かっての宿場町で高崎市と合併した新町の史跡探訪。
1600年の関ヶ原の戦いに勝利した家康は翌年には街道と宿駅
の整備に着手したが東海道と中山道は特に幹線道路としての
整備を急いだ。
そして1604年には宿場制度がほぼ整った。だか、この新町は
この時点では未だ宿場ではなく、その後の中山道の発展と共に
次第に開ける様になり、1644年頃に加賀の前田氏が参勤交代の
折に従来の倉賀野・玉村・本庄ラインを . . . 本文を読む
(11)一茶の文学碑 高瀬屋跡
車に戻って駅入り口信号の群銀に駐車。少し西へ戻った
県道に面して記念碑。
1810年、新町宿に泊った一茶は石灯籠建設の寄進を求められる。
懐中乏しい一茶は一旦は断ったが、遂に12文を寄付させられた。
「手枕や 小言いうても 来る蛍」
蛍とは多分夜半に依頼に来る者の提灯の事かも。
(12)行在所
群銀から東南へ一ブロック、公園の中。
明治11年の明治 . . . 本文を読む
10/25の「箕輪城まつり」の記事を見直していたら武者行列の中に
「滝川一益隊」と寄居の「鉢形城三鱗会」の姿があったのを思い
出した。共に一時期は長野氏の後、箕輪城に君臨した勢力である。
この両者は永禄九年の長野氏滅亡から16年後の天正10年、武田が
滅んだ3ヵ月後の本能寺の変から15日後に神流川河原で決戦をして、
敗れた一益は伊勢に逃げ帰っているので祭りでは呉越同舟である。
鉢形城は北条氏邦の居 . . . 本文を読む
(1)首塚八幡宮 高崎市新町
R-17を東進し新町駅前信号を過ぎて二つ目の「笛木町」をR-40へ
右(南)折、JR線を潜って進んで左に堂前郵便局を見ながら尚も南進、
高速手前のこの看板で左(東)折して約200m。
新興住宅地の間に首塚八幡の鳥居。
八幡の石碑と
文化財の首塚。北条方が戦死した兵の首を埋葬して菩提を弔った
場所とされている。
(2)胴塚稲荷 藤岡市岡之 . . . 本文を読む
絶好の小春日和、だが恒例の家族の運転手を相勤める為に山は駄目。
用事が終わってから箕郷に直行。先日来の小野関三太夫清繁の
事跡の追っかけ。三太夫の残した痕跡5個所の内、残り二箇所の探索だ。
(1)箕輪城址「かえる石」
搦め手口から城址に入る。祭りも終わったので従来どおり、二の丸まで
車で入れるので登りは一切無し。本丸を通過した「御前曲輪」がその場所。
南の隅近くの御前曲輪の大井戸、その脇 . . . 本文を読む
群馬マラソン出場のため東京から来ていた家族を朝方、敷島公園に
送り届けた。驚いた事に大渡橋の手前から渋滞が凄くて橋を渡り
きるのに20分強を要する始末。
帰宅後、予報に反して寒気も左程では無いので倉賀野武者行列の
見物。この行列行事の発祥は戦国時代に縦横に活躍した倉賀野16騎の
故事に由縁し1988年から始まっていて、群馬県内では小幡に次いで
古い歴史を経歴を持つ、とは参会者からの情報。
コースは . . . 本文を読む
先日、「あにねこ」さんの三つ峰の記事で三十六童子の石塔の事が
出ていたのを読んで、そう云えば榛名にもあったな、と思い出した。
それはガラメキ温泉の途中というか、相馬山表(南)口の林の中。
今までは通過するだけだったが、今回その全てを記録しようと思い立つた。
R-28の黒岩下でいつもの路傍駐車、枯葉の積もる通称・鷹ノ巣林道を下る。
左手には黒岩の絶壁、
正面は威風堂々の相馬山
林道は相 . . . 本文を読む
童子像の画像は、奈良県の「六滝稲荷不動大社・三十六不動堂」より。
(1)矜迦羅童子 こんがら
(2)制叱迦童子 せいたか
(3)不動慧童子 ふどうえ
(4)光網勝童子 こうもうしょう
