クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

暇潰し ひまつぶし  H-20-10-8

2008-10-08 16:10:05 | 伝説・史跡探訪
今朝早く、「つれづれ」さんの相馬表口ルートの記事で「スゲェー」の一言、
沢沿い林の中の「表口」と彫られた巨大石碑と帰途に「右京の無駄掘り」は見て
貰え無かったようで「うーん 残念」。
こっちは今週の天気も悪いし中盤にはゴルフコンペもあるので山行きは予定無し。
こんな時の爺イの暇潰しは図書館から限度一杯10冊ほど借りてきて
読むこと。今月は北原亜以子と北方謙三だが、余分に借りた萩原進著の
「歴史と風土9」の「碓氷峠」を読んでいたら面白いものを発見。
数年間の蟠りが一気に解けた感じ。
かって、拓本の練習の為、重い水を担いで高崎・石碑の路に通い詰めていた
時期があつた。この路には27基の石碑があるが、その内、万葉の原文を
其の侭、彫りこんであるのがNO.3、4、6、11、25、26 と六基ある。
だか、拓本を採る上でその大きさ、彫りの深さ、場所の点で最も爺イのお気に入り
の一基について原文風に書いてはあるがどうしても原文とは思えないと
言う疑念が消えなかった。だが、門外漢の爺イには訓読万葉集は容易に
目にすることが出来るが原文に触れる機会もなく年を経てしまった。
疑念の前提は誰でも知っている次ぎの万葉の基本だった。
「万葉の時代には当然の事に未だ仮名は無かった。従って「万葉仮名」という
独特の表現方法、つまり漢字の意味とは全く関係無く漢字の音訓だけを
借用して日本語を表記した。漢字を使用はしていたが、日本人としての
始めての日本人のための最初の文字が万葉仮名―――」
この原則で見るとNO.4を除く他の五基は完全な万葉仮名に見える。
気になっていた問題のNO.4の拓本はこれ。



ひのくれに うすいのやまを こゆるひは せなのがそでも さやにふらしつ

写真ではこれだが拓本の方がハッキリする。



何が変だと言えば「薄日乃山」の一言がオカシイのだ。この歌は碓氷峠を
越えていく防人を妻が見送る情景で整理番号では「巻14 の3402」。
爺イの頭では「薄日」は原則の表音ではなく確実に表意である。
「暮」も同じく表意だろう。
碓氷峠或いは碓氷郡の語源の説は数多くありその多くが納得させられてしまう
ものなので素人泣かせだがその中の一つに「薄日説」がある。
碓氷峠一帯は霧積の名を持ち出さなくても、現在でも濃霧の発生
しやすい所として有名である。日本武尊伝説まで遡れば熊野神社縁起に
ある「八呎烏(ヤタガラス)」の道案内の話もあるし、この峠はガスの発生で
陽が薄く見える「薄日の山」と昔から言われていたのだ。
万葉の膨大な数の中に「碓氷」を絡めたものが二首あるという。
訓読万葉集でみると前出の「巻14 の3402」では「碓氷の山」とあり
「巻20の4407」では「碓日乃坂」だが何れも解決にはならない。
漸く「万葉では碓氷の事を(宇須比)で統一されている」なる解説を
発見、これなら完全な表音。爺イは原文を確める術を持たないが
NO.4は原文風に書いてはあるが原文ではないと判断。
だからと言ってどーって事も無いが何かスッキリした。
これに関して爺イはさっさと割り切った。解説に因れば万葉の時期は
第一期が629年に始まり第四期の759年で終るとされている。ところが
その第三期中の72O年に撰進されたのが「日本書紀」、「吾が妻はや」の
場所を「足柄」とする「古事記」は置いといて、日本書紀の碓氷峠の件は
こう書いてある。
「日本武尊自甲斐北転歴武蔵上野西逮于碓氷坂時、日本武尊毎有顧
弟橘姫之情。故登碓氷嶺而東南望之三嘆曰、吾嬬者耶故因号山東諸国
曰吾嬬国―――」
古来、「山」「坂」「嶺」は同義といわれるので「碓氷坂」「碓氷嶺」の二通りは
全く気にしないし、碓氷の文字は表意であって表音で日本語を綴った
万葉のように「宇須比」でなくても問題は無いと。
逆にいえば万葉の宇須比は完全に表音の証拠。だからNO.4は
原文ではない。
1300年も昔から存在した「碓氷」が漸く「碓氷郡」として記録に現れるのは
801年の「続日本紀」と云うが、平成の大合併で最後の砦・松井田町が
安中市に吸収されたので、碓氷郡は1200年を超えるその歴史を閉じた。

今夜は天下分け目の対阪神戦、気合を入れてテレビの前に。

ご参考
(3)
左努夜麻尓 宇都也乎能登乃 等抱可騰母 禰毛等可児呂賀 於母尓美要都留
さぬやまに うつやおのとの  とほかども   ねもとがころが おもにみえつる  
(4)
安我古悲波 麻左香毛可奈思 久左麻久良 多胡能伊利野乃 於久母可奈思母
あがこいは まさかもかなし  くさまくら   たごのいりのの おくもかなしも
(11)
伊母乎許曾 安比美爾許思可 麻欲婢吉能 與許夜麻弊呂能 思之奈須於母弊流
いもをこそ あひみにこしか  まよひきの   よこやまへろの ししなすおもへる
(25)
可美都気野 左野乃九久多知 乎里波夜志 安禮波麻多牟恵 許登之許受登母
かみつけぬ さぬのくくたち  おりはやし   あれはまたむえ ことしこずとも


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