに満たない。生前退位さえ、まま成らない天皇陛下が、お気の毒でならない。

 内田康夫作品も、上海迷宮、悪魔の種子、砂迷宮、と読み進み、還らざる道に入った。残すところ数冊で読み終える。今年の100冊の課題は、何とか果たせたが、他の書籍も紐解くので、思うに任せない。もっぱらの課題は、郷土資料を読んでまとめること。

 郷土の歴史には、面白味も愉しいことも欠けるが、自分達の祖先に繋がることなので、大まかにでも知っておきたい。小説としての文体とは異なるが、町民が興味を持てる内容に書き起こしたい。年末・年始を充てる予定。自分のできる可能性に挑戦する。

 リエさんに花芽が着いたらしい。年末の頃であり、時間指定をしていなかったので、遅くなったらしい。採ったばかりの花芽です。剪定して、直ぐに箱に詰めたので、新鮮でしょう?アロマ効果も抜群です。枇杷葉の花芽の下に立つと、至福の一時が訪れる。

 秋になり、夏の新葉が硬くなって、繁ってき始めた。葉の中心を覗くと、何やら膨らみが見える。

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人混みを避けて・・・

2016年12月20日 | Weblog

 時間的なこともあってか、電車は混んでいた。優先席が空いていたので掛ける。一応、年齢的には問題はないが、見た目を言うなら、ちと文句を云われそう。ジーパンにハーフコートでは、と心配したが、誰も何も言ってこない。四季の星座に没頭。

 市内に着いて、目的の場所に行けば、ここも待つことなく用事が済む。急ぎUターンをし、駅に戻る。時間を見ると、少しばかりあり無印良品に寄る。空容器を買って電車に乗る。降車駅に愛車を置いているのに料金を払う。帰宅途中の花屋さんに。

 此処は、クリーニングも扱っているので、先日出していたワンピースを受け取り、帰宅へと。途中のコンビニで、ベルネの支払いを済ませる。図書館に寄り、借りた本を返す。図書館のコーナーには、末吉暁子さんの、著作を並べてくれている。感謝。

 自宅を出たのがAM10過ぎで、役場に寄って最寄の駅に向かい、所用を済ませて帰宅したらPM1:30であった。田舎の事情は、車での移動しかないが、無駄の無い時間と思える。全く以って、用事にしか行かないから、気忙しいことだが仕方ない。

 電車では、混み合っていた気もするが、脇目も振らずでは、人間は一体何処に流れていくものやら。明日は冬至であるのに、何という暖かさであろうか。昨年漬けておいた柚が、エキスを出しており、昨日濾しておいたエキスを延ばして容器に移す。

 柚の種から摘出したエキスは、肌を滑らかにする。手荒れや肌荒れに良いが、アレルギー反応もあるので、少し浸けて試してからにして。35℃なので、アルコール度もあって、最初はパシパシとするかもしれない。適量を、精製水で薄めるのが良い。

 防腐剤や界面活性剤が入っていない分、腐ることもある。その点、35℃は腐りもせず、長期間の保存も効く。要は、使い切ること。小まめにしないと折角の苦労も報われません。枇杷葉ローションも、葉・花芽・種と分けて作るといい。微妙に異なる。

 枇杷葉の葉は主に、切り傷・擦り傷・捻挫・打撲・打ち身等、外傷的な事に用いられ、花芽は、ローションやお茶にします。香りが仄かにあって、アロマ効果が大きい。心身に及ぼす影響には多大なものがある。種は、アミグダリンが豊富です。薬酒。

 先月の鎌で切った左手の一指し指。えっ?一体何処を切ったの???と言うくらい、傷口は愚か、何も跡が残っていません。細胞の復活を促し、短期間でくっつけてしまう作業を、医とも簡単に遣って退ける。人間の持っている再生能力をフル回転。

 立秋が過ぎると、心なしかもの淋しい。夏中、咲いていたベゴニア。晩秋まで咲き、以後は室内で咲き続ける。

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花芽収穫す

2016年12月19日 | Weblog

 何という暖かさだろう。小春日和を絵に描いたような、青空の広がる天気だ。のんびり寝ていたいのは山々だが、起きなくては。明日は、市内まで行かなければならない。カーディガンを羽織るが、汗ばむ陽気に心配になる。花芽が上手く結実するかしらん?