(5)無垢光童子 むくこう
(6)計子爾童子 けいしに
(7)智慧幢童子 ちえどう
(8)質多羅童子 しったら
(9)召請光童子 ちょうしょうこう
. . . 本文を読む
童子像の画像は、奈良県の「六滝稲荷不動大社・三十六不動堂」より。
(21)大光明童子 だいこうみょう
(22)小光明童子 しょうこうみょう
(23)仏守護童子 ぶっしゅご
(24)法守護童子 ほうしゅご
(25)僧守護童子 そうしゅご
(26)金剛護童子 こんごうご
(27)虚空護童子 きょくうご
(28)虚空蔵童子 こくぞう
(2 . . . 本文を読む
はにわ祭りの当日は願っても無い小春日和。10時からと聞いていたので
会場に行くと、開会宣言に続いて「群馬町和太鼓会」「文化協会ハーモニカ演奏」
などのアトラクションや博物館周辺での円筒ミニ埴輪作りとか勾玉作りが始まつて
はいたが、肝心の「再現劇・王の儀式」は午後との事なので一旦帰宅して出直す。
自宅から僅かに5kの距離だから出直しも簡単。
午後0.30、何時もの事で県議・市議・市役所関係者のゴタゴ . . . 本文を読む
「王の儀式」が終わってから古墳の西に向かう。この古墳の周辺には
膨大な数の埴輪が置かれているが、これはここで発掘された約6000ヶの
埴輪に因んで地域のボランティアが「プロジェクト6000」を結成し
約10年掛けて膨大な数の埴輪を作成して古墳の周辺を飾ってきた。
それが今年の6月で完了し、その最後の埴輪が記念にリボンが付けられて
いると聞いたから。それを発見。
最後の埴輪を作成したボランティ . . . 本文を読む
明日の土曜日、上毛野はにわの里公園で「はにわ祭」があるので
予備知識を得る為に埴輪群を見学してきた。
榛名山の東南麓一帯は関東古墳文化の中核と言われて来た。五世紀の
後半頃、山麓地帯を統治した累代の首長たちは三つ寺付近を拠点と
していたらしいが、その死後は至近距離の「保渡田古墳群」に埋葬され
たらしい。その古墳群の一つが、この「保渡田八幡塚古墳」である。
この古墳の発掘の最初は1929年、その際 . . . 本文を読む
朝から今にも降り出しそうな曇天、折角の「第七回箕輪城まつり」なのに。
降水確率30%、持ち堪えを期待して箕郷町へ。武者行列は箕郷支所から
箕輪城址までの約3k、雨の可能性もあるので雨中の往復を避けるため中間の
箕郷小まで行って駐車し、徒歩で支所に戻る。
出陣式の9.30が迫ると、多くの参加グループが集結。手作り甲冑あり
本物としか見えないレプリカありで様々。
武田滅亡後、一時この地を支配した信長 . . . 本文を読む
会場準備の出来た本丸跡で周りの出店などを見ながら到着を待つ。
これらの出店はフリーマーケット方式で軽トラ一台分で2千円らしい。
やがて二の丸方面から行列がやや疲れ気味の表情で続々と到着して
御前曲輪に入って休憩と昼食らしい。生憎と霧雨模様。
メイン会場ではアトラクションが始まっている。司令塔はここ。
箕輪太鼓・子供チームに続いて市役所チーム。
生原(オイバラ)北野神社獅子舞保存会 . . . 本文を読む
天候も思わしくないので山行きの予定を変更して箕郷町の「きつねの嫁入り」
行列の見物に出かけた。
この催しは箕輪城に伝わる伝説が基。この箕輪城には狐が住み、敵が攻め
寄せて来ると霧で城を包んで守ったという言い伝えがあるそうだ。
そんな伝説と共に昔ながらの婚礼衣装を復活させようと2002年から始まった
創作野外劇「きつねの嫁入り」に先立って嫁入り行列を催おすもので今年で
八回目。例年17.00からだっ . . . 本文を読む