今年の大河ドラマの主役たち、浅井三姉妹の事を色々と詮索して
いたら某資料の末尾に自決した筈の淀殿についてこんなもの。
「薩摩に落ち延びた説と秋元長朝に助けられ、長朝の領地上野国
総社に落ち延びた説がある。秋元家の菩提寺・元景寺(現前橋市)に
彼女のものといわれる石塔がある」と。
永年高崎に住み、伝承好きと自認する爺イの戦国時代の興味はどうしても
仁政で名高い箕輪(今は高崎市)の長野勢、西上州へ . . . 本文を読む
午前中、例によって家族を病院に送った後、次の予定まで4時間ほどの
間があるので榛東村へ古い神社跡の探索。切っ掛けは「吾妻山」の
登山口にある無銘の神社は吾妻神社ではなく、榛東の吾妻神社は
既に常将神社に合祀されてしまって存在しない」との情報を
「山はこれから」さんから貰ったから。確かな事は村役場に問い合わせて
いるが未だ返事は無い。
取り敢えず現場を見に行かなくては話にならないので、水沢・足門線 . . . 本文を読む
連日の寒気到来予報に縮み上がってハイキング予定は溜まっているのにまるで
冬眠状態。
日当りの縁側で借り物の「上州の史話と伝説」をパラパラとめくっていたら
「小野の小町のさすらい」と云う項目が目に付いた。そう云えば甘楽の山に
行くときに通過する県道197号沿線に「小野小町開基」と銘打った「得成寺」
が在るのを思い出して一寸探訪。R-18を西進、富岡方面に左折して下高尾から
更に甘楽町方向へ。
(1 . . . 本文を読む
小野小町の当地の伝説は唐突の感があるが何しろクレオパトラ・楊貴妃と共に
世界三代美人の一人という美人にして才女ともなると全国に伝承が残るのであろう。
ましてその出目が出羽で後年旅をしたと伝われば伝説の伝播には絶好だろう。
小町については生没年不詳、出目不詳というのが実際のところだろうが、世間は
そんな事では収まらない。
そこで「謡蹟めぐり」という膨大なサイトを運営するT氏にお願いして
その中の . . . 本文を読む
「山はこれから」さんから船尾寺院跡発見とのコメントが入ったので早速、
其れを訪ねることにした。かって千葉常将伝説を追いかけた時、自害の
場所特定と共に発見できなかったのがこの船尾の堂宇跡。
この遺構が千葉常将と船尾堂宇との抗争がらみだというのは
勿論、現実に存在するものと伝説との結びつけだが。
相馬山の別名が「黒髪山」である事は相馬表口の石碑にもあるし、黒髪神社が
山頂にある事でも良く知られて . . . 本文を読む
今にも降り出しそうな雲行きを気にしながら箕郷へ祭り見物。
定刻前、既に箕郷支所前には去年より多い各団体が勢ぞろい。
お馴染みの甲冑愛好会k氏。頼義時代からの甲斐源氏の名跡、
加藤駿河守の末裔とか。
出陣式に際して恒例の「和弓礼射」、競技用よりも的を大きくして
あるとは云え、見事な腕前。箕郷町弓道愛好会。
手製(小板橋稲平氏作)の大砲が轟音を発すると
エイエイオーの勝鬨をあい . . . 本文を読む
参加された各グループの皆さんを紹介。
御嶽講社隊。
4区ドリーム21隊。
蟹沢梅祭り実行委員会隊
エスビック隊
エスビックなでしこ隊
白川辻ほたるの会
下善地梅祭り隊
玉村・手作り甲冑愛好会
寄居町鉢形三鱗隊
箕郷消防団井伊隊
箕輪城元気隊
上善地盆踊り保存会
アトラクション出演
和太鼓・市役所チーム
和太鼓・箕 . . . 本文を読む
快晴ではあるが笹の雨露を嫌って山行きは断念して武者行列の
見物。今日は高崎・城南地区の「鎌倉街道武者行列」の日だから。
この催しは今年でもう23回目、箕輪城まつりの八回に比べると
遥かに回を重ねているが、見物は今回が初。
この付近は新田義貞が鎌倉に攻め上った道なので後世に伝えて