 ふと思い立って、剪定をする。何本かの枝を伐る。思いの外、花芽が付いており、摘んでいくとダンボールの箱に一杯に。急遽、リエさんに送ることにした。しーちゃんのも採り、不織布に入れる。本屋まで行く途中、青空市で柚を買う。銀行に寄って宅配所に。

 郵便局で記載し、JAに行くと、大声で呼ばれる。振り向くと親戚の者である。小さな頃から面倒をみていた子で、この春から移動になっていたそうだ。待っていて、と言うので辛抱強く居た。珈琲の美味しいのを淹れるよ。と言えば、忙しいんよ、といい訳をする。

 帰宅して、洗濯物を仕舞い、銀行で換えたお年玉を並べ、パソコンに向かう。孫等には札を、小さな子には硬貨を用意しておく。知人の所には、クリスマスもあるし、出費が重なる。本屋が消えて、選んで買うことが難しくなった。図書カードは味気ないもの。

 枇杷葉茶も作らねばならない。枝の剪定で、たくさんの生葉が採れた。焼酎にも漬けておこう。白枇杷は、小寒になってから伐ろう。長崎茂木も、先端の方は、未だ咲いていなかった。暦では小寒辺りからになる。リエさんのも、中々満開には遠い。待っていて。

 サンタさんのは、5分咲きかな。これは淡路田中だから、粒が大きい。我が家で育っているので、少しは小さく生るが、味は濃厚で甘ずっぱい。長崎茂木は全体に甘さが強く、白枇杷に至っては、甘さが強く、程好い酸っぱさもある。何れも粒は小さいが美味。

 我が家のは、品種よりも、かけ合せの方が強く、所謂雑種である。それでも、心を籠めて接していると、枇杷葉成りに美味しくなる。自分のしていることが、結果として還ってくるのだ。そのことを心に刻んで、自然との共有をしたいもの。感謝と祈りを忘れないで。

 長崎茂木を、両親に食べさせてあげれたことが、唯一歓びにもなっている。店に並べている枇杷の実を買ったらしいが、味は大きく差があり、残念がっていた。両親が元気な頃に、収穫できたことも、偶然の賜物だろう。丁度、収穫の時期には、蝮が出るのだ。

 青空市で買って来た、ミニトマトの苗に、たくさんの実がついた。熟れたのを直ぐに食べれる幸せ。

 

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傾向と対策

2016年12月18日 | Weblog

 衣類の殆んどを、ベルメゾンで購入するのは、画面で見て選べることだが、最近は、股下丈が減り、加えてウエストはゴム仕上げである。これって、どうぞ肥って、とばかりの商品の並べ方に困惑する。股下丈も、求めるサイズがなくなり、探すのに一苦労。

 腹が立つのを通り越している。買い手の少ない商品も、注文すれば可能なようにしてほしい。まあ未来では、パソコンにデータを送れば、瞬時に希望のが出る仕組みになるかもしれない。直ぐに届かなくても、自分の好みの製品が手に入るのが好ましい。

 寒がりでもあるから、子どもの頃には難儀をしていた。祖母は、取っておいた屑繭を繰って、肩に乗せてくれたが、今は蚕も飼わない。綿製品が多様に出て、温かさが続くので下着で助かっている。毛糸もウール100%でないと困る。アクリルは痒くなる。

 それでも、枇杷葉茶を飲んだり、ドクダミ茶や、通草酒を口にするようになって、随分と体質改善された。冬になると、身体中痒くて、白い粉を噴いていたのが消えた。枇杷葉ローションで、角質もなくなり、紙魚も雀斑まで無くなってしまった。美白効果も有。

 肥る原因は何か?色々あるでしょうね・・・ストレスも無論ですが、きちんと朝食を摂らないと、空腹の状態が続くと、結果としては肥るのだ。肝心なのは、適当に動くことも大切だが、エネルギーの激しい消耗に繋がると、肥るのではないか?とも思うが。

 先日、大根下ろしを、油で揚げてみよう。と言う記事があった。職場の者が試したら、絶品ですね。子どもも喜んで食べたそう。人参や牛蒡を加えて、かき揚風にしてもいい。ちょっとした工夫をすれば、無駄がなくなるし家計も助かる。牛蒡は風邪に好い。

