蕎麦屋に行く時は、時間に余裕のある時しか行かない。昼時に黙々と蕎麦だけを啜って退散するなんてつら過ぎる。ほっとひと息いれ、暫し浮世を忘れて一杯やりたいから蕎麦屋に入るのだ。酒は島根の「豊の秋」。出過ぎない程の良さが清々しい酒。燗でもいける。焼き味噌を所望。しゃもじに塗った蕎麦味噌をさっと炙って出してくる。
老松町に部屋を借りている時、斜め前に「かんだ更科」という店があり、ちょっと気になった。
ある日、張り紙がしてあって、『当分の間、蕎麦はできません』と書いてあった。更科って蕎麦用語なのにけしからんと思って、ある日、店前を掃除していたご婦人をつかまえて、「どういうことなんですか?」と尋ねた。すると丁重に詫びられ、「今、息子が蕎麦の修行に行っておりまして、帰ってきたら蕎麦一本にしようとしておりまして」とのこと。何処へ行ってるのか訊くと、「小淵沢の翁へ」と言うではないか。その世界ではつとに知られた高橋邦弘氏の元だ。それではおとなしく待っております…と矛を収めた。
なめこ辛味大根。こういう腹に溜らないつまみが蕎麦前には有難い。
息子が戻り、屋号は「なにわ翁」となった。ちょっと落ち着いた頃を見計らって、昼下がりの時間帯に酒を飲んだ。なかなか蕎麦もよくできていた。はかなげな蕎麦の香りもぷんと香る。会ってみると勘田くんは若いし真面目な職人で、修行は伊達ではなかった。「初めて蕎麦で一杯飲んだお客さんです」といわれた。
蕎麦がき。蕎麦粉を熱湯で一気に掻きあげる。蕎麦切り誕生以前の食べ方を彷彿とさせる。東京の老舗などでは木の葉型にして、塗りの桶の熱湯に沈めて出すところもある。うちは親父が好きでよく家でやった。こいつを山葵醤油で。
師匠であり、翁グループの総帥、高橋さんにも何度かお会いしている。達磨の如き怖そうな人物だが、実は冗談好きな、そこそこ洒落も通じる人物なのだ。しかし蕎麦を打ってる時の空気は人を寄せ付けない。
牡蛎の時雨煮。こういうので一杯がたまんない。縮ませることなくふっくらと出汁で含め煮にしてある。針生姜。
料理の多くは勘田くんの母上の手による。惜しまれつつこの7月で辞めてしまったが、蕎麦ふるまいコースというのがあり、懐石仕立ての料理がいろいろ味わえた。息子が蕎麦一本にしたので、ご両親は料理の方にまわったのだ。その料理がまた出過ぎず、蕎麦とのコントラストがいい一品ばかり。それがこうして季節の一品物として残してある。
鴨のうま煮。あしらいは蕎麦菜。すっかり翁の定番料理となった。
そのままでも、かけ蕎麦にそっと沈めて食べてもいけるだろう。
一緒に畑を見に行った鷹峯の九条葱も見事に冬の名物、葱そばに仕上がっている。春の鯛そば、夏のうなとろそば、今は秋の里山そば、
冬の牡蛎そば、白魚そば、四季折々季節感が感じられる工夫を怠らない。
いちじくの白和え いちじくをあっさりした出汁でさっと煮てある。こうなると俄然酒のアテになってしまう。
シメに、祖父から相伝の出汁ものも頂きたいが、やはり、久々に来たからには定番で行かねばなるまい。で、ざるそばを…翁の蕎麦は二八。八が蕎麦粉、二が小麦粉だ。喉ごしのよさ。
蕎麦の歯ざわり、歯応え、香り、温度、山葵はおろしたてかどうか、いろいろポイントはあるだろうけど、来たら一気に早いこと食べるこった。
アタシなんざ、自慢にも何にもなりゃしないが、この蕎麦つまみながら飲める。やはり日本酒だ。
しばらく放っておいて、なかば乾いた頃、酒をササッとふりかけてほぐし、そいつをおもむろに食うという方法もある。それ位蕎麦と酒の相性ってのはいい。それは志ん朝師匠に教わった食べ方だ。
いつか、勘田父が揚げた天麩羅と息子の蕎麦のコラボレーションで天ぷらそばを出して欲しい。そばで、余りにキザだから禁じ手にしている「抜き」…台抜きにして、天吸いグビッ、酒グイッを繰り返したい。