歴史の重みを地域の連帯感と共に噛みしめようとの趣旨。
上信電鉄・南高崎駅に駐車して出発地点(終着は市役所)の南小へ。
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雲行きの怪しい空模様を気にしながら今年も箕郷のきつねの嫁入り行列見物。
去年もこんな天候だった気がする。確か、天候が悪くて山に行かれず行列見物に
変更したのだから。
この類似行事は各地に多数有ると思っていたが意外に少ないらしい。
北関東ではこの箕郷(2002年から)、南関東では東京北区の
王子稲荷ぐらいらしい。1990年からと云われて有名なのが新潟・阿賀町津川城。
「狐戻城」とも云われて五千人の . . . 本文を読む
漸く近親者の新盆含みの行事が終わったが、午後雷雨と毎日
脅かされて遠出に踏ん切りが付かない。
気晴らしに城山三郎を数冊持って榛名湖で読書と決めてR-126。
例によって途中で寄り道ばかりしたのでカテゴリーは史跡探訪に
なつてしまう始末。
箕郷町中を抜けて少し登り道になる処の「下善地」のバス停前。
「下善地砦跡」の道標が庚申塔二基と供にある。砦跡は長野氏輩下の
物らしいが詳細記録は不明。
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道端の百日紅や向日葵を見ながら尚も進む。
右手に古い半鐘が未だ残っている。大正・昭和の時代には活躍した
のだろう。
民家の間に薬師如来像。散歩の人と話しこむ。
反対側のこの山の上にある北向観音と相対しているそうだ。
南・東の榛名林道四つ角近くに小さな「駒寄神社」。村社でもない
無格社なので殆ど記録は無いが、本来の名は「分霊月波神社」。
1861年に月波神社から分霊された . . . 本文を読む
まつりの夏の真っ最中、高崎祭りは市制110年記念と
なっているので山車が38台の総出になるほか、何時もより
大掛かり。そこで炎暑も吹き飛ばして見物に。通行制限が
多いので已む無く自宅からテクテク歩き。
「もてなし広場」は神輿の一団の待機場所らしく勢ぞろい。
市役所前を通って「あら町」に来ると田町通りが山車が
出動準備。ここは中央区域の待機場所らしい。
待機とはいえタイコの係りは既に汗だ . . . 本文を読む
マイミクさんに教えてもらった寄居・五百羅漢さん訪問。
偶には電車でもと思ったが八高線・秩父電鉄は共に運行本数が
少ないので結局は車で出発。
吉井を経てR-254を東進、「本郷」「小林」「野中」「山崎」と
半円形を回るようなルートでR-140に入って漸く目印の
「末野」を右折。細道を登ると少林寺看板。走行1.5H。
寺に到着、他に駐車している車も無く閑散。
境内には見事な藤棚やボタン園。 . . . 本文を読む
ブログは一ページの字数が制限されているので羅漢さんを分割お披露目。
聞きたくない! 聞きたくない!
もう世の中分からん この教本が全てじゃ。
お釈迦様 どうかお許しを
もう言うな! 聞きたくない
おっホッホッ
今度は何握りましょうか?
どうだい このスイングは? 遼クンに負けとらんよ。
あー それはいかんぜよ。
えー 私と致しましては。
そこ . . . 本文を読む
去年の箕輪城址、倉賀野城址の武者行列に続いて今年初は
城下町・小幡の武者行列見物。戦国時代のこの地は国峰城に
拠った小幡氏の支配地、大阪夏の陣の後1615年7月に織田信雄が
ここに2万石を拝領し、1617年に四男信良に譲り信良が小幡藩を
創設して七代・信邦が明和事件に連座して1767年に出羽に転封され
るまで織田支配の城下町。但し、当初の陣屋は「福島」で
三代・信昌の1642年に小幡に陣屋が移され . . . 本文を読む