 枇杷葉茶の暮らしをしていると、実に余分なことがない。尤も、基本であって、これに適宜、体調に応じて加える。千振も、苦さが効くのだ。医者に行くくらいなら、身体のために飲む。薬の副作用を思えば、何ということも無い。自然からの恩恵は有難いのよ。

 枇杷苗の辺りに咲く。最初に貰った種が、何時しか落ちて発芽し、咲いていくのだ。蕎麦は未だ打てない。

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枇杷葉の花芽茶

2016年12月17日 | Weblog

 今年の花芽も、昨年のも咲き具合で言うなら、然したる変わりはない。殊我が家に於いてのことで、他所のは昨年よりは、たくさん咲いているようだ。作物の出来不出来にも、無農薬の自然栽培が威力を発揮するのかも。何に対しても、感謝と祈りを忘れまい。

 花芽を採るのは、晴天が続く日を見計らってしよう。市販のお茶パックに詰めていくが、数日軒下で乾かせてしたのがいい。お茶パックに詰めたのは、日付を書いて、ナイロン袋か、容器に入れて、冷凍庫に保存する。花芽は、酸素を出しているから他では腐る。

 軒下や室内での保管をしていたら、春先には虫が湧いた。陽の射さない場所だと腐ってしまうが、これはナイロン袋が原因で、酸素を出し続けているためだ。植物は二酸化炭素を吸って、酸素を提供してくれる。我が家の居心地の好さは、酸素が豊富なこと。

 空気の濃度が違うのだろうか?否、清々しさというか、新鮮さがあるというのか。加えて、肥らないのは、この鮮度かもしれない。屋敷の前は道路であるので、空気が汚れている。それにも拘らず、枇杷葉が繁って防いでいるのだろう。枇杷葉には浄化作用が。

 花芽も、主幹道路の川端にあるのと、我が家のでは、明らかに差がある。排気ガスの分量にも因るのだろうが、はっきりと香りも味も違う。同じ枇杷葉なのに、それだけ酷使されているようだ。枇杷葉は、自分の役目を果たしているだけだが、有難いことであるよ。

 昨晩の凍てつく寒さに、今朝は氷が張っていた。入浴は、入寝にしたが、ストーブも倹約なので、身体が冷え切っていたらしい。まあ、凍死することはないだろう、と我慢している。枇杷葉茶のお蔭で、トイレの回数も少ない。通草で咽喉も痛まない。感謝の連続。

 塩で擦るので、皸も直ぐ治る。多少のざらつきには、柚ローションをつける。基本は、枇杷ローションでするが、ドクダミも大いに役立つ。病院に行くと、つまらない病気をもらう。手洗いも嗽も、枇杷葉茶で済ます。自然からの贈り物を最大限に生かす。知恵と研究。

 立秋。庭の片隅に、ひっそりと咲いていた朝顔。意外と長く咲くのにびっくり。最初は、買った種を蒔き、以後は自然に。

 

 

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年末の掃除・・・

2016年12月16日 | Weblog

 年末だと思うから、気忙しいのであって、毎日していれば解消すること。忙しい、を口実にしない。掃除等、横着をするから溜まる。雑巾を其処彼処に置いておき、気づけば拭く。枇杷葉茶が実に役立つ。化学洗剤には、アレルギーがあるので使わない。

 琵琶湖の水を綺麗に保つのに、粉石鹸を使っているが、油汚れなどは、1晩浸けておくだけでいい。換気扇も、台所回りには覿面だ。壁紙も、薄く溶いたので拭けば驚く威力を発揮する。高いお金をかけて花粉症を促したり、喘息等もったいない。安価。

 買えば好い、という宣伝文句には、売れないからCMするのだ。事実、役に立てば、口コミで広がって、宣伝するまでもない。自分ですれば、ダイエットにも繋がる。いいこと尽くめで、貯金はできないが清々しい。手間と思うからしないのは、痩せない原因。

 人間の美しさには、二通りある。見た目と心根。自慢ではないが、決して美人ではない。けれども自分を磨くことを諦めない。堪えず、何故なんだろう?これはどういうことなのか?失敗も数々あるが、先ずは遣ってみる。まあ、懲りない性格なんだろうな。

