数か月に一度のラッキー会。ラッキーミリンダー(ジャンプブルース)でもラッキールチアーノ(マフィアの大親分)でもない。参加者の一人が非常にめでたい名前なのでこの名があるのだが、なに、たまに会って単に寿司をむさぼり食おうという会なのだ。
今回の舞台は苦楽園。約束の時間に店に赴くと、まだ先の客がいるとかで、仕方なく斜め前のカフェへ。Cafe Rootsという店。
寿司の前にコーヒーも何なので、所在なくビール。
ついでに腹減っていたので、大人げないと思いつつも、塩ハンバーガーを注文し、みんなで分けて食べる。バンズも自家製。
思わず弾みがつきそうだった。
頃合いを見計らって寿司屋へ戻ると、先客は帰った後。
堂々の貸し切り状態となった。
造りはヒラメから。一つは肝をくるんである。
戻りガツオのづけ 中トロのごとき脂の乗り。
蒸鮑 肝・貝柱の塩辛
煮アワビが多い中、ここでは3時間蒸す。
清浄な濃い磯の匂いが口腔から鼻へと抜ける。
いつまでも噛んでいたい、消えて無くなるのが残念至極。
鱈白子 茶碗蒸し風
ほんの僅か。これでも多量に使ってあり、これ以上多いと
気持ち悪くなる、と店主。
巻物。贅沢なうに使い。
まな板は客席のカウンターと同じ高さで、一部始終が見える。
自信がないとこれはできない。
酒の肴にこういうのはちょっと嬉しい。
秋かます、うに、芽ネギ、茗荷梅酢づけ
酒は宮城の「掌(たなごころ)」。すきっとした辛口。
種類がそれほどなかったので、もう少し燗でイケるガツンとコクのあるタイプなど研究するといいだろう。
鮪 中トロ 周囲はさっと湯引きにしてある。
ネタケース。こういうスタイルも食べ歩いて学んだのであろう。
まだ若い主人、父親は箱寿司など関西系の寿司を握っていた人。どうせ継ぐなら江戸前でと独学でやってきたという。
鯛と剣先いか
いかに細かく包丁を入れてあるのは面白い。歯がいらない。
プリッとした食感が好きな人には物足りぬかもしれぬが。
鮭児 証明書付き
北海道厚岸町、浜中沖で獲れるシロザケの幼魚。1万匹に1匹という希少価値なので、証明書までついている。
どうもこのシャケというやつ、握り寿司には合わないのではないだろうか。元来、寿司飯と合うのか。鮭のにぎりばかりを食べたいというアッキーナみたいなタレントとは付き合えない。(妄想か!)明治の頃書かれた、江戸時代の安宅か松の寿司の絵には鱒の握りが描かれていて、うへ~っと思ったが。
秋刀魚 (厚岸) 鮪赤身(10日熟成させたもの)
やっぱり寿司には鮪、天ぷらには海老がなくては絵にならない。
寿司とは飯と魚を合わせ、乳酸発酵によって双方の熟成が進み、うまみを倍加させた食べ物だった。それが待てない江戸の気の短い職人たちによって生まれたのが握り鮨。一瞬飯と魚を握ることによって、熟れ味に仕上げる。そのために寿司飯にも肴にもあらかじめ味を付けておいた。それが今日“仕事”といわれる下ごしらえなのだ。江戸前鮨の醍醐味はこの一瞬にして両者を一体化させる技術にあった。・・・なんてな、好きなものなんでついつい熱くなる。
一個なら小肌。山口瞳の色紙が、下北沢の小笹寿司にかかっていた。元来、握りはこの小肌鮨売りからスタートしたといわれる。吉原なんぞの遊里を、すし箱担いで流すいなせな鮨売りがいたそうである。いなせ…も鯔背と書く。鯔や小肌の背中のピカッとしたこういう光沢に江戸っ子はどうも一入思い入れがあったということだろうか。
車海老も見事。プリリとした食感。甘みと香り。
鰆づけ たたきの燻香心地よし
キンメダイ 駿河湾 地付き
ここいらが冒険であるが、成功してるかどうか意見が分かれるところ。両者とも水分を内包していて、魚自体が淡泊なだけにピントがなかなか合わせにくいのではないか。
しめ鯖 〆具合はぴたり。
ムラサキウニ(淡路)、イクラ醤油づけ、アカウニ(壱岐) 小丼
淡路が甘みで勝っていた。美味すぎる、足の指がキリリとしそうな…
穴子(泉州)
小ぶりで身も薄く、淡泊なのが泉州。薄めのだしで白っぽく上げている。浜煮という手法だともっと色を付けず、そこへ濃いツメをつけるのだが、これはこのまま。青柚子を少しふってもいい。
巻物二種
芽ねぎ・かつおぶし、かんぺう。濃いかんぺうも江戸前の仕事だなぁ。これも軽視できず、シメとしてかなり重要な位置にある。
デザートにほうずきトマト
実に結構、若いのに素晴らしい鮨でした。
再訪の価値ある店であるのは間違いない。
鮨 まつ本 西宮市樋之池町2
まつ本さん。
言うてる間に
次のラッキー会ですね
次回>さいですねー、でも次回は行けそうにないのです。