後の時代の人々から大王と呼ばれることになる、アレクサンドロス。
『ローマ人の物語』でも、少し触れられていたし、福岡市博物館にて、古代ローマ帝国時代のものと一緒に説明書きも読んだので、その名は知ってはいた。
大王と呼ばれるからには、ちょっと強面でオジサン独裁者(失礼!)をイメージしていたら、全く違った。
西側諸国を統治することに成功したのが古代ローマ帝国であれば、アレクサンドロス率いるマケドニア王&ギリシアは、東側諸国;ペルシアや未開の地;遠く現代のインド・パキスタンまで辿り着いた最初の西洋人だった。
彼が戦った会戦はすべて全勝。チグリス・ユーフラテス川、ガンジス川、250頭の象使い(この辺りは、ハンニバルとスキピオ・アフリカヌスを思い出してしまった!)常に先陣を切って駆け抜けていく若き王、アレクサンドロス。スピードと忍耐。どちらも持っていた人間味溢れる王。
会戦について書かれた書物は数えきれない程あるらしい。それはそうだろう。あの、カエサルでさえ、アレクサンドロスには敵わないと語ったらしい。カエサルには失礼だが、私もそう思う。西洋と東洋の融合。アリストテレスに学んだ王が、1つだけ、師匠が言うことを鵜呑みにしなかったこと。それは、敗者(蛮族)は人間として扱わないことが、この時代の常識だったが、アレクサンドロスは違った。人として接した。よって、負けたペルシア人も降伏したあとは、殺すが奴隷ではなく、自軍の兵力として受け入れたり、役職に就かせたりしたことだ。 味方からは、その点が理解されず、「マケドニア人よりもペルシア人を重視している」等、度々「いざこざ」も「事件」も起きはしたのだが...。
これほど魅力的な王も、夢半ばで病に倒れる。まだ33歳を迎える1か月前のことだった。
この後、半世紀にわたって、後任の王は誰にするか?で争うことになる。塩野さんは、ここは年表だけとし、省略している。
アレクサンドロスの夢や意思、寛容の精神がギリシアに受け継がれることは無かったが、その後、現れるローマ帝国に...もっといえば、カエサルと彼を継ぐ皇帝たちへと受け継がれていったのだが。 古代ローマ人は、ギリシア文化に憧れ、アテネに留学した者も多く、言葉や哲学も学んだ。家庭教師もギリシア人が多かった。 ギリシアからローマへ~ やっと一つに繋がった気がする。
そして~マケドニア出身の若き王、アレクサンドロスの短くも、のちの世に多くを残した彼の人生に思いを馳せたい。
追記;✒
アレクサンドロスは、ペルシア制覇の後、ペルシア王の宮殿や文化に触れ、興味深々、観て回ったらしい。煌びやかなペルシアの衣装も喜んで着たというから、今でいうコスプレ?? 20歳で王になり、東方遠征のためマケドニアを後にした彼も、やはり若い王だなぁ~とくすっと笑ってしまうではないですか! ちょうど、我々日本人観光客が、異国の地を訪れ、教会や寺院を見て回り、写真を撮りまくり、スコットランドの衣装やインドのサリーに袖を通してみたい、或は海外の人々が神社や寺を巡り、着物や忍者体験をしたい!と思うのと似ているかも。 信じる神は違っても、コスプレ結構👍 相手の宗教に敬意を払いつつ、神殿を訪れ、文化にも触れる... これこそが異文化体験と相互理解! 異なる相手を文化的背景と共に理解しようと努めること! これが世界平和への第一歩。
アレクサンドロスは、近年になって我々がやっていることを、紀元前から行っていたという驚き! すっかりアレクロスファンになってしまった!💕