 ノーベル賞を貰えるのは、一握りの者だが、学んでいくことには制限はない。物理的なことは解からないが、漠然とした自然の摂理は、身体が知っている。それは歳を経て修得できる。加えて、祖母のしていたことが、とても役に立っている。有難いこと。

 勤務先で、汚染したカーテンを洗う、と言うので、ボディソープで洗濯するよう伝えた。おおっ!驚く威力である。新品に戻ったよう。掃除機も、掛けなければ埃が取れないが、これなども雑巾掛けが一番好いのだ。出腹ったのも解消。機械で腹筋より佳い。

 何かに頼ってするくらいなら、お金をかけず動いてみたら好い。じっとしていたら、肥るのは当たり前。同じ歩くのでも、美しい歩き方をしたい。背筋をしゃんと伸ばして、自分に合った歩調は云うまでもない。色つきの女でいるには、そういった陰の努力を怠らず。

 激務の勤務を終え帰宅する。最近、タイガースを聴いている。これが、結構ストレス解消に役立つ。たった一人の観客だが、当時の彼等が演奏してくれるのだ。人気絶頂期には、騒がしい黄色い声が飛び交っていたが、此処にはそれがない。耳を傾けて。

 小さな株で買った、白ランタナ。毎年、花をつけて咲く。ランタナは七変化とも言うらしい。黄色もある。

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穏やかな冬晴れ・・・

2016年12月15日 | Weblog

 小春日和とは言い難いが、それでも風もなく、晴れてくれたので、急ぎ起きる。父母のお茶湯を、欠かさず続けているので枇杷葉茶を沸かす。カーテンを開ける序でに、雑巾で窓の結露を拭く。年末時に慌てないことにもなるが、普段からの習慣に。

 ストーブも、我慢ならなければ数時間は点けるが、湯たんぽで結構暖かい。職場では、暖房の温度が何時も高めで、先日など逆上せてしまう。省エネ等何のその、電力会社の思うままで、原発再稼動に協力している。1人片端から消して回っている。

 節約・倹約を心掛け、要ではきちんと使わないと。身体に必要なのは、食べ物のエネルギーであり、無闇に暖かくすることではない。自然の条件に合った状態を、工夫して提供するのも大切なこと。せめて、自分の親を預けているなら、様子は聞いてよ。

 連休の日には、可能な限りは自宅で過ごす。昨日は、用事であちこち行ったが、布団を干していては、時雨の心配もあり、枇杷葉の花芽の咲き具合や、薔薇の剪定等の、見回りをする。お酢の液も入れ替えておく。クリスマスローズの芽も見えてきた。

 リエさんの花芽が未だ1分咲きなので、お茶にするにはちょっと早い。しーちゃんのやサンタさんのは、略満開である。サンタ枇杷葉の咲き具合は、昨年のより多くある。寒さが影響しなければ、結実はいいようだが、霜と雪が心配。白枇杷3分咲きです。

 魔女の箒。一旦枯れはしたものの、新たに苗を買って来て植えたら、勢いを取り戻す。青々と繁っております。枇杷苗も、白茂木や白枇杷の成長が芳しくない。土肥の白枇杷も、最初に植えた場所と、時期がよかったらしい。人間の利益に自然は嚴しい。

 昨夜、というか未明、ふたご座流星群に望みをかけ、外に出る。満月の光溢れる夜気に、身体を包まれて、暫く観ていた。オリオン座も影が薄く月光に霞む。女神の姿を具間視、その美しさに魅せられていく。恋しいエンデェミオンに、遇いに行くものか。

 南側の芍薬の傍に置いてある、かすみ草。枇杷苗が鉢で育っており、白と緑のコントラストが綺麗。

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霜月、望・大潮

2016年12月14日 | Weblog

 ぐずついた天気で、午前2時まで待ったが晴れず、諦めてしまう。雨は降ったり止んだり、雲が広がる宇宙だった。今朝も、時雨のある空模様で、ふとんは干せない。洗濯物が乾くといいが。図書館に出向き、返却と延長をしてもらい帰宅。

 午後からは、友人が来宅し、珈琲タイム。小川珈琲の002を飲む。友人は、香りも味もさっぱりだが、流石に価格か美味しいね。その後知人が訪れるので、それまでに散らし寿しを作っておかねば。酢飯を作り、段取りを終えたら電話が。

