クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

不納山はクマの気配 (改) H-20-10-12

2008-10-13 11:21:31 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
今日は「300山」や「オッサンさん」・「あおちゅうさん」の記事を参考にして
中之条の「不納山」。但し、稲包神社からはいきなりの急登とあったので
心肺能力が極端に低い爺イはそっちは回避して水晶山経由。
R-353で中之条の市街地を走り抜け、四万大橋手前で右の温泉街への道。
左右の温泉宿の間の細い道を進むと左に目印の「月見橋」、直進して間も無く
右手に水晶山登山口看板(9.52)。林道水昌(晶ではない)山線起点の標識もある。



道幅が狭いので角のお宅に頼みこんで路傍駐車。登山道は幅広の蛇行する
舗装路。間も無くカーブミラーの所で林道と別れて右の道へ。ミラーに写る
爺イが判りますか?



右からの「中井線」を合わせると間も無く小さな神社。「300山」では秋葉神社。
秋葉神社は火防・火伏せの神の秋葉大権現、全国に400社以上ある。
徳川綱吉時代に信仰が全国に広まったとされるが、古代からの神仏信仰と
火災・火除に関する伝説が同化したらしく起源は不詳とか。
だが社域に入ると表記は「八幡宮」とのみ。



四万簡易水道配水場を過ぎると分岐に地蔵尊、子供を抱いているので
子育て地蔵か?



熊除けの鐘があり2、3回鳴らしてから進むようにと注意書き。新しい設置
らしいが水晶山まで5ヶ所もあつた。



数分で大きな案内看板、但し水晶山ハイキングコース専用なので不納山への
ルートは記されていない(10.12)。ヒル防御用の塩水スプレーには溶液十分。



急登を過ぎると石を敷詰めたような道に変わり



小沢の右岸に沿って金網の張られた登り、金網縁に掴まれるので比較的楽。
(10.39)。



登り切ると左岸に移って再び急登、やがて前方に大岩が見え、その縁を廻る。



漸く山と言うより岩の突端と言う感じの水晶山到着(11.05)。ここまで一時間。
お決まりの階段付きの写真。



岩の上に石宮、ここの熊除け鐘は黄金色。



樹幹にあつた「水晶」ではなく「水昌」と書かれた標識が見当らない。
前回来た時はこれがあったのに。
登山口にあつた林道起点の標識には「水昌山林道」とあつたから
この山頂標識は誤字とも言えなくなった。



南だけが開けて山が見える。「オッサンさん」の記事から判断すると
「高田山」。



休憩の後、不納山の稜線を目指して地形図の破線を辿って北へ。
ところが踏み跡は直進する破線を離れて途中から左に回り山裾を
巡って平坦に進み、戻った感じで間も無く楽々と稜線に到着(11.27)。
古い道標。神社コースが西から登って来ている。



新しい道標は水晶山ハイキングコース専用。



さて、本日のお楽しみの最初の三角点は東の目の前にある小ピークの上。
點名・水晶 四等 967.4m。
「300山」の概念図で1221m峰に三角点マークがあり「稜線伝いに
1221㍍の広い頂・4等三角点へ登る」の記事は間違い。



ここから広い雑木林が始まり踏み跡もハッキリしないが樹幹の赤ペンキや
時折現れる目印テープを頼りにして進み、130m先にあった筈の986m峰も
気づかずに通過。正面に山魁が現れ、いよいよ1221ヘの等高線25本登り
が始まると思ったら踏み跡は、すっと左に回って迂回の気配。
45度程廻ったところの稜線の樹幹にこんなX印。右上から下ってきて
この迂回道に入るマークだろう(11.42)。



マークから90度右への稜線登り。ここから爺イのスピードは極端に遅くなり
息継ぎ休止は数知れず。大コブも幾つかあって中々先へ進めないが
年寄りに無理は禁物と言い訳。下山してくる単独氏とすれ違い、爺イの
疲労度を察したのか? 「此の先は未だ長いからゆっくりと」と注意を一言。