 寒い中を来るのは構わないが、枇杷葉の生葉を採り、クリスマスのプレゼントを用意し渡す。小さな子どもに、お金をあげるのは余り好まないが、お年玉は別。それでも、金額や渡し方にも問題があるので、一応親の気持ちを尋ねておく。

 時間も、お金も、使い方を誤ると、とんでもなく借金が嵩む。原発の新設も、再稼動にも明日はないのが解かっていながら、議員連中は遣りたがる。誰が、どのようにして後始末をするのだろう?放射線の怖さを知っていれば解決策は無い。

 山口県に、中間処理施設を造れば。地元の反対を押し切って、建設など出来ないだろう。同じ山口県でも離れた場所になら、強行に進めようとするが。上関への中電の横暴さにも、きっと現首相の意向があるのでは。庶民の気持ちは無視。

 リエさんに頼んでおいた書籍が届くかな?夕方にかけてが多いので、自宅に居るようにした。明日は、枇杷葉の花芽を採れれば、しーちゃんの分も含めて、送る手配にしなくちゃ。今年は物凄い花芽で、然も満開状態。花芽茶も美味しい。

 Aさん家に出かけ、水をもらって来る。珈琲も、むろん枇杷葉茶も、この水でないと美味しくない。定例の枇杷葉茶を変える日なので、多目に汲ませてもらう。知人には、この水で沸かした枇杷葉茶を飲ます。その割りには、忘れることが多。

 普段の自分の心の有様が、災いをもたらしたり、福となったりするが、気づかないことが多いのだ。自然への畏怖の念や、感謝の想いが欠けていると、知らずに過ごす。介護の世界も似たようなもので、業務だけをこなすなら負担は軽いが。

 業務の内容は、その殆んどが排泄処理で、困難なことを見守り、援けていくのが、自立に繋がっていく。だが実際には、1対1では到底できない。一人で大勢を看るのには限度もある。個々の人格も、環境事態も、予想外の展開が待ち受ける。

 認知症への答えは無い。症状を緩やかにしたところで、治ることはないし、止めることも出来ない。家族が受け入れて、共に過ごせることが、最大の介護ではないのか。それには、知識が必要なのは解かるが、愛情の掛け方にも縁るだろう。

 ペコロスのいつか母ちゃんにありがとう。現場で働く者として、何時も悩むのは、これでよかったのか?対処方法を間違っていなかったか、と言う思いだが、反省しても後には戻れないもの。仕事であるからするのだが、通じ合わないことも有。

 相手も人間なら、こちらも人形ではない。意識の違いが開けばひらくほど、言葉にならない哀しみが広がる。構ってほしい願望にも様々なパターンがあって、答は一つではない。自分も歳がいき、そういった症状の出る可能性が大きいのだ。

 初夏に咲く大輪の薔薇。挿し木をしたこっちのが勢いよくて、元は枯れてしまった。原種に戻ったのか、次々と開花していく。

 

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運勢・・・

2016年12月13日 | Weblog

 暦には、その歳の運気が載っているが、見方や活用方法を知っていないと、さっぱりわからない。加えて、面相や手相も強ち無関係とは云えず、自然からの恵や禍もあろう。一概に何がどうという根拠も無い。要は、宇宙の為すがままに生きよ、ということかも。

 どんな人にも、悩みはあろうし、悲喜交々の時があるものだ。それらのことに、どうやって対処し、困難であれば、乗り切っていくことが出来るかで、膨らみが増したり、歓びもあるだろう。反対のことも有り得るだろうが、決して悲嘆してはならない。それが人生。

 人間、自分勝手な、都合の好い解釈をするもので、何もかも自分の性にしたり、悪い方へと突き詰めれば、最悪の状態しか無い。世の中の総ての者が、敵であったりする。信じる者に裏切られたり、行方も希望もみえない時期も多い。突然の死も予定外で来訪。

 森羅万象の、あらゆる時空が絡みあって、自分という存在が生じ、此処に居るとして、その運命は誰にも、自分でさえ決められない。理路整然として、或いはまた混沌として、時空の中を廻る。時の流砂に己を任せていると、視えないものが感じられてくることも。

 朝は、しとしととだったのが、昼前くらいから本降りになる。最悪の事態である。まあ、満月でもあり、観え難いのは承知の上で、一晩起きている心算であった。その為に希望休を出しておいた。休日の取り方にも色々あるが、星座や流星観測というのは無いらしい。

 介護の仕事で、都合の好いのは、シフト制のため、日曜日が休みとはならない。然し、1ヶ月に、9日は休まねばならない。有給も使えば、半分は休める。そこら辺を、上手く遣り繰りして、星座の、或いは月の運行に合わせて申請する。旧暦の暮らしであるのだ。

 今朝の新聞を読みながら、自民党の傲慢さと、首相の任期引き延ばしで、こういう結果に持ち込む算段であったのがはっきりした。辺野古に基地は造らないで!沖縄の人等をこれ以上は苦しめないで。翁長さんの言い掛りのように、賛成派は言うが違うでしょ。

 これで、真珠湾攻撃の謝りに出向くとは、一体どんな面で望むのだろう。日本の代表であること事態が恥ずかしい。オバマさんとは大きな違いだ。坊ちゃんというより庶民の思いを、謙虚に聴く姿勢が、僅かも見られない。福島の除染が、未だ未解決でオリンピック。

 暮れなずむ宇宙を、庭から望む。南の宇宙に輝く星が、薄闇に次第に現われて来た。宇宙を眺めるのは厭きない。

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冬の佇まい

2016年12月12日 | Weblog

 藁ぐろが田の中に立ち、牛の餌にするのは、突き立てて屋根の形にしており、格好の遊び場であった。石垣の上から跳ぶ、あの瞬間の心地好さは格別だ。当然のこと、大目玉をくらうが、懲りずに翌年もやる。太陽の光をふんだんに吸い込んだ、稲わらの匂い。

 稲わらは、服の中に入ると痒い。遊んでいる時には、気づかないが、家に帰った途端の雷に思い出す。その晩は、何時もより丁寧に髪を洗わされ、乾かすのに苦労した。子ども頃には、ドライアー等は無く、タオルくらいなもの。おまけに翌朝には、髪は雀の巣状態。

 ちじれ毛の猫毛なので、朝は悲惨な状態で、泣くになけず、癇癪を起していた。祖母は、烏の羽のような髪だが、父親の遺伝子が影響したもの。天然パーマに、大人の慰めには無償に腹が立ち、綺麗な髪がうらやましかった。今は諦めている。子ども心は複雑。

 昔にも、苛めはあったが、それ以上に関心が多くあり、深刻にはならなかったのだろう。貧乏は自分のせいではないが、食べることが一番で、兄妹の順番や、大きさの比較に忙しかった。何時もお腹を減らしていたから、多少の不満や不平になっていたものだろう。

 衣食足りて、とも言うが、考えてもほしい物は余り無い。この世に性を受けて、今現在の暮らしがどうにかなれば、それでいいと思える。書籍は、自分の好きな作家さんの著作があるし、図書館で借りれば好いこと。DVDもCDも、聴きたいアーテェストは持っている。

 小椋佳さんを初め、曲や詞のはっきりとしたのを好む。どちらかと言えば、クラシックの方が好きで、指揮者に拘ることも多い。最近は、店に行って選ぶことがないので、新聞の書評を見る。タイガースは、自分だけで聴きたくて買った。瞳みのるさんのドラムに酔う。

 昨夜の宇宙の素晴しさは、正に銀河のロマンスだった。寒さも忘れて、宇宙を観られる、至福の幸せに感謝する。神話の英雄らが、緩やかに歩き、話している。心をときめかせ、自由に時空を翔んでいく。遥かなる宇宙の流砂に、時の経つのも忘れて彷徨える今。

 枇杷葉の花芽の香りに、引き戻され、庭に居ることに気づく。今朝は早出であった。遅刻をしては、と切り上げる。激務の勤務を終え帰宅する。ブログの更新も、略毎日で、皆に書くことがあるものと言われるが、日記です。これって毎日だから、日記って言うのだろう。

 暑さの残る初秋の庭。今年は、比較的過ごしやすかったが、枇杷葉茶と塩で乗り切った?いや、イタドリもかな。

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