多分約500m以上も続いたと思われるコブ付きの厳しい登りにヘロヘロ。
やがて何と無く平坦になったなと思ったら地形図上の1221m峰を
通過していたが図根点などはなかった。道は笹原に変わり既に
七つの半円形の連山の2つ目に向かって下りに入っている(12.37)。



二つ目のピークに来るとそこに「掘沢山」の標識、おまけに1221mと表記。
だがこのピークは地形図上の1221mの黒ポッチから東北200mの位置だし
1221m峰より等高線が一本多く、爺イのナビは高度未調整としても1235mを
指している。まあ、どうでも良い事だが気になった。



さて、次々に小ピークを越えていく途中には立木に書かれた道標。



少々傷の付いた道標



近くに樹幹には熊のマーキングが多く栗の大枝が無数にへし折られている。
ここは熊の餌場なのだと気付いてラジオのボリュームを上げる。



果して踏み跡の真上に石と間違えそうな大きな糞。



なだらかな笹原だと思ったら何と頂上標識が見えた。途中の難儀に比べて
何とも呆気ない終着。樹葉が濃くて展望は微か。紅葉時期にも少し早かった。



熊笹の中にひっそりと三角点。本日二つ目。點名・不納 三等 1291.1m。



本日の爺イ。休憩と昼食。 (13.25-13.43) 普通の人が神社から二時間で
来るところを3時間30分。南の1300m峰は何もないとの事でパス。

周辺のブナ(橅)と思われる大木が見事。これで「300山」に書いてあつた
山名の由来は「橅生ブノウ」からと言う意味が実感できた。
だが、昭和4年と11年の吾妻郡誌には、沢田村大字四万の山は稲包山
のみしか記載していないので、若しかすると山名の定着は近年のもの?
だが、何時、どんな切っ掛けで橅生のブノウが不納のブノウに
なったのかな?



帰途の急降も脹脛にビンビンと響くので楽ではない。途中に今度は
「ユズリハ」への樹幹道標。
現在では「譲葉」、国民宿舎「ゆずりは荘」もあるから読みは「ユズリハ」。
だが吾妻郡誌では「大字四万字由津利葉」とある。これでは「ユヅリハ」。
はて? どうしてだろう。




X印の迂回路も忘れないで通過し、勝手の判った雑木林は適当に
ショートカット。再びオッサンさんの真似で樹間から稲包山遠望。



水晶山分岐を過ぎると870m地点でベンチ、つづら折りの厳しい下り。
ここを登らなくて正解だった。膝もガタガタになつて石畳の道を過ぎると
漸く神社前(15.15)。下山にも一時間半掛かった。
「熊出没により遊歩道は閉鎖」の看板をみてギョッとする。



この神社は「稲包神社」、「巌鼓」とも「稲裏」とも書く。
日本書紀からの伝説によると「日本武尊が東征の帰途、この地に長逗留。
地元の「上野長者」の姫が尊に侍り男子をもうける。尊はやがて姫に「吾妻姫」
と名乗る様にと言い置いて碓氷峠を越えて京に向かうが、残した歌が
「我妻や 妹背と契る 言の葉も これぞ別れの形見なるらん」
姫の子は「大宮」とか「厳鼓尊」と言われて大事にされたが、祀られたのが
巌鼓神社。四万が中社で里宮は原町の「大宮巌鼓神社」、奥宮が
稲包山山頂の石宮。姫を祀ったのが吾嬬神社と吾嬬山の「奥の院」。
車道から見る鳥居と石段。



だか、元々は四万の鎮守で境内にある重文の「稲裏地神の碑」で判る様に
1804年の大干ばつに際しての雨乞いに霊験があつたので1806年頃に
稲包山頂上に石宮を奉納し、登山口の四万に里宮の神社を建立したらしい。



境内の杉・モミ・松の巨木群も町指定の天然記念物とか。

さて、神社を辞して渓流沿いの温泉街を1キロ以上下って漸く駐車場所に
帰着。駐車を依頼した家のおばあさんと暫し歓談。此の辺は猪・カモシカより
野猿の被害が酷くて住民は困惑しているとのこと。夏期には庭先にも
多数生息していたヒルは流石に鳴りを静めたのでホッとしているとか(15.41)。

自宅から往復走行距離